【今週はこれを読め! ミステリー編】占領下ドイツで生きる少女の過酷な旅~深緑野分『ベルリンは晴れているか』

BOOKSTAND

2018/10/11 18:32

 無理難題を押し付けられた少女が、短いながらも苛酷な旅をする。

『ベルリンは晴れているか』(筑摩書房)はそうしたロード・ノヴェルだ。戦争の爪痕も生々しいベルリンの街を歩き回り、うまくいきそうにない人探しをする。その過程に出会ったもの、見聞した出来事が現実感を伴った筆致で描かれていくのである。

主人公のアウグステ・ニッケルはベルリン在住の少女だ。当時のドイツは第二次世界大戦敗北により、連合国による占領統治下にある。彼女はアメリカ軍の兵員食堂で働いているのだが、ある日ソ連軍のNKVD(内務人民委員部)から呼び出しを受ける。戦時中に潜伏者を匿う活動をしていた男性が、歯磨き粉に仕込まれた薬物で中毒死を遂げた。NKVDの大尉は地下に潜伏したナチスの工作員〈人狼〉の犯行という可能性を指摘した上で、亡くなったクリストフ・ローレンツの甥にあたるエーリヒ・フォルストという男性を探し出すようにアウグステに命じた。彼女は戦時中、クリストフと妻のフレデリカとは近い関係にあった。そこに目をつけられたのだ。被占領国民として逆らえる立場にはなく、アウグステはエーリヒを探し始める。彼女自身にも、クリストフの死を自分の口から彼に告げたいという気持ちがあった。

主筋はこれだけ。戦争に敗けるということは主権を失い、自由を奪われるということだから、アウグステの行程には初めから困難が満ち満ちている。一歩踏み出すごとに危機が訪れ、さらに若い女性であるという条件が苦難を高めることになる。暴力の犠牲になるのはいつも力の弱い者であり、特に戦争のような理性による統御が不可能な場においては、いとも簡単に人間性が踏みにじられる。ベルリンにソ連兵が踏み込んできた際、集団的な女性の暴行事件が発生したが、アウグステもその犠牲者の一人なのである。暴力の恐怖が常に主人公の背後にちらつかされており、そのことが物語に緊迫感を与えている。

主に描かれるのは戦後のベルリンだが、章の「幕間」では1942年から敗戦に至るまでの、ナチスによる統治が進んでいく過去のベルリンの物語が並行して綴られる。主人公たちは敗戦によって自由を奪われたが、それ以前にも全体主義的な支配を進める政府によって別の形で人権を制限されていたのだった。この二つの時間が並行して書かれるために、個人の自由がいかに奪われやすいものか、ひとたびそれが奪われてしまったら回復がどれだけ困難かが強調されることになる。

アウグステの中にはアメリカ軍に解放者として期待する気持ちがあったが、それは裏切られた。ナチスを追放するためにやってきたのは「正義の使者」などではなく、「ドイツ人は全員が総統の信仰者で、全員が同じ思想を持っていると思い込んだ、普通の軍隊」だったのである。実際の歴史においては、夢のような救いの手が差し延べられることなど決してない。「解放」されるのはあくまで体制のみであり、個人はそのまま放置される。そうした現実の非情さが物語全体を通じてシニカルに描かれる。いったん非人間的な方向に国が動いてしまったら最後、逃げ場はどこにもなくなるのである。個人が国に期待できることなどまったくない。むしろ国が自分に何をしでかすのかを、よく目を見開いて監視しなくちゃいけない。佐藤亜紀『スウィングしなけりゃ意味がない』は、そうした個人と国家の関係を主題とした2017年の最重要作だったが、本書にも同作に通底する危機の形が描かれている。可能であれば両作の併読をお薦めしたい。

私が本書でもっとも評価したい点は、すべての登場人物が、他人とは共有できない独自の行動律を持って動いていることである。そのために彼らの歩行は奇妙な軌跡を描き、予想もつかない箇所で交錯する。

たとえばアウグステと行動を共にするファイビッシュ・イスラエル・カフカという男がいる。彼は俳優で、戦時中はナチの作る映画に出演していた。いかにもユダヤ人という顔立ちをした彼はスクリーンの中で期待されるユダヤ人の役回りを演じることで糧を得ていたのである。戦争が終わり、民族浄化政策は消滅した。カフカを縛るものは、もはや存在せず、自由にどこにでも行けるはずである。にもかかわらず彼はなぜか生きにくそうであり、ソ連軍の手先として使われることを選択する。

カフカの不思議な行動は、それまでの彼の生き方によって選択されたものだ。それぞれの人間は決して合理的とは言えない行動をとる。内面に入って心の中を覗くことが可能にでもならない限り、その人物がいかなる規則に沿って生きているか、どのような欲望に衝き動かされているかを知ることはできない。そうした個人の特殊さ、他との孤絶されたありようというものが、本書の基幹をなしている。全体主義国家が個の持つ意味を無視し、権利を可能な限り縮小しようとするのは、この無秩序さを嫌うからだろう。ナチス・ドイツ史に触れることより、国家のそうした側面についても言及される。

本書をミステリーとして読むと、最後に一つの「なぜ」という疑問に行き当たるはずだ。ある登場人物がそのような行動を取ったのはなぜか、という謎である。この「なぜ」は、人間をそのような状態にさせてしまうものは何なのか、という形に改めることもできる。人の孤独さを描いた小説だからこそ書きえた問いであり、心に留めておいて、折にふれて考えてみたい気持ちにさせてくれる。

(杉江松恋)

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