『ムンク展ー共鳴する魂の叫び』鑑賞レポート 《叫び》だけじゃないけど、やっぱりあの《叫び》が観たい!

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2018/11/7 18:00


2018年10月27日、世界的名画《叫び》の来日で話題を呼んでいる『ムンク展ー共鳴する魂の叫び』が、東京・上野公園の東京都美術館で開幕した。来年1月20日まで開催される本展は、20世紀を代表するノルウェーの画家エドヴァルド・ムンクの画業を約100点の作品とともに辿る大回顧展。開幕前日には報道内覧会が行われ、関係者が挨拶に立った。注目の本展の内容を、開幕式の様子とともにレポートしていこう。
会場エントランス
会場エントランス

ついにムンクの《叫び》が日本にやってきた!


エドヴァルド・ムンク(1863-1944)は、1863年にノルウェーのローテンで誕生した。生まれて間もない1歳の頃に首都のオスロへ移り住み、17歳で画家への道を決心。その後、20代でヨーロッパでの名声を得た彼は、40代で祖国に落ち着くまでフランスやドイツなど各地を転々と移り住み、「叫び」も含まれる連作〈生命のフリーズ〉などを発表。20世紀の表現主義の潮流の先駆者的な存在となった。

没後、約2万8000点の作品を含むムンクの私物はムンク自身の遺言によってオスロ市に遺贈された。そのコレクションを展示する施設として1963年に開設したのが、本展のほぼすべての作品を貸し出しているオスロ市立ムンク美術館なのである。この美術館は現在、オスロ中心部のフィヨルド沿いに新しい建物を建設中で、2020年に移転が決まっている。
《帽子のセルフポートレート、冬のアトリエの外で、エーケリー》 1930年
《帽子のセルフポートレート、冬のアトリエの外で、エーケリー》 1930年

今回が初来日となる、ムンク美術館所蔵のテンペラ・油彩画の《叫び》。報道内覧会では、同館のスタイン・オラヴ・ヘンリクセン館長が冒頭で挨拶に立ち、「この展覧会は今までアジアで行われたムンクの作品展としては最も幅広く、実質的なものだと思います」とコメント。さらに《叫び》について、「ムンクの《叫び》はノルウェーの文化とアイデンティティの重要な一部を成しています。ノルウェーの人は彼の作品に学び、誇りにも思っています。我々にとって最も大切な宝のひとつなので、こうして日本の方々にお見せできることを嬉しく思います」と喜びを語った。
オスロ市立ムンク美術館のスタイン・オラヴ・ヘンリクセン館長
オスロ市立ムンク美術館のスタイン・オラヴ・ヘンリクセン館長

《叫び》制作に至るまでのストーリーを知る


本展では、約60点の油彩画と約40点の版画などを展示。画家の人生の一節、もしくは主要な題材にテーマ分けした9つの章によって展開され、ムンクの初期から晩年までを知ることができる構成になっている。まず第1章の「ムンクとは誰か」では、彼が生涯で書き残した自画像やセルフポートレートが集められている。
《自画像》 1895年 
《自画像》 1895年

《叫び》が展示されているのは全体のほぼ真ん中にあたる第4章。そこまでの展示は、彼がなぜ《叫び》のような一種の狂気に満ちた作品を描くようになったのかを知るまでのアプローチといえる。特にムンクという人間を知る上で重要なのが、第2章の「家族-死と喪失」だ。
展示室の壁には、ムンクが残した言葉がところどころに記されている
展示室の壁には、ムンクが残した言葉がところどころに記されている

ムンクは、画家を志す以前の5歳の時に母のラウラを、14歳の時には仲の良かった姉・ソフィエをどちらも結核で亡くしている。また彼自身も病弱体質であり、幼い頃から死を間近に感じる経験をしてきた。そうした画家の作品には、生と死、愛、孤独、絶望といった人間の普遍的なテーマをモチーフとし、人間の内面を映し出しているようなものが数多い。《病める子》も姉を失った経験とリンクする初期の傑作で、儚げで悲しそうな横顔が少女の決して明るくない未来を一目で暗示させる。
《病める子Ⅰ》 1896年
《病める子Ⅰ》 1896年

第3章の「夏の夜-孤独と憂鬱」では、パリやベルリンを行き来しつつ、オスロ近郊の漁村・オースゴールストランに小屋を構えて制作に励んだ20代後半ごろの作品が展示されている。《メランコリー》のように海辺に佇む人々を描いた作品は、ムンク自身のふさぎこんだ心情を映し出したかのようなタッチと色彩で魂の孤独が感じられる。また、《神秘の浜辺》のように月光が海を照らす情景からは北欧らしい神秘性が伝わり、これらの作品からは象徴主義的な表現へと続く流れが感じられる。
展示風景
展示風景

《叫び》の中にある、ムンクの“実験”とは?


そして、第4章「魂の叫び-不安と絶望」では、ついに《叫び》と遭遇することになる。ムンクは20代半ばになると、徐々に国際的な評価を受け始める。1892年にはベルリンで初の個展を開くも、そのセンセーションな作風が一部で激烈な誹謗中傷を受け、1週間で閉幕に追い込まれるという「ムンク事件」も起こった。そうした展示の機会を経験しつつ、彼が抱き始めたのが、連作への興味だ。それが愛や死をテーマにした幾つかの連作〈生命のフリーズ〉へと繋がっていく。世界的名画となった「叫び」も、その連作のひとつにあたる。
《叫び》  1910年?
《叫び》 1910年?

ムンクは絵画として4点の「叫び」を残しているが、テンペラと油彩による本品は今回が初来日。
作品保護の都合からムンク美術館でも常に展示されているものではないという。きっと誰もが知るその作品では、燃えるような空、大きくうねる風景の下で耳を塞ぐ人物の姿が描かれている。ムンク自身のメモによれば、これは自然を貫く叫びに耐えられず耳を塞いでいる姿なのだという。
ムンク美術館・展覧会およびコレクション部長のヨン=オーヴェ・スタイハウグ氏
ムンク美術館・展覧会およびコレクション部長のヨン=オーヴェ・スタイハウグ氏

開幕式で作品解説に立ったムンク美術館の展覧会およびコレクション部長のヨン=オーヴェ・スタイハウグ氏は、この《叫び》を「この作品はムンクが非常に過激で、実験的な試みをしていたことを表しています」と解説。その上で「彼はこの作品で視覚的な手法を研究しました。不安や絶望を伝えるためのいろいろな手法を試しています。例えば、画材としては扱いが難しい厚紙を用い、その上にテンペラや油彩、鉛筆などを使って、普通とは違う方法で自分の持つイメージを伝えようとしています」と説く。
《絶望》 1894年
《絶望》 1894年

そして「これはムンクの多くの作品に共通することですが、彼は人物の顔を通して、観ている人と対決するようなイメージを伝えています。そして遠近法を巧みに使った空間の中で、観ている人を自分が伝えようとするものに引き込もうとしているのです。そうして彼は自分の感情を作品の中でドラマチックに表そうとしたのです」とスタイハウグ氏。

なお、《叫び》の隣には同じ構図で描かれた《絶望》も展示されている。また、スタイハウグ氏が強く激しい感情を伝えている点において「《叫び》と同等に素晴らしい」と語る《赤い蔦》も同じ室内で見られるので注目しておきたい。
《赤い蔦》 1898-1900年
《赤い蔦》 1898-1900年

晩年の作品からムンクの持つ強い生命力を感じる


続く第5章の「接吻、吸血鬼、マドンナ」では、同じく〈生命のフリーズ〉に連なる作品であり、《叫び》同様にムンクの代表作である《マドンナ》のリトグラフなどを展示。

《マドンナ》  1895/1902年 
《マドンナ》 1895/1902年

第6章「男と女-愛、嫉妬、別れ」では、恋愛も達者ではなかったムンクが数多く残した男と女の愛の形が、第7章の「肖像画」ではかの有名なドイツ人哲学者を描いた《フリードリヒ・ニーチェ》などの肖像画が観られる。
右《フリードリヒ・ニーチェ》 1906年 左《エリーザベト・フォルスター=ニーチェ》 1906年
右《フリードリヒ・ニーチェ》 1906年 左《エリーザベト・フォルスター=ニーチェ》 1906年

そして第8章「躍動する風景」、第9章「画家の晩年」では、後年から晩年へと続く作品たちが観られるわけだが、ここでは長きにわたるアルコール依存や精神的な苦悩を越え、40代で故郷に落ち着いたムンクが、それまでと一変して鮮やかで明るい色彩で描いた生命力あふれる作品たちを観ることができる。
《庭のリンゴの樹》  1932-42年
《庭のリンゴの樹》 1932-42年

ムンクというとどうしても「叫び」のイメージが先行し、作家の人間像自体は見落とされがちだ。しかし、約100点の作品を通じて感じたのは、エドヴァルド・ムンクという芸術家が80年という長い人生の中で抱えてきた、まるで荒波のような生命への葛藤だった。さまざまなことに絶望し、苦悩し、それでも描くことだけは止めなかった彼の作品からは、根強い生命のエネルギーを感じ取れる。
BEAMSとのコラボTシャツなど展覧会オリジナルグッズも充実 (※グッズは数量限定のため、売り切れの場合あり)
BEAMSとのコラボTシャツなど展覧会オリジナルグッズも充実 (※グッズは数量限定のため、売り切れの場合あり)

『ムンク展ー共鳴する魂の叫び』は、東京・上野公園の東京都美術館で来年1月20日まで開催。北欧・ノルウェーからやってきた世界的名画と出会う機会を、絶対逃さないようにしよう。

(※作品はすべてオスロ市立ムンク美術館所蔵 (C)Munchmuseet)

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