「何も刻まれていない『731部隊』の精魂塔」 懇心平等万霊供養塔×二木秀雄

TheNews

2018/9/21 16:00


2017年5月に『飽食した悪魔の戦後 731部隊と二木秀雄「政界ジープ」』、2018年5月に『731部隊と戦後日本――隠蔽と覚醒の情報戦』という一橋大学名誉教授の加藤哲郎氏の著書が花伝社から刊行され、同時期に私の手元にも献本されました。添えられた手紙には「小村様のホームページ(「歴史が眠る多磨霊園」)の記載が、日本における二木氏についてのほぼ唯一のまとまった記録であり、なおかつ、『懇心平等万霊供養塔』の発見者としての小村様のご功績を紹介することなしには、書籍として成立しえないとさえ思っております」と綴られていました。本では8ページにも渡り私の掲載文章が考察されていました。



約20年前、多磨霊園に眠る著名人を探し出した頃、管理事務所で多磨霊園内の碑石形像の書類を閲覧させていただき、それらをまとめ掲載しておりました。その中のひとつに「懇心平等万霊供養塔」がありました。この塔はわかりやすい碑石ではなく、普通のお墓のような五輪塔であり、かつ何も刻まれていません。また現在では個人情報の兼ね合いなどでそれら書類など閲覧することができなくなったことで、この塔に関しての裏付けが困難な状況です。731部隊の精魂塔がどこかにある。多磨霊園のどこかにあるという噂はまことしやかに歴史好きの間では囁かれていましたが、私が偶然閲覧した書類の中にあったこの塔を世間に知らしめた当事者になってしまったようです。同時に本当の名称「懇心平等万霊供養塔」を世に広めたのも結果的に私ですね。

闇に葬られた731部隊とは


さて、この731部隊のことはご存知でしょうか?旧日本陸軍731部隊とは、国際法で禁止された生物化学兵器の研究開発を第二次世界大戦中に秘密裏に行った機関のことです。ペスト菌やコレラ菌の散布を中国の幾つかの都市にて行い、さらに捕虜の人体実験や証拠隠滅の為の虐殺などを行い、その犠牲者は3千人を超えるとされています。しかし、終戦後、米軍が手に入れたかった人体実験の資料と交換条件として731部隊関係者は戦犯免責となります。これにより、東京裁判でも起訴されずに済みました。撤退時の731部隊の博士号をもつ医官は53名。731部隊の最大人員数は約3900人(支部含め)といわれ、陸軍防疫給水部隊の総数は約5千人といわれています。この関わった全員が無罪放免となりました。そして、731部隊の存在自体が闇に葬られ、戦犯を免責された軍医たちは、その後、部隊で行った「人体実験」のことを絶対に口外しないことを誓って全国の大学や研究所などに散っていったのです。

1955年8月13日(昭和30年)、多磨霊園内に「懇心平等万霊供養塔」がひっそりと建之されました。建立者は私が閲覧した書類の中に二木秀雄(ふたき・ひでお)と記載されており、精魂会代表者とも明記されていました。この人物を調べた結果、731部隊の主要メンバーの一人であったことが判明します。そして731部隊関係者が戦後、年に一回集まる親睦会を「精魂会」と呼んでおり、その代表が二木である裏付けもとれました。

731部隊の技師だった二木秀雄


二木秀雄は石川県出身、金沢医科大学で細菌学者をしていました。その後、731部隊6等技師として第一部の細菌研究の中にある第十一課(結核) 二木班(結核研究)の班長として携わります。戦後、免責となった二木は再び金沢医科大学に戻りますが、政界ジープ社社長として、右翼系政界誌「政界ジープ」発行者にもなります。



1950年731部隊の仲間である内藤良一(陸軍軍医学校防疫研究室責任者として731部隊に深く関与)と北野政次(731部隊第2代部隊長)と「日本ブラッド・バンク」の発起人となり、政界、財界との共同、神戸銀行の出資で創立して取締役に就任します。この日本ブラッド・バンク社は日本初の血液銀行として、朝鮮戦争時には米軍が血液を大量購入し事業が繁栄しました。後にミドリ十字(1964年に名称変更)となり、高度経済成長のなかこの企業は日本有数の製薬会社に成長し、1978年には米国アルファ・セラピュウテック社を買収。この子会社はアメリカ貧民層の血液を恐ろしく安く買い集めてミドリ十字に送りました。これがエイズウイルス入りの血液製剤の輸入となり、薬害エイズ事件を引き起こしていくことになるのです。



なぜ多磨霊園に『731部隊』の精魂塔を建てたのか。何も刻まれていない五輪塔が何も言わずにたたずみます。その塔から歩いてわずかな距離に「二木家」の墓所もあります。先祖代々の墓石が立ち並ぶ中、二木秀雄の墓だけは木の墓標です。

懇心平等万霊供養塔 碑石所在地: 5区 1種 18側 1番
http://www6.plala.or.jp/guti/cemetery/GRAVESTONE/konshin_tou.html

二木秀雄 埋葬場所: 4区 1種 41側
http://www6.plala.or.jp/guti/cemetery/PERSON/H/hutaki_hi.html

【筆者プロフィール】
小村大樹(おむら・だいじゅ)
掃苔家・多磨霊園著名人研究家
1976年生まれ。1997年、大学生の時に多磨霊園の横にある石材屋でバイトをしたことをきっかけに多磨霊園に眠る著名人の散策を始める。1998年、当時インターネットが出始めた頃より「歴史が眠る多磨霊園」のホームページを制作。2018年開設20周年を迎える。
足で一基一基お墓を調査し、毎週1,2名ずつ更新をすることを20年間休まず実施(現在も継続中)。お墓をきっかけに眠っている著名人の生き様や時代背景の歴史を学ぶことをコンセプトにしており、掲載している人物は3000名を超える。
サイトを通じて多くの著名人のご遺族とも親交。歴史学者や郷土史家、出版社らの協力も惜しまず提供。一橋大学名誉教授の加藤哲郎『飽食した悪魔の戦後 731部隊と二木秀雄「政界ジープ」』(花伝社)では論文として考察される。『有名人の墓巡礼』(扶桑社ムック)では一部執筆を担当。中学社会科・高校地理歴史の免許を取得し、通信制高校で教壇にも立つ。
『歴史を学ぶのは、過去の事実を知ることだけではない。歴史を学ぶのは、過去の事実について、過去の人がどう考えていたかを学ぶことだ』『私が著名人だと思った人物は全て著名人である』がモットー。

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