急逝した恩師に代わり頼まれた仕事 新しい先生を拒む女の子に伝えた「実は僕も…」

grape

2018/9/14 18:48


※ 写真はイメージ

S先生の教室

昔からイベントや歩行者天国で大道芸を見るのが好きだった私は、大学一年の夏にカルチャースクールでジャグリングを習い始め、S先生と出会った。

その世界では有名なパフォーマーで、数々のイベントで活躍するだけでなく、ボランティアで児童館の子どもたちにジャグリングを教える活動もしている人だった。そんな方に習えることが嬉しくて、私は大学の講義の合間や、休日を利用して練習に励んでいた。

また、S先生とは住まいも近いことを知ってからは地元の公園で一緒に練習し、ときにはイベントの手伝いをさせていただいたり、上手なパフォーマンスの構成順序や、観客の楽しませ方などを教えてもらったりもした。

次第に私は密かにS先生のようなパフォーマーを志すようになっていたのだが、大学三年になったとき「就職活動はするの?」と問われ、「芸の道を進みたいので、これからも色々と教えて欲しいです」と答えた。すると「君は就職したほうがいい」と突き放すように言われ、意気消沈したのを覚えている。

しかし、私の将来を想って言ってくれていることも分かっていた。仕事の現場に何度も連れて行ってくれたのは、芸の世界で生きていく厳しさを暗に伝えたるためだったのかもしれない。

その後、私は広告代理店に就職した。土日に趣味でパフォーマンス活動を続け、S先生との交流も続いていたが、社会に出て四年目のある秋の日、大道芸を通じて知り合った友人から電話が入った。

「一昨日、Sさんが亡くなったって…本当?」

心筋梗塞。四十二歳の早すぎる死は、とても信じられるものではない。悲しいはずなのに涙は出ない。しかし、心にぽかんと開いた穴は確かに存在していて、何をしていても冷たい風が胸を吹き抜ける日が続いた。

翌年のまだ寒い時期、私はS先生がボランティアでジャグリング教室を開いていた児童館から一通の手紙を受け取る。後任の講師をしてもらえないかという内容であった。訃報を聞いても、葬儀に参列しても流れなかった涙が、
せき
を切ったように流れた。まだまだ腕は遠く及ばないが、子どもたちにパフォーマンスの楽しさを伝えたいという想いなら受け継ぐことができるかもしれない。私は一も二もなく引き受けさせてもらうことにした。

その年の春から、私のジャグリング教室が始まった。児童館には夢中にお手玉や皿回しの練習をする小学生や、技を競い合う男の子たちがいる一方、S先生が亡くなったこと知らされ、『新しい先生』を拒む高学年の女の子も一人いて、教室の隅で他の子どもの練習をじっと眺めていた。私は彼女の中に自分と同じ痛みを感じ、そっと「僕もS先生から教えてもらっていたんだよ」と伝えると、驚きと切なさが混じったような顔を見せた彼女は、しばらくすると道具を手に取り、低学年の子どもたちの面倒を見てくれるようになった。

私も『先生』と呼ばれるようになって三年が経った。子どもたちと過ごすこの教室は、恩師との絆として、この先もずっと大切にしたいと思っている。気づけば大勢の子どもとの出会いが私の胸の穴を埋めてくれていたのだ。

いつか大人になった彼ら彼女らが、街角で大道芸を見かけたときに、かつて自分がジャグリングを習っていたことを少しでも思い出してくれたら、きっとそこにS先生は生きているのかもしれない。

grape Award 2017 応募作より 『S先生の教室』
ペンネーム:小林文史郎

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[構成/grape編集部]

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