たったひとりの恩師・若松孝二に身も心も投じて 井浦新「実体験を持った夢を見ていた」

AbemaTIMES

2018/10/12 09:00


 2012年の若松孝二監督逝去から6年がたった今、スクリーンに若松プロダクションのほとばしる熱気が蘇る。近年、『彼女がその名を知らない鳥たち』、『孤狼の血』などで日本映画界に活気を呼び覚ましている白石和彌が、師匠である若松のセンセーショナルな映画作りと、モノづくりに宿すきらめきを、助監督を務めた吉積めぐみの視点で描き出した『止められるか、俺たちを』。AbemaTIMESでは、 白石監督 、若松を演じた井浦新、主演の 門脇麦 と、それぞれのインタビューをお届けする。

今回は、晩年の若松作品でいくつもの時間を共に過ごし、俳優としてのあり方に多大なる影響を受けたという井浦のインタビュー。若松を恩師と仰ぎ、告別式では愛の詰まった弔辞を読み上げた井浦が、その本人を演じるというだけで、覚悟の度合いがうかがえるというもの。実際、映画の中で井浦は自身の持つスタイリッシュなイメージを根こそぎ排除し、豪快で才能に溢れ、映画や周囲の人間と正面から向き合った若松孝二となるべく、身も心も捧げている。作品を通して、「どこかで実体験を持った夢を見ていた感覚」と井浦が表現した若松プロでの躍動、師への想いを聞いた。

―― 前回のインタビュー の取材終わりに、「最低で最高の芝居をしています」と本作についておっしゃっていました。その真意からお聞きしたいです。

井浦:  若松孝二監督は、僕のたったひとりの恩師なんです。恩師を演じるにあたって、自分史上、若松監督に教わったことを全部体の中にためこみ、だけど教わったことをそのままやらないで、ひっくり返すようなことをやっています。「心を見せろ」と若松監督はよく芝居のときに言っていましたが、それは「芝居をするな」ということなんですね。『止められるか、俺たちを』では芝居をしまくって、それ以上に心を見せるという、無茶苦茶なことをしました。

――若松監督が登場するファーストカットでは、声から何から違うので、井浦さんと気づくまで、やや時間がかかりました。

井浦:  声、あのときは出ていたのに、今はもう出なくなりましたからね。アフレコでやったときに、全然出てこなかった(笑)。あのときの自分には戻れないから、やっぱりあのときは「若松孝二監督役」になっていたんだ、と思いました。本当に無茶苦茶なやり方で、若松孝二監督役を演じました。自分も正直、やっているときは「今まで、こんな芝居をしたことないな」と思いましたし、自分でさえ感じたことがないくらい「芝居している!」とも思いましたし。その芝居をしている感覚がどこかでなくなっちゃっていたりもして。若松孝二監督役として、撮影期間は完全に生きてしまっていて、本当に無茶苦茶でした。駆け抜けていた2週間は、毎日現場に行くのが楽しくてしょうがなくて、芝居をしている感じではなくて、みんなで映画をもって遊んでいるな、という感覚で過ごしていました。

――その2週間は、トリップしたというか、全然違う世界にいかれていたような感覚だったんでしょうか?

井浦:  本当にそうです。僕の中では、どこかで実体験を持った夢を見ていた感覚です。会いたい人に会えた感じが、すごくあります。だから「うれしかった」、「楽しかった」気持ちもあるんですけど、今出てくるのは「ありがとう」しかないんです。この機会を与えてくれた若松プロダクション、白石監督、プロデューサー、スタッフ、共演者に「ありがとう」。…若松監督には「ごめんなさい」しかなくて(笑)。

――なんと、そうなんですか(笑)?

井浦:  「めっちゃくちゃにしちゃいました!」と。これから「若松孝二ってどんな人だったんだろう?」と思った方は、僕の若松監督役を観て、「あ、若松孝二ってこういう人なんだ」と思ってしまうだろうな、と。それはまずいんです。あんな人ではありません。もっと、もっと強烈です。僕なんて全然かわいいもんです。

――井浦さんの演じられた若松監督でも、まだかわいいんですか?

井浦:  全然、全然届いていないです。現場中は必死にめちゃくちゃでしたし、自分にとっての無茶苦茶をやり続けていましたけど、仕上がってみたら、若松孝二監督「役」であって、まったくもって若松孝二監督ではないんだな、と本当に思いました。クランクイン前は妙に緊張しかしていなかったですし、それでも気持ちを整えていこうと、若松監督の現場に向かっていくあのときを取り戻しながら入りました。クランクアップを迎えたときにも「いい現場だったな」、「楽しかったな」と思うよりも、まだどこかで夢から覚めないというか。そんな感じで最終日を迎えるのは初めてで、不思議な感じでした。体の中のどこかに監督の面影を感じているけど、ちょっと離れて上から監督は見ているような、もういなくなってしまっているような。

――夢のような撮影中、どのような気持ちでいたんでしょうか?

井浦:  僕の中ではメインイベントがずーーっと続いていたので、シーンによっては「今日はあの人がやってくる」、「今日はこの人がやってくる」と、本当にどのシーンもやっていて面白かった。懐かしい顔ぶれと一緒に芝居をしている喜びを感じながらも、門脇麦さんを始め、若い役者の子たちが新しい風となって、予定調和を壊してくれたんです。

――門脇さん、毎熊克哉さんや藤原季節さんなどの若い俳優たちの存在も、かなり大きかったということですよね?

井浦:  はい。若松監督を肌で感じたことのない子たちが、60年代という時代への素直な憧れや興味、熱量を持ってやってくる現場に一緒にいたので、本当に大きな存在でした。初共演の子たちもいっぱいいて、ひとりひとりの個性や表現を受けながら、「ああ、こうくるんだ!」とか「その言葉って、そういう顔で受け止めるんだ!」という経験ができて、すごく新鮮でした。作品の中でも、彼ら若者たちだけの時間というのがあったじゃないですか?いわゆる、上のやつらがいない時間(笑)。若者たちだけで過ごしているだけの生き生きしている様子は、さらに青春の群像をこちらに突きつけるものがありましたね。

この作品は、若松監督の最後の助監督でもある白石監督が撮る、師匠の物語でもあるわけです。僕にしても、白石監督にしても、若松監督のことを「英雄」として描くつもりはなかったし、だから白石監督は焦点をめぐみさん(門脇演じる)にして、めぐみさんから見る若松プロの面々を作っていきました。みんな若松孝二監督に関わった人たちでやっていたとしたら、センチメンタルなものがずっと漂ってしまって、それこそ監督の英雄譚で終わってしまっていたかもしれないけど、若い世代が来たからこそ、ちゃんと「白石組の青春映画」になっていったんだなと、現場で撮っていても感じました。それはもう、完璧だったと思います。

――井浦さんは、若松監督への弔辞でも「僕の人生を変えてしまうような大きな経験」とおっしゃっていました。さらに言葉にするなら、どんな存在の方ですか?

井浦: 本当に、教えていただいたことだらけです。監督は、役に向かっていく姿勢、作品、映画と向き合うこと、映画で遊ぶことを教えてくださった方です。先ほどお話した「心を見せる」やり方を、初めて言葉で示してくれたのは若松監督でした。僕自身は演技のメソッドを習うなどをまったくしないで、芝居が何かもわからず、ずっと彷徨ってきたんです。芝居ではなく、そこに生きて、そのときの自分の心を包み隠さず毎回むき出しにするしか、やり方がなくて。だから、もっときめ細やかな技術を磨いていけば、あるひとつのシーンがもっと面白くなったり、観る人を裏切ったりできることがあったかもしれないけど、僕はそっちではない。とにかくむき出しで心を見せ続けることしかできなかった。その自分のやり方を言葉で説明することはできなかったんですけど、若松監督が「お前の心を見せろ!」と言ってくれたときに、ようやく気づかせてもらいました。

今まではむき出しでやるしかできなかったけど、むき出し、プラス、技術を入れてみたらどうなるだろう、という実験もできてくるようになったので、きっと若松監督が大事な言葉を現場でずっと僕らに投げかけ続けてくれたからだろうな、と思うんです。結局、今自分がやっていることは、若松監督から教えていただいたことを変わらずにやっていきながら、自分ならではの表し方でブレずにやっている。それがこれからも大事なんだろうな、と思っています。

――観客が、「井浦さん、この作品で心を見せていますね」という表現はできないかもしれませんが、それが「演技、うまいですね」「心を動かされました」という表現に、置き換えられるのかもしれないですね。

井浦:  いえ、くすぐったいですね(笑)。「演技がうまい」なんて全っ然、思っていないので!逆に、「演技、うまいですね」と言われたら、「この方は一体…自分の何を見て……」と、すごく勘繰ります(笑)。「自分の芝居の演技ってどこだろう?何だろう?」と逆に聞きたいと思うほど…。という割には、僕は『止められるか、俺たちを』に関しては、芝居、演技をすっごくしています。でも、その演技を凌駕するくらい、内側の心もむき出しです。そうじゃないと、絶対に若松監督から怒られちゃうので。…いや、若松監督ばりの白石監督から怒られちゃうので(笑)。演技をする分、それが消えるくらいの心を見せるのが、若松孝二監督役をやる上で、初めて自分が味わったことでした。

――本作、若松監督が御覧になったら、何ておっしゃるでしょうか?

井浦:  笑いながら、「バカたれ!」と言うでしょうね(笑)。
ストーリー
 吉積めぐみ、21歳。1969年春、新宿のフーテン仲間のオバケに誘われて、“若松プロダクション”の扉をたたいた。当時、若者を熱狂させる映画を作りだしていた“若松プロダクション“。そこはピンク映画の旗手・若松孝二を中心とした新進気鋭の若者たちの巣窟であった。小難しい理屈を並べ立てる映画監督の足立正生、冗談ばかり言いつつも全てをこなす助監督のガイラ、飄々とした助監督で脚本家の沖島勲、カメラマン志望の高間賢治、インテリ評論家気取りの助監督・荒井晴彦など、映画に魅せられた何者かの卵たちが次々と集まってきた。撮影がある時もない時も事務所に集い、タバコを吸い、酒を飲み、ネタを探し、レコードを万引きし、街で女優をスカウトする。撮影がはじまれば、助監督はなんでもやる。

「映画を観るのと撮るのは、180度違う…」めぐみは、若松孝二という存在、なによりも映画作りに魅了されていく。

しかし万引きの天才で、めぐみに助監督の全てを教えてくれたオバケも「エネルギーの貯金を使い果たした」と、若松プロを去っていった。めぐみ自身も何を表現したいのか、何者になりたいのか、何も見つけられない自分への焦りと、全てから取り残されてしまうような言いようのない不安に駆られていく。

「やがては、監督……若松孝二にヤイバを突き付けないと…」

インタビュー・文:赤山恭子

撮影:You Ishii

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