生きること、作ること。カラフルな音楽に彩られ、名画『生きる』のミュージカル化が実現

SPICE

2018/10/8 11:00


『七人の侍』『羅生門』『用心棒』などの傑作映画を残し、“世界のクロサワ”として世界中に影響を与えた黒澤明監督。その代表作の一つである『生きる』が、黒澤没後20周年の今年、ミュージカルとなった。作曲&編曲を手がけたのは、『若草物語』(作曲)、『ジキル&ハイド』『レ・ミゼラブル』(音楽監修・指揮・編曲)等のミュージカル作品でブロードウェイで活躍するジェイソン・ハウランド。『アナと雪の女王』の訳詞で話題を呼んだ高橋知伽江が脚本&歌詞を担当、宮本亜門が演出にあたっている。胃がんで余命半年の宣告を受け、市民のための公園作りに残りの命の時間を燃やす主人公・渡辺勘治役をはじめ、物語の狂言回し的な役どころである小説家、ヒロイン・とよ、そして主人公の息子・光男の妻である一枝の四つの役柄がダブルキャストの競演となっている。主人公=鹿賀丈史、小説家=新納慎也、とよ=唯月ふうか、一枝=May’nの回の最終舞台稽古を観た(10月7日13時半、赤坂ACTシアター)。
左ー市原隼人、右ー鹿賀丈史 (c)引地信彦
左ー市原隼人、右ー鹿賀丈史 (c)引地信彦

原作となった映画が発表されたのは昭和25年で、物語の舞台も同年。それから66年が過ぎて昭和は平成となり、その平成も終わろうとしている。医療の進歩によりがんはかつてのように必ずしも不治の病ではなくなった。がんと告げられても人々はこの映画が登場した時代のように“死刑宣告”とは受け取らないだろう――主人公をダブルキャストで演じるもう一人、市村正親からして、胃がんのサバイバーに他ならない。また、この物語で描かれるところの硬直しきった官僚主義、お役所仕事ぶりも、平成の世にあってはいささか前時代的ではある。そんな、第二次世界大戦後の昭和という明白な時代性を帯びたこの物語を、後ろ向きなノスタルジーにのみ浸ることなく、貧しさの中にも希望が輝いていたかつての時代へとオマージュを捧げつつ、いかに今の時代にも通じる普遍的なものとして提示できるか。そんな難題を見事クリアした宮本亜門の演出が冴える。キーワードは、“作る”である。胃がんの宣告で呆然とした主人公は、生の活力に満ちた若い女性、とよに心ひかれる。彼女は彼に言う。私は仕事でおもちゃを作っているけれども、そんな生活の中にも楽しみがある。おじさんも何か作ってみたら――と。その一言で、主人公は自分に残された最後の生の時間に、もてる力のすべてをふりしぼり、市民のための公園作りに奮闘するのである。作ること。人のために、何かを。客席に集う観客のための、人々の前向きに生きる気持ちをかきたてるような舞台作品もまた、演出家をはじめとするスタッフとキャストが“作る”ものである。ここに、舞台人・宮本亜門の矜持がにじむ。その眼差しの先には、最期の瞬間まで命を燃やして創造に賭けたアーティストたちと、彼らへの敬意の念――筆者としては、宮本と同じ演出家として、幾度となく病に倒れても起き上がり、まさに死の刹那まで命を燃やし続けた故蜷川幸雄を思い出さずにはいられなかった――がある。

主人公に生きることの意味を今一度考えさせるきっかけを与える、とよ役の唯月ふうかがとてもいい。今年6月の『夢の裂け目』でも、戦後の時代をけなげに生き抜く昭和の女性の役どころで好演を見せていた。とよは、日々の暮らしの中の小さなことにでも喜びを見つけることのできる、人生を楽しむ才能にあふれた女性である。唯月は、澄みきったかわいらしい歌声のうちに、とよが謳歌するところの生の喜び、その活力を表現してゆく。そんなとよに接するうち、心の変化を見せる主人公・渡辺勘治として、鹿賀丈史が実にナイーブで朴訥とした魅力を見せる。明るく素直なとよに対し、恋心ということではなく、一人の人間としておずおずと心を開いていく様は、大ベテランながら初々しい純情にあふれている。自分は今日から生まれ変わるのだと歌い上げる「二度目の誕生日」をはじめとしたナンバーでは、黙してあまり語らない昭和の日本の男性だからこそ、その内面を今ここで歌によって吐露しているのだ――というところを見事体現、この名作のミュージカル化の意義を示してみせた。
左ー唯月ふうか、右ー鹿賀丈史 (c)引地信彦
左ー唯月ふうか、右ー鹿賀丈史 (c)引地信彦

主人公と夜の街で出逢い、彼の夢の手助けをすることとなる小説家役の新納慎也は、ニヒル転じて義侠心を見せる役どころを好演。主人公を苦しめることとなる助役を演じる山西惇も、ミュージカル出演がすっかり板についてきた感がある。街に公園を切望する市民の女性たちの描写もヴィヴィッドで、十把一絡げ的におばさん扱いするところが決してないところに、一人一人に対する演出家の温かな眼差しが感じ取れる。

ジェイソン・ハウランドの楽曲は非常にわかりやすく耳馴染みよく、どこかオリエンタルなムードをもたたえたもの。黒を基調に赤を効かせたポスターやチラシ等の宣伝ヴィジュアルとは異なり、実にカラフルな色彩にあふれた音色を楽しむことができる。

人とは、生まれてきた瞬間から、限りある命を生きる宿命にある。病や老いは、人がどこか忘れがちなその命の限りを、教え諭してくれるものである。限りあるこの時間を、いつか必ずや訪れる死に向かってただ空しく歩んでいくのではなく、最後の最後の瞬間まで生きる、生ききる上で、必要なもの、大切なものとは、何なのか。人それぞれの数だけ異なる答えがあるであろうその問いを投げかけてくる、そんな深い意味をもつ舞台作品である。
左ー鹿賀丈史、右ー新納慎也 (c)引地信彦
左ー鹿賀丈史、右ー新納慎也 (c)引地信彦

最終舞台稽古終了後、メインキャスト8人及び演出家、作曲家も揃ってのフォトセッション、そして市村正親、鹿賀丈史、主人公の息子・光男役を演じる市原隼人と宮本亜門が並んでのフォトセッション及び囲み会見が行なわれた。

プレビュー公演を夜に、初日を明日に控えての意気込みを問われ、最終舞台稽古を終えたばかりの鹿賀は、「亜門さんの演出、ジェイソンさんの作曲もあって、非常にすばらしい作品ができあがったと思います。事件や震災、台風などあり、“生きる”ということについて考える方も多いと思いますが、舞台をご覧になっていただいて、ぜひ生きる力を持って帰っていただければと思います」との言葉を。「以下同文です。すばらしいコメントだったので。この後プレビュー公演があるのであまりエネルギーを使いたくない(笑)」とまずは笑いを誘った市村正親は、「皆の力が結集して黒澤明監督の映画に負けない、ミュージカル『生きる』ができあがったなという感じがしています。昨日僕も舞台稽古をやりまして、客席でお客さんがたまらなくなっていて……という話を聞いているので、上手く行っているんだなと思います」と語った。

演出の宮本亜門は「黒澤明監督の名作の舞台化ということで、この作品を作り上げることが人生で一番の、吐きそうなほどの責任感とプレッシャーがあり、この三年間、葛藤もあった。今はあまりにも幸せで、明日死んでもいいくらいの気分。いや、生きますけれども(笑)。これからますます第二の人生が始まるんで、還暦でこの作品ができたことに本当に感謝しております。キャストもスタッフも見事にこの三年間いろいろと一緒に練り上げてきて、今、日本初の作品を、自信をもってお届けできることとなっています。映画を百回近く観ているんですけれども、あまりにもよくできていて、これに手をふれてはいけないのではないかという恐怖感から始まったんですが、敢えて解体させていただいて、ミュージカルなりのおもしろさを考えて。台本も何度もやり直し、役者の皆さんにも相談して、ちょっとこれは、黒澤さんも天国で、おおっと喜んでくださっているのではないか、全部とは言わないけれども(元の映画を)ちょっと超えているところもあるんじゃないかなと」と、舞台の仕上がりに確かな手応えを感じてかテンションは高い。

これがミュージカル初挑戦となる市原は、「ミュージカル初挑戦がこのカンパニーでよかったなと。あとはお客様のためにしっかりと作り上げていきたい。市村さんも鹿賀さんも、たたずまいからだけで刺激を受けていますし、どこからが芝居でどこからがそうでないのかわからなくなるくらいで、自分も舞台で実際に本当に泣いていたりして、ものすごく助けられています。歌については気持ちをこめて歌っていきます」と意気込みを。鹿賀からは「本当に熱心でストレートな方」、市村からは「僕と同じタイプ、気持ちで芝居をし、気持ちで歌を歌うので、やはり親子だなと感じる」、そして演出の宮本からは「演技もそうですが、稽古にも本当に一途で熱心な人。これほど稽古中に変わっていってよくなった方をちょっと知らない」と評され、「舞台にはその人の品が出ると思うんですが、僕は宮本さんの品が大好きです」と市原が返す一コマもあった。

ダブルキャストということで、お互いのゲネプロを観たかどうかについては、「僕は稽古場から含めて一回も観ていない。千秋楽近くに観ることになるんじゃないかな」(鹿賀)、「僕はしょっちゅう観ていて、おいしいところはいっぱい盗んでいる(笑)」(市村)と、対照的なところを見せた二人。主人公と同じく余命半年の宣告を受けたらどうするか? との問いに対しては、「僕はコウエンを作ります。芝居の公演ですよ」と鮮やかな切り返しを見せた市村。鹿賀は、「そうなってみないとわかりませんね。想像できないですね。この劇中で渡辺勘治という役を演じていて、彼はその宣告を受けてから生き始めるわけですけれども、自分の中では考えられないことを劇中で表現できますので、芝居をやっていておもしろいというか、自分から湧き出る思いを演じられるのでやり応えがある」との返答。市原も「なってみないとわかりませんが、僕は人見知りで前に出るのが苦手で、すごく芝居というものに助けられているので、最後まで芝居をしていたい。笑ってもらったり、人と人をつなぐ絆になったり、そういったことができれば」と、役者魂をのぞかせる。宮本は、「今日の舞台稽古、実は91歳の親父が車椅子で観に来て、号泣して、『俺もっと生きるよ』って僕に言って帰ったんですね。この10年、どんどん身体が悪くなっていっていて、足腰にも痛みがあって、まさに渡辺そのものなんです。それでも超えて行けるかというところで親父を勇気づけることができたみたいで、ちょっとうれしかった。自分がそこまでできるかなって、舞台をやりながら、そうありたいと願いますけれども、いや、渡辺勘治はすごいなと、この作品を通じて思いましたし、黒澤監督はすごい作品を作っているなと思いました」と語った。

その宮本に、物語のどんなところにもっとも共感を寄せて演出をしているのか尋ねたところ、「このお二人の渡辺勘治を観ていて、自分が号泣していてどうするんだと演出家として思うんですけれども(笑)、やっぱり心にふれてくるのは、人は、余命宣告を受けるという究極の状態になって、ああ、美しいとか、普段見慣れてしまったものに対しての見方が変わる瞬間がある、そういうときに僕は感動しちゃうんですね。自分がどれほど慣れたつもりでいるのか、新たに教えを乞うというか、やはり無駄に生きたくないというところで、今回、特に二幕、映画とは違って、渡辺勘治が、巨大な壁が落ちようとも必死で生きていく、それはもしかしたら余命というものを意識しなければ出てこないエネルギーなのかもしれないけれども、生きることの凄み、すばらしさというものはやはり大切にしたいなと思って演出しています」と、熱く熱く語っていた。

取材・文=藤本真由(舞台評論家)

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