今回の自民党総裁選は「石破の善戦」というより「青木の勝利」だ――倉山満

日刊SPA!

2018/10/8 08:32



― 連載「倉山満の言論ストロングスタイル」―

◆今回の総裁選は「石破の善戦」というより「青木の勝利」と評すべき

青木幹雄、恐るべし。

自民党総裁選挙は、誰もが予想した通り、安倍晋三首相の3選となった。対抗馬は石破茂氏ただ1人。申し訳ないが、人望がないので有名な候補だった。どんな負け方をするか、日本中が興味津々だった。

しかも誰もが、石破氏は安倍首相の仇敵であると知っている。安倍首相は――いまだに青木氏の影響下にある参議院竹下派以外の――全派閥を結集し、本気で石破氏の政治生命を叩き潰そうと狙っていた。自民党の常識では、挑戦者と一騎打ちとなった場合、現職総理はトリプルスコアで勝つのがノルマである。石破氏は200票を切れば政治生命は終わり、250票ならば大善戦と思われていた。

ところが、安倍首相553票に対し、石破氏は255票(無効票2票)。安倍首相はダブルスコアでしか勝てなかった。安倍陣営は、よほどの熱心な“信者”連中以外は驚愕したはずだ。「あの石破ですら、青木幹雄一人がついただけで、ここまでの大善戦をするとは」と。

石破氏は810票中255票で31.3%。しかも党員票では45.5%も奪われてしまった。石破派20人に参議院竹下派を足しても41人。安倍支持は259人。6倍差で票集めの競争をして、この結果。善戦ではなく、大善戦である。

石破氏の大善戦ぶりは、自民党総裁選の歴史を見ても明らかである。

麻生太郎氏が福田康夫氏に挑んだ時は、527票中197票で37.3%。かの小泉純一郎氏は、橋本龍太郎氏に挑んだ時、391議席中87議席で22.2%。いずれも自派閥以外の全派閥を敵に回しながらも健闘したとして、次の総理候補として認知された。ただし、福田氏も橋本氏も現職総理ではなかったが。

石破氏も意識し、今回と似ているのが、昭和45年総裁選である。

4選を目指す現職総理の佐藤栄作に対し、小派閥の領袖にすぎない三木武夫が一騎打ちを挑んだ。佐藤は全派閥を締め上げ、立候補しようとしていたもう一人の対抗馬の前尾繁三郎の出馬をやめさせている(勘の良い読者は岸田文雄氏とそっくりではないかと想像したかもしれないが、岸田氏は前尾が率いた派閥・宏池会の後継者である)。

佐藤は「100票以下に叩き落とし、三木の政治生命を奪ってやる」と息巻いた。三木派以外の全派閥が雪崩をうって佐藤陣営に馳せ参じ、三木の票は70票ではないかと予想された。ところが、ふたを開けてみると、全467票中(無効票3票)、佐藤は353票。対する三木は111票。23.7%の票を獲得した。

佐藤の怒り狂い方は尋常ではなく、予定していた内閣改造を取りやめてしまったほどだ。

また、安倍首相が他山の石とすべきは、昭和34年総裁選だと考える。

時の首相は岸信介。安倍首相の祖父である。岸派を、佐藤栄作・大野伴睦・河野一郎の三派が支えていたが、池田勇人・三木武夫・石井光次郎の三派が反主流派として抵抗して内閣を揺さぶっていた。そこで岸ら主流派は総裁選を1か月繰り上げるという奇襲を強行した。反主流派の準備ができないうちに岸再選を固めようとしたのである。確かに奇襲は功を奏したが、反主流派は3日しか準備期間がなかったにもかかわらず長老の松村謙三を擁立し、岸現職総理320票に対し166票を集めた。岸は現職総理でありながら、ダブルスコアでしか勝てなかった。

危機感を覚えた岸は主流派入れ替えを断行。大野・河野を放逐し、池田・石井を主流派に呼び込んだ。大野と河野は「岸内閣を支えているのは我々だ」との増上慢な態度を隠しもせず、岸の総理としての権威はなきが如しだった。岸は政権を強化すべく、昨日までの友と敵を入れ替えたのだ。

当時の岸がやりたかったのは日米安保条約改正である。当時の安保条約は、事実上は占領体制の継続であった。たとえば、日本で内乱が起きれば米軍が出動できる。と聞いてもよくわからないかもしれないが、要するに、日本人の意思など無視してアメリカ人が日本列島の支配者として振る舞うということだ。秩序に責任を持つのが支配者だからだ。岸はこれをやめさせようとした。

岸は弱体政権ながらも何とか安保改正をやりきったが、政権の命脈は尽き、翌年に退陣に追い込まれた。

トリプルスコアでも激怒、ダブルスコアなら政権黄信号。この歴史を安倍首相は、どう捉えるか。安倍首相の悲願は憲法改正らしいが、岸首相の安保改正のように、政権と引き換えに値する内容であるかどうか。

安倍首相は、「憲法9条改正と消費増税10%」を掲げて総裁選挙を勝った。来年は統一地方選挙と参議院選挙がある。選挙の年に改憲と増税を掲げるなど正気を疑う。

そこにお灸を据えたのが、青木幹雄氏だ。今回の総裁選は、「石破の善戦」と言うよりも、「青木の勝利」と評すべきだ。青木氏の影響下にある参議院竹下派が味方しただけで、この結果なのだから。

◆青木氏は煮ても焼いても喰えない、練達の政治家である

そもそも、青木幹雄とは何者か。

昭和9年島根県生まれ。学生時代は、早稲田大学雄弁会幹事長。大学を中退して竹下登の秘書となり、33歳で島根県議(5期)、52歳で参議院議員。あらゆる政局で「竹下の側近中の側近」として活躍する。初入閣は官房長官。竹下の死後は、小泉純一郎を担ぎ、「参議院のドン」となる。引退した今も、参議院竹下派に多大な影響力がある。

要するに、40年以上も親中派の竹下に面従腹背しつつ、5年の小泉親米内閣で権勢を握ったのだ。

一般の評価は「政策に興味がない利権政治家」だが、極めて疑わしい。小泉内閣は、それまでの親中政策をすべてひっくり返した。当時のブッシュ大統領との蜜月は、今の安倍・トランプとは比較にならない。5人だけとはいえ、北朝鮮拉致被害者を奪還した。これにより一夜にして日本の世論は「北朝鮮許すまじ」と変わった。そうした小泉内閣を支えたのが、青木氏である。

青木氏は滅多に本心を明かさない。煮ても焼いても喰えない、練達の政治家である。しかし、少なくとも麻生太郎や二階俊博を信じるよりは希望がある。

今後、日本政治を語る上で、「青木幹雄」の名前を出す者は本物、出さない者は偽物と決めつけてよい。

果たして青木氏は、日本の救世主か。それとも大悪魔か。

【倉山 満】

憲政史研究家 ’73年、香川県生まれ。’96年中央大学文学部史学科を卒業後、同大学院博士前期課程を修了。在学中より国士舘大学日本政教研究所非常勤職員として、’15年まで同大学で日本国憲法を教える。’12年、希望日本研究所所長を務める。同年、コンテンツ配信サービス「倉山塾」を開講、翌年には「チャンネルくらら」を開局し、大日本帝国憲法や日本近現代史、政治外交について積極的に言論活動を展開。ベストセラーになった『嘘だらけシリーズ』など著書多数

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