教えをしっかり守った酒造り。宮城県「男山本店」若手杜氏の快進撃

Walkerplus

2018/10/8 08:00

■ 震災を乗り越えた“もろみ”から、どうにか酒を搾りたい

カツオやマグロ、サメにホヤ。宮城の県北、岩手県との県境に位置する気仙沼市は、日本有数の漁港として知られる。遠洋から船が戻ると港は買い付け業者でにぎわい、ひと息ついた漁師は街へと繰り出していく。

そんな港の文化が息づく気仙沼で、大正のころから酒造りに励んでいるのが男山本店である。実直な酒造りで知られ、現在の社長である菅原昭彦さんで4代目となる老舗だ。看板商品の『伏見男山(ふしみおとこやま)』に加えて、気仙沼の蒼い海と空をイメージした『蒼天伝(そうてんでん)』が話題となっている。

男山本店があらためて注目されたのは、東日本大震災がきっかけだった。酒蔵の被害はなかったものの、酒の販売と本社を兼ねた店舗が津波で流出。この建物は、国の有形文化財として登録されていた貴重なものだった。

「1896(明治29)年の大津波の教訓を活かし、酒蔵は高台に建てていたから助かったんです。地盤も固かったので、お酒は1本も割れませんでした」と、菅原さんは話す。

気仙沼は大きなダメージを受けたが、菅原さんはその翌日から蔵に戻った。蔵には市外から働きに来ていて帰宅できなかった杜氏と、社員が残っていた。

「蔵に戻り、在庫の確認をしていたら、奥に2本のタンクのもろみが、倒れず、こぼれることなく残っていたんですよ」。

2011年の最後のもろみ。無傷で残ったのは、まさに奇跡のようだった。2本のもろみを前に、菅原さんと杜氏はもろみの管理を再開することを決断した。しかし、電気も水も使えない状況で酒が搾れるのか。不安ばかりが募った。

「普段はクーラーや分析機器を使用し温度管理をするのですが、その時は杜氏の手の感覚頼りな状況でした。まあ、人力で賄えるところはよかったんですけど、もろみから酒を搾るにはどうしても電気と水が必要です。杜氏も私の顔を見るたびに、“電気と水!”と言うので、プレッシャーでした」と当時を振り返る。

残った2本のもろみを前に、菅原社長が諦めかけた瞬間に救いの手が差し伸べられた。

「近所の方が産業用の発電機を『貸してやる』と言ってくださった。でも、当時は軽油が不足していました。もうダメかと落胆していると、ガソリンスタンドを経営する後輩が燃料確保の協力を申し出てくれたんです。

『被災地でモノをつくることが、みんなを元気づけるんだからがんばってください』と言われて。本当にありがたかったです」。

こうして、生き残った2本のもろみから酒を搾ることに成功した。

■ 世界から寄せられる支援の声。いい酒をつくって恩返ししたい

「その様子はテレビの生中継が入るほどに注目されました。搾ったお酒を口にしたとき、ものすごくホッとしました。あるテレビ番組のレポーターさんも、私どものお酒を口にして、涙を流していました」。

さらにこの出来事をきっかけに、たくさんの方から応援の言葉をもらうことができた。

「テレビで私どもの現状をご覧になった九州にお住まいの方からお手紙をいただいたんです。そこには『私の高齢の父親は『伏見男山』での晩酌を毎日の楽しみにしています。今回、被災されたと聞き及び、父も大変落ち込んでいましたが、ニュースでお元気な姿を拝見して父も元気を取り戻しました。一日も早い復興をお祈りします』と書かれていました」と、菅原さん。心を動かされたという。

「日本だけではなく、海外のお客さまからも心配してくださる声をたくさんいただきました。涙が出るほどうれしかったですし、同時にこれまでの商いについてものすごく反省をしました。

というのも、これまで販売や卸は商社任せで、どこにどの商品がどのくらい行っているのかなんて、気にかけたこともなかったもので…」。

さまざまなものを奪った震災だが、菅原さんに大きな気づきと気持ちの変化をもたらしてくれた。

「お客さまの顔が見えるようになりました。もっともっと誠実によい酒造りがしたいと決意しました」。

奇跡のもろみを搾った酒は、復興支援の意味もあり多くの引き合いがあった。

「震災を逃れた在庫もありましたし、そのうえ2本のもろみも搾ることができた。それでも足りなくなりそうだったので、2011年は夏の酒造りもすることになりました」。

花巻に戻っていた杜氏を呼び戻し、夏から仕込みを始めた男山本店。どっぷりつかっていた伝統から抜け出し、お客さまのための酒造りに専念できる体制が生まれた。そう思った矢先、杜氏が「辞めたい」と言い出した。

「『もう故郷に引っ込んで、ゆっくり過ごしたい』と。うちは南部杜氏の蔵でしたから『ああ、これで終わったな』と思いました」。

■ 教えをしっかり守った酒造り。若手杜氏の快進撃

菅原さんが頭を抱えていた時、杜氏から指名されたのが、当時、主に営業を担当していた柏大輔さんだった。

「営業で採用した人材でしたが、2002年ころから開発に乗り出した新しい酒の造りにも関わっていたことがありました。いわゆる門前の小僧というやつですよね。

震災の前だったら、柏が『やれます』と言っても『いやいやいや』となっていたのでしょうけれど、よくも悪くも震災を経験したことでチャレンジをいとわなくなっていた。それで『じゃあ、やってみなよ』ということになったんです」。

菅原さんにとっては賭けにも等しい挑戦。しかし、柏さんは大化けした。

12年の造りではこれまで入賞できなかった南部杜氏の品評会で、純米吟醸部門でトップを獲得したのだ。

「知識がなかった分、先代の杜氏の言っていたことをしっかり守ったのが大きかったのかもしれません」と菅原さんは言う。

先代杜氏の教えとは、蔵の掃除をしっかりすること。そして、みんな仲良くすること。

「蔵の人間関係がトゲトゲすると、それがお酒の味にも現れるんだそうです」と菅原さんは笑うが、あながち間違っていないようだ。

ちなみに、震災で人目に触れる機会が多くなった『蒼天伝』だが、実は「伏見男山に次ぐブランドを」と以前から研究を重ねてきた酒だった。

「気仙沼の蒼い海と空をイメージしています。さらにカツオやサンマなどの青魚に合う酒をつくろうと、試行錯誤。スッキリとしたのみ口の酒に仕上がりました」。

完成した『蒼天伝』は、今や日本にとどまらず、各国の品評会でさまざまな賞を受賞するまでの酒に成長した。

「よくも悪くも、震災が僕たちを大きく変えた。あの悲劇を生き延びた者としてやらなくちゃいけないことがあると思うし、これからも挑戦する気持ちを忘れずにやっていかなくちゃいけませんね」。

そう言って笑った菅原さんの表情は、気仙沼の海や空のように澄み渡っていた。

※KADOKAWA刊『会いに行ける酒蔵ツーリズム 仙台・宮城』より(東京ウォーカー(全国版)・栗原祥光)

https://news.walkerplus.com/article/160817/

あなたにおすすめ

ランキング

もっとよむ

注目ニュース

もっとよむ

あなたにおすすめ