「一人っ子の女の子として酒蔵に生まれた意味はなんだろう」。宮城県・川敬商店の挑戦

Walkerplus

2018/10/7 17:00

「ぜったいに継がない、と思ってました。酒造りによいイメージなんて、ぜんぜんありませんでしたよ」

15年連続金賞の『黄金澤(こがねさわ)大吟醸』をつくる川敬商店。その一人娘であり、昨年から酒造りを任されている川名由倫(ゆり)さんは、学生時代のことを思い出し、そう苦笑する。川名さんにとって、酒造りは「報われないもの」の象徴だったという。

「父はもともと蔵元の仕事が中心でしたが、私が中学生くらいの時から酒造りにも関わるようになりました。夜中でも早朝でも関係なく、心身をすり減らしながら蔵に行く父の後ろ姿を複雑な気分で見ていたのを覚えています。

大変なだけならまだしも、1998(平成10)年ごろは、日本酒の消費が落ち込んでいる時期でした。いくらよい大吟醸をつくっても、全く売れず、普通酒にブレンドして売っていたこともあったようです」と川名さんは目をふせる。

「中学の多感な時期にそういう姿を見せられて、辛い上に報われない仕事をするなんて…と。酒蔵のご子息は、東京農大などで酒造りを学ぶのが普通ですが、私は法学部で社会科の先生を目指す道を選びました。父は、なにがなんだかわからないという顔をしていましたね。継がないなんて想像もしていなかったって」。

大学の友人と飲み会に行っても、日本酒には一切口をつけなかった。教員免許も取得し、教職ではなかったものの仙台の企業に内定も取れた。酒とは無縁の道。第一歩を踏み出そうとした時、東日本大震災が起きた。

「この蔵も大きな被害を受けましたし、友人が被災したり、身の回りでたくさんの変化がありました。その時、自分が生まれてきた意味ってなんだったのかなって、あらためて考えたんです。一世代前は女人禁制だった酒蔵に、女の子として、しかも一人っ子で生まれてきた意味はなんなんだろうって。神さまは、私に何を求めているんだろうって」。

川敬商店を継ぐことを考え始めた川名さん。本当に継ぐかどうかはともかく、家業の酒造りとはいったいどういうものなのか知ってみようと、酒類総合研究所で行っている40日間の講習会に参加した。

「やってみたら、酒造りもけっこうおもしろかった。じゃあいいかな、と、半分ノリで川敬商店に入社しました」。

それが2012年の秋のこと。その年の仕込みから酒蔵に入り、17年の造りから一部のタンクを任されるようになった。

「これまで自分なりに一生懸命やってきたつもりでしたが、重圧がぜんぜん違いました。父や今までの杜氏さんも、こうやって一冬一冬つくってきたんだと身をもって感じました」。

■ できることはやりつくして、それでも後悔、後悔

はじめて自分が仕込んだ酒をのんだ時、さまざまな後悔が襲ってきたという川名さん。

「できることは、本当に全部やりました。それでも、もっとこうすればよかった、ああしておけば違ったかもという気持ちが出てくるんです。でも“よし、これで満足だ!”という酒ができたら、そこで成長が終わってしまうような気がするんですよね。後悔はあって当たり前。来年の課題として、持っていけるようにしたいと思います」。

おすすめの酒はなんですかと聞くと『黄金澤 山廃 純米酒』を出してくれた。

「山廃仕込み」は、麹のつくり方の一種。通常は乳酸を添加してスピーディに仕込みを行うが、山廃仕込みは乳酸を添加せず、蔵にもともと付いている乳酸菌だけを使い、じっくり醸造していく。

通常の手法より、重厚で、複雑な味わいの酒になるのが特徴だが、黄金澤の「山廃」はそうではないという。

「ライトな口当たりで、軽快なんですけど、しっかり芯が通った味になっているんです。山廃に抵抗がある人も、これはのめると言ってくださいます。うちの山廃のいいところは、味が崩れないところだと思います。背骨がしっかりしているので、ロックでもお燗でも、その温度なりのよさを見せてくれます」。

なぜ山廃にこだわるのか。理由は「より自社らしさが出る仕込みだから」と言う。

「買ってきた乳酸を添加するなら、どの蔵でも同じになっちゃう。山廃なら麹室などにいる乳酸菌を使って仕込むので、自社らしさが顕著に出るんじゃないかなと思うんです」。

最近では日本酒好きの女性も増えてきた。日本酒デビューした女性たちに末永く楽しんでもらうために、女性ならではの視点を活かしたラベルも開発している。地元宮城の食用米『ひとめぼれ』を用いた酒は、ピンクの紙にハートがくりぬかれたかわいらしいラベルにした。

「日本酒業界全体が生き残っていくために何をすればいいのかと考えています。自分の蔵だけボロ儲けしても仕方ないですし、みんなが盛り上がっていくため、私にできるお手伝いをしたいです」。

■ いつもきれいに、楽しそうに。日本酒の魅力を伝えるお手伝いがしたい

川敬商店は、1902(明治35)年に創業。隣接する涌谷(わくや)町で金物商を担っていた商人が、酒造りに「転職」した。金の採掘で有名な涌谷の商人が醸したということで、銘柄は『黄金澤』と付いた。

「通常、酒造りをしようという人は、水がきれいなところを探すんですが、私たちのご先祖さまは、あえて沼地だったこの場所を選びました。水が悪ければ同業他社が近隣に増えないだろう、地主が多い土地だから酒の需要も多いだろうと、完全に商人の視点ですよね。おかげで今も水には苦労しています」。

現在は蔵でろ過した水を使用しているが、酒造りはわからないことの連続。そんな時、川名さんを助けてくれるのが、宮城の酒蔵の先輩方だという。

宮城の酒蔵は今、20~40代の若手蔵元が元気だ。若手の7つの蔵が共同で酒をつくる「DATE SEVEN(ダテセブン)」は、各蔵のチャレンジが詰まっていると熱い視線が注がれている。東京で行う日本酒のイベント「若手の夜明け」は、今年先輩から幹事に任命された。

「おれたちはもう若手じゃないから次は君たちががんばれって。宮城の蔵元たちは本当に仲がよい。わからないことがあったら教えてくれますし、見せてくださいと言ったら蔵の中も見せてくださいます。みんなある面ではライバルなのに、フラットにかわいがってくださいます。足の引っ張り合いもないですしね。

だから、こういう会に参加できるのはとても楽しいですし、うれしいことです。だけど、先輩方はみんな勉強熱心で、毎年よいお酒をつくっています。私もここに交ぜてもらうためには、恥ずかしくないお酒をつくらないとな、って思います」。

川名さんは、全国でも珍しい女性蔵元として、講演会にイベントにひっぱりだこだ。

「日本酒=渋いおじさん、というイメージを払拭したいと思っています。だから、私も疲れた顔をしないで、元気に楽しそうに、いつもこぎれいにしていないとな、と。私がお手伝いすることで、日本酒をのんでみよう!という人が増えたらいいなと思っています」。

※KADOKAWA刊『会いに行ける酒蔵ツーリズム 仙台・宮城』より(東京ウォーカー(全国版)・栗原祥光)

https://news.walkerplus.com/article/160804/

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