有村架純がキスで「脱皮」? 過剰に意味づけされる女優の性的なシーン

wezzy

2018/10/5 23:05


 10月9日よりスタートする連続ドラマ『中学聖日記』(TBS系)で主演を務める有村架純(25)。有村は男子生徒と恋愛関係になる中学教師・末永聖(ひじり)を演じるのだが、そんな彼女について、「週刊新潮」2018年9月27日号(新潮社)は「ずぶの素人との接吻が脱皮の試金石という『有村架純』」との記事を掲載。このドラマで彼女は女優として一皮むけようとしているとの内容だ。

記事で有村の相手役となる男子生徒を演じる俳優・岡田健史(19)はドラマ初出演で演技経験もない<正真正銘の素人>であるため、<教師役の有村と生徒役の岡田とのキスシーン>があることについて、<有村ほどの売れっ子が、ずぶの素人とのキスに、抵抗はないんだろうか>と危惧する。双方の役者に対して失礼極まりない言い草だ。

そのうえで、有村は<案外前向き>だとして、有村に近い芸能関係者の「女優として一皮むけるためにも、なんでも取り組まなきゃ、という姿勢です」というコメントを紹介。ドラマ『中学聖日記』の演出には、有村の主演映画『コーヒーが冷めないうちに』(10月21日公開予定)で監督を務めた塚原あゆ子氏も名を連ねているため、有村は塚原氏に心酔しており、「塚原に指示されたのなら、スキャンダラスな内容でもなんでも喜んでやるし、それを通して“脱皮”したいと思っているんです」とも。昨秋公開の映画『ナラタージュ』で、松本潤とのラブシーンがあったことで「松潤ファンの“恨み”を買った」ものの、「今回は相手が無名の素人だから、ファンのバッシングにおびえることなく脱皮できます」と言う民放関係者のコメントもある。

上記の記事に顕著なように、女優が“スキャンダラスな内容”の作品に出演したり、ラブシーンや濡れ場を演じることは、いちいち“脱皮”や“体当たり”と受け止められる。有村架純はドラマや映画の主演に度々抜擢されるような売れっ子女優であり、昨年主演を務めたNHK連続テレビ小説『ひよっこ』に代表されるように清純派女優のイメージが強く定着しているため、これまでのイメージを打ち破るべくスキャンダラスで過激な作品や濡れ場に挑んで“脱皮”を図る、という捉え方をされていることはわかる。その一方で人気が低迷した女優が濡れ場を演じると、「落ちぶれた」「脱がなきゃ仕事がない」と叩かれてしまったりもする。映画やドラマの文脈とは無関係に、メディアが「濡れ場」にそれ以上の過剰な意味を持たせているように見える。

作品に登場するある人物を演じる中でキスシーンなどの濡れ場をこなす、作品内での脱ぐ・脱がないに対して、さりとてこだわりのない役者もいるだろうし、濡れ場=エロではない。様々な演出意図からベッドシーンがある。

実際、“脱皮”を図ろうという意識や、あるいはメディアや世間に注目されるだろうという計算の上で濡れ場を演じる女優もいるのだろうし、「濡れ場が見どころ」と銘打つ映画もあるだろう。しかし、いい大人が読むはずのメディアが、「キスシーンがある=エロ」「ベッドシーンがある=エロ」「着替えシーンがある=エロ」と、それこそ中学生男子のような感覚で受け止めるのは、作品をPRする側にとっても本意ではないのでは。

そして日常的な行為であるはずの体のふれあいを描いた作品であっても、過剰に「エロ」という意味づけをされて消費されていく。あからさまに肉体を見せることを目的に定めた水着グラビアとは違うのに、なんでもかんでも同じように受け取ってしまう。たとえば女優の吉岡里帆が「水着グラビアは最初はイヤで泣いた」という話をした後に、主演ドラマで下着姿になるシーンがあったことについての反応がわかりやすい。「あんなにイヤがってたのにドラマでも脱がされている」とか「ドラマで脱げるんだからまたグラビアやればいいのに」とか。全然、文脈が違うのにである。

そうした消費に抗うかのように、二階堂ふみや満島ひかりは、出演映画でサラッと脱いでみせたが、それこそが“肝の据わった本格女優”だという見方もまた二重におかしい。彼女たちはごく自然な話の流れでその姿になっているのだから。いわゆる濡れ場に過剰な意味を持たせず、あくまで作品として捉えることは、そんなに難しいことではないはずだ。

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