「新潮45」LGBT差別…江川紹子が指摘、休刊だけですまされない問題の本質


 杉田水脈衆議院議員が、性的少数者LGBTの人々を「生産性がない」などと書いた文章を掲載した、新潮社の月刊誌「新潮45」(新潮社)が、同議員を擁護する特別企画「そんなにおかしいか『杉田水脈』論文」(同10月号)で、さらなる批判を浴びている。同社社内からも、同誌に否定的な声が発せられ、同社の佐藤隆信社長が、「ある部分に関しては、あまりに常識を逸脱した偏見と認識不足に満ちた表現が見受けられました」との見解を発表した。
自分では釈明しない杉田氏
 ただ、同社はこの見解は「謝罪ではない」としており、その内容は曖昧。会社として、この問題にどう対応するつもりなのかも、まったく見えてこない。これをきっかけに、どうしてこのような事態を招いてしまったのか検証し、是正する具体的な動きをするのか、それとも一時しのぎの声明で事態の沈静化を待つつもりなのか、今後の対応が注視される。

一連の出来事を、

1)杉田氏や10月号に寄稿した小川榮太郎氏など、問題とされる文章を書いた者の問題

2)それを掲載した編集部の問題

に分けて考えてみたい。本当は、杉田氏を擁護する安倍晋三総裁を含めた自民党の問題も考える必要があるだろうが、話が長くなりすぎそうなので、今回は上記2点に絞る。

問題となった今年8月号の杉田氏の寄稿「『LGBT』支援の度が過ぎる」には、少なくとも次の3つの問題がある。

・LGBTのうちLGB(レズビアン、ゲイ、バイセクシュアル)を性的「嗜好」、すなわち「趣味」「好み」の話であるとし、女子校での先輩への「疑似恋愛」などと一緒くたにしているなど、読者に誤った情報を提供した。

・LGBTの人たちが、多額な税金を投入しなければならない施策を要求しているわけでもなく、実際に多額の金額が使われているわけでもないのに、あたかもLGBT支援に多額の金がかかっているような錯誤を読者に与えた。

尾辻かな子衆院議員が、各省庁に問い合わせをしたところ、LGBT関連での税金支出はほとんどなく、具体的な金額が提示されたのは人権擁護局を抱える法務省のみだった、という。

そこで法務省の平成29年度予算を見ると、「LGBT(性的少数者)の人権問題対策の推進」として計上されているのは1,300万円。法務省予算の0.017%、国の一般会計予算の0.00001%である。また、地方自治体では、札幌市や世田谷区で200万円。渋谷区は男女共同参画と合わせて1300万円だが、それでも予算総額の0.01%にすぎない。

これを「支援の度が過ぎる」とは、「非難の度が過ぎる」だろう。

・LGBTのカップルについて「子供を作らない、つまり『生産性』がないのです」「そこに税金を投入することが果たしていいのかどうか」などと述べ、子供を産まない人達に差別的な評価をし、支援に否定的な主張をした。

この論法だと、重度障害者やシングルのまま年齢を重ねた高齢者なども、生産性がないとして、政治から切り捨てられかねない。相模原市の津久井やまゆり園で19人を殺害した男の「重度の障害者は安楽死させた方がいい」という優先思想を想起して、ぞっとした人も少なくないだろう。しかも杉田氏は、全国民の代表者であるの国会議員だ。その議員までもがこうした発想でいるのかと、LGBT当事者以外にも、多くの衝撃を与えた。

自民党は当初、「寄稿文は議員個人としてのもの」としてやりすごすつもりだったようだが、批判が高まる中、「個人的な意見とは言え、問題への理解不足と関係者への配慮を欠いた表現があることも事実であり、本人には今後、十分に注意するよう指導した」と発表した。

しかし、その後も杉田氏から謝罪や釈明はなく、ブログやツイッターなどでも「自分はゲイだと名乗る人間から事務所のメールに『お前を殺してやる!絶対に殺してやる!』と殺人予告があった」とするツイートをした後、LGBTに関する投稿を削除し、本人はだんまりを続けている。

問題について、自分の口できちんと説明しない。今の政界では、これが一種の流行りなのかもしれないが、政治家としてはこれはダメである。杉田氏の本稿に関する4点目の問題点として、ここは指摘しておきたい。
屁理屈や無知と偏見に満ちた“反論”
 彼女が語らない代わりに、ということなのか、「新潮45」10月号では立場の異なる7人が、こぞって杉田氏を擁護している。

藤岡信勝・「新しい歴史教科書をつくる会」副会長は、マルクスがその著述の中で「生殖行為を『他人の生命』の『生産』と記述していた」とか、「社会科学の理論では人間の『生産』『再生産』などの言葉が分析概念として普通に使われている」等々と書いて、杉田批判を非難しているが、これは屁理屈としか言いようがない。杉田氏はマルキストではないし、彼女が同誌に書いた文書は社会科学の学術論文でもない。

LGBT当事者として登場したゲイのかずと氏は、杉田氏の文章を問題視するツイートで議論に火を付けた、尾辻かな子衆議院議員を「同性愛者の恥さらし」などと罵倒。杉田氏の寄稿で多くの人が傷ついたのは、話し合いの場も持たずに「ツイッターで一方的に批判した」のが原因と、トンチンカンな非難をしている。

極め付きは、文芸評論家の小川榮太郎氏の寄稿だろう。彼は、LGBTを「ふざけた概念」と一喝し、その生きづらさを痴漢になぞらえて、こう書いた。

<満員電車に乗った時に女の匂いを嗅いだら手が自動的に動いてしまう、そういう痴漢症候群の男の困苦こそ極めて根深かろう。再犯を重ねるのはそれが制御不可能な脳由来の症状だという事を意味する。彼らの触る権利を社会は保障すべきでないのか。触られる女のショックを思えというか。それならLGBT様が論壇の大通りを歩いている風景は私には死ぬほどショックだ。精神的苦痛の巨額の賠償金を払ってから口を利いてくれと言っておく>

これは、社長声明が言うような「表現」の問題にはとどまらないのではないか。発想や思考そのものが差別的であり、無知と偏見と傲慢さにあふれている。

しかも小川氏は、自分の無知ぶりを、恬として恥じないのである。

<LGBTという概念について私は詳細を知らないし、馬鹿らしくて詳細など知るつもりもないが、性の平等化を盾にとったポストマルクス主義の変種に違いあるまい>

そうすると、自民党の中でもこの問題に熱心な稲田朋美・元防衛相は、「ポストマルクス主義の変種」にかぶれているとでも言うのだろうか。ちなみに彼女は、産経新聞系ネットメディアiRONNAに寄せた論考でこう書いている。

<サンフランシスコの慰安婦像設置にいち早く反対してくれたのは、実はLGBT団体だった。この問題が歴史認識やイデオロギー論争とは「無縁」と実感する良いきっかけとなった>

そして、イデオロギーとは別次元の人権の問題として、この問題に取り組むようになったという稲田氏は、アメリカでの講演で次のように語った。

「すべての人が平等に尊重され、自分の生き方を決めることができる社会をつくるために取り組みます。人は生まれつきさまざまな特徴を備えています。そのことを理由として、その人が社会的不利益や差別を受けることがあってはなりません。保守政治家と位置づけられる私ですが、LGBTへの偏見をなくす政策等をとるべきです」

稲田氏の言動からは、LGBTの人たちの生きづらさを、政治がかかわるべき、社会の問題として位置づけていることがわかる。

一方の小川氏はどうか。

<こんなものは医学的、科学的な概念でもなく、ましてや国家や政治が反応すべき主題などではない>

ここでも無知と偏見をさらけ出している。

彼は、自身のFacebookで、批判は自分の文章を「誤読」しており、言いたいことが伝わっていないと反論。「ざっとでなく丁寧に、それも何度か繰り返し読んでほしい」と述べている。私は、誤読ではないと思うが、100歩譲って小川氏の言いたいことが誤解されているとしても、プロの物書きのくせに、何度もくり返し読まなければ「全文の趣旨」が分からないような文章を書く方が悪いのである。古典の名作ではあるまし、読者に何度もくり返し読むことを要求するとは、思い上がりも甚だしい。

それでも、私が全文をくり返し読んで印象に残ったのは、小川氏はLGBTなどのように生きづらさを訴え、社会の変化を望む存在が嫌いで仕方なく、理解しようと努めることもなく、無知のまま嫌悪感を炸裂させているにすぎない、ということだ。
極右系雑誌の常連執筆者を起用した若杉編集長
 ブログやFacebookなどで、自らの無知と差別性を披瀝するのは、彼の自由かもしれない。が、雑誌の場合は、その品質を保つために、編集部に編集権がある。テーマに関して「知らないし」「知るつもりもない」者に執筆を依頼し、かくも劣悪な原稿を読んで、「これはいくらなんでもまずい」とボツにする判断ができなかったところに、編集部の著しい劣化がみてとれる。単に、本号の掲載された文章の劣悪さだけを指摘すればよい問題ではない。新潮社の社長としては、ここに問題性を感じなければいけないところではないか。

同誌は、論調としては元々保守的な雑誌ではあるが、新潮ドキュメント賞の発表媒体であり、取材に基づくノンフィクションを多く載せていた、という印象が私には強い。しかし若杉良作氏が編集長になって以降、その政治的姿勢はさらに激しく右に傾き、ノンフィクション作品より、かなり極端な意見を多く掲載する極右オピニオン誌へと変貌していったようである。今年になって、その傾向に拍車がかかっている様は、特集のタイトルにも現れている。

「『反安倍』病につける薬」(2月号)
「『非常識国家』韓国」(3月号)
「『朝日新聞』という病」(4月号)
「問題の本質を直視しないいつわりの『安倍潰し国会』」(5月号)
「朝日の論調ばかりが正義じゃない」(6月号)
「こんな野党は邪魔なだけ」(7月号)

そして、問題となった杉田氏の文章は、特集「日本を不幸にする『朝日新聞』」(8月号)の1本だった。

右派論壇誌の「正論」(産経新聞社)、あるいは安倍政権礼賛と朝日新聞叩きがウリの「月刊WiLL」(ワック)や「月刊Hanada」(飛鳥新社)のようなラインナップ。小川氏や藤岡氏、八幡和郎氏、潮匡人氏ら、10月号の特集に寄稿している書き手も「WiLL」その他の常連執筆者である。

同じく「WiLL」や、嫌韓嫌中を前面に押し出している「ジャパニズム」などの常連だった杉田氏が「新潮45」に頻繁に登場するようになったのも、若杉編集長になってから。2016年11月号のデビュー記事は、今回と同じLGBTがテーマで、タイトルは「『LGBT』支援なんかいらない」。

この時の寄稿で、彼女はすでに「LGBTの人達には生産性がない」と書いている。しかも、彼女は以前ブログで同趣旨の主張をしたところ、「ツイッターをはじめとするネットは大炎上」したことも明かしている。

問題はすでに指摘されていた。にもかかわらず、自らを省みることなく、繰り返しこの表現をくり返すのは、そういう「批判に屈しない」態度が支持者に受けると思っているからだろう。

彼女は、この時の文章の中で、「日本は昔から多様性を認める文化で、欧米諸国のような同性愛者差別は存在しない」と言い切り、「それを証拠に」と以下のように書いている。

<今、テレビをつければ、在日外国人、ハーフ、そして同性愛者を見ない日はありません。こんな国は世界中でも珍しいのではないでしょうか?>

これが「証拠」とは恐れ入る。LGBTに関するさまざまな調査を見れば、子供の時にいじめを経験している者が6割前後おり、職場でさまざまな差別的な扱いを受けたという人も多く、様々な生きづらさを感じていることが分かる。少し調べれば分かることなのに、そうした実態は杉田氏の目には入らないらしい。そして、LGB(レズビアン、ゲイ、バイセクシャル)といった性的指向などは嗜好(=好み)の問題なのだから、個人で解決せよ、支援なんていらない、ということになる。

しかも、彼女はLGBTを含む「弱者」やマイノリティからの訴えが心底嫌いらしく、こうも書いている。

<このままいくと日本は「被害者(弱者)」ビジネス」に骨の髄までしゃぶられてしまいます。性別とか性的嗜好に拘らず、自分の問題は自分で解決できる自立した人間を作るための努力を怠ってきた、戦後日本の弊害が日増しに大きくなっています>

戦後民主主義と国連が「弱者」をのさばらせ、社会をおかしくしている、という彼女の主張は、様々なテーマで一貫している。同誌でも、人の多様性を否定し、彼女が考える「普通」から逸脱した存在には、否定的で差別的な攻撃を加えてきた。

たとえば、17年4月号では「『セクハラ』(という概念)が日本に入ってきてから社会がおかしくなった」と書き、それに国連が一役買っている、と主張。受ける者の「主観」に過ぎないセクハラによって「どれだけ日本の会社社会において国益を損なってきたかと思うとぞっとします」と述べている。

17年9月号の同誌では、シングルマザーを標的にしている。タイトルは「シングルマザーをウリにするな」。

<シングルマザーはそんなに苦しい境遇にあるのでしょうか?>
<多くのシングルマザーは女手1つで子育てはしていません>
<シングルマザーになるというのはある程度は自己責任(中略)「私はシングルマザーなんだから」と特権的に言う人の気持ちが私には全く分かりません>

最後にとってつけたように「一生懸命頑張っているシングルマザーの方々もたくさんいらっしゃいます」と書き添えているが、文章の大半は「仕事もせずに遊んでいるような人」にさまざまな手当が支給されていること非難する内容だった。

こうした「弱者」叩きもまた、彼女の支持層には受けるらしい。先に話題にした小川榮太郎氏は、問題の杉田擁護原稿の中で、彼女をこう称賛している。

<杉田氏は概して弱者の名のもとにおけるマスコミからの異常な同調圧力、それらと連動しながら強化されてきた様々な弱者利権、それらがしばしば外国による日本浸食工作と繋がっている事の深刻な害毒と戦ってきた>

同誌は、このような執筆者を使って、「弱者」叩きや極端な主張を「保守」の名の下に展開しているうちに、編集部の感覚もマヒしてきてしまったのではないか。
出版社としての良心と見識は
 雑誌業界は、どこも部数減に苦しんでいる。そういう中で、「WiLL」や「月刊Hanada」などの極右系雑誌は、最近は大新聞に広告を出すなど好調に見える。若杉編集部は、ウィングをさらに右に広げ、両誌の執筆者を取り込むと同時に、こうした雑誌の論調を好む層に食い込みたいと考えたのだろう。

杉田氏の問題原稿が掲載された8月号に、作家の適菜収氏が連載「だからあれほど言ったのに」最終回で、この現象を示唆するような文章を書いている。

<5年くらい前に自称保守を対象として月刊誌の編集者から直接聞いた話ですが、毎回執筆者とネタ(朝日新聞、野党、中国、韓国、北朝鮮、日教組はけしからんといった話)が同じなのは、主な読者層が中高年だからだと。彼らは新しい情報や視点を求めているのではなく、自分が信じているものが正しいのだと誰かに保証してもらいたいのだと。書店のPOSシステムを見ると、いわゆるネトウヨ本を買っているのもこの層だ。定年後、時間をもてあまし、政治に目覚めてしまう。小金も持っている。でもリテラシーがないから、ゴミ情報に簡単に騙される。出版不況が続く中、モラルを失った編集者がこの層に向けて自慰史観のコンテンツを作る。これは政治がマーケティングの手法により劣化したのと同じ構造だ>

このようにして「新潮45」編集部も劣化していったのだろう。

しかし、「WiLL」や「月刊Hanada」などのヘイト表現も辞さない“刺激的”な表現に慣れた層にとっては、「新潮45」はまだ生ぬるかったのかもしれない。若杉編集長になっても部数減は止まらず、同氏就任時の2万567部が、直近では1万6800部にまで落ち込んだ。

こうした状況を打開するために、10月号で初めて、安倍首相礼賛と朝日新聞叩きで知られる毒舌家の小川氏を起用し、杉田擁護と合わせて「『野党』百害」も特集し、10人の書き手に野党政治家の悪口を書かせるなど、これまで以上に極右層に受けそうなコンテンツを並べたのではないか。

その戦略は成功した、と言えるかもしれない。小川氏の「痴漢」原稿などが大いに話題になって、本号はよく売れているようだ。私の家の近くの書店でも売り切れだった。

しかし、その代償として新潮社が失ったものは、途方もなく大きい。同社新潮文庫の看板の「Yonda?」の上部に「あのヘイト本」と書き加えられる“事件”も起きた。良質な文芸書を出してきた同社の評価を、ヘイト本も出す出版社に貶めたのが、今回の出来事だ。その汚点をぬぐうのには、生ぬるい社長声明で終わらせることなく、今回の問題がどうして起きたのかを、自らきちんと検証し、対応策と合わせて発表することしかないのではないか。

私は、「『新潮45』を廃刊にしろ」という声には与しない。今回、内部からも批判が出て来た同社である。自身の手で、同誌を立て直してほしいと思う。

「新潮社出版部文芸」のツイッターは、そのトップに創業者・佐藤義亮の次の言葉を固定ツイートとして掲げた。

「良心に背く出版は、殺されてもせぬ事」

新潮社の、出版社としての良心と見識が問われている。
(文=江川紹子/ジャーナリスト)

追記:
 本稿を執筆後の9月25日に、新潮社が「新潮45」の休刊を発表した。今回の問題の原因は「ここ数年、部数低迷に直面し、試行錯誤の過程において編集上の無理が生じ、企画の厳密な吟味や十分な原稿チェックがおろそかになっていた」ことだとしている。

事実上の廃刊という極めて残念な結論だ。検証と編集体制建て直しをするには手間も金もかかり、それはできないという経営上の判断だったのだろう。ただ、「会社として十分な編集体制を整備しないまま『新潮45』の刊行を続けてきた」ことへの責任は誰が、どうとるのだろう。いずれにしろ、同社が「信頼に値する出版活動」を続けていこうと思うのであれば、今回の問題がなぜ起きたかの原因を、外部の者も入れて検証し、公表してほしい。そのうえで、ノンフィクション作品を含めた良質な言論の場を、再度構築してもらいたい。

また、杉田議員は政治家として、小川氏は言論人として、自らの言論活動の責任をきちんと取るべきであることは言うまでもない。
(文=江川紹子/ジャーナリスト)

当記事はビジネスジャーナルの提供記事です。

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