横浜銀蝿・翔、還暦記念で60曲熱唱ライブを敢行! 史上最強のロックンロールバンド誕生秘話

日刊サイゾー

2018/9/14 19:00



1980年、リーゼントにドカンという不良まんまの姿でブラウン管に登場し、世の大人たちの眉をひそめさせる一方、若者たちを熱狂された、嵐、翔、TAKU、Johnnyの4人組バンド「横浜銀蝿」こと正式名「THE CRAZY RIDER 横浜銀蝿 ROLLING SPECIAL(TCR横浜銀蝿RS)」。

実は同バンドにとって、2018年は記念すべき年だという。

というのは、周囲からの要望とメンバーの想いから、嵐、翔、TAKUの3人で横浜銀蝿を再結成したのが1998年。そこから今年は20周年を迎え、さらにボーカル&ギターの翔は還暦(60歳)になったのだ。

これをきっかけに、9月23日に記念コンサートを実施することになったが、前売りチケットは即完売という人気ぶりを見せつけた。音楽ジャンルが多様化し、リスナーの嗜好も細分化している時代だからこそ、ロックンロールのど真ん中を突っ走り、万人を惹きつけた横浜銀蝿が再評価されているのかもしれない。

そんな横浜銀蝿の顔ともいえる翔を、雑誌「サイゾー」の連載陣でもあり、翔の熱烈なファンである、出版プロデューサーの高須基仁が直撃した。

横浜・戸塚区を拠点に活動していた不良たちが、なぜメジャーデビューしたのか。あの独特なスタイルは、売るために仕組まれたものだったのか、それともガチだったのか。今だからこそ聞きたい横浜銀蝿の真実――。

――デビューしたときは衝撃的でした。

 中2くらいから音楽を始めて、高校生のときにJohnnyと知り合って「ロックンロールをやろう」ということになり、俺の兄貴の嵐さんがTAKUを連れてきて、1979年に横浜銀蝿を結成。カセットテープに曲を入れて、レコード会社や事務所に売り込みに行って、ユタカプロダクションの当時の社長が拾ってくれた。事務所が決まってもレコード会社が手を挙げてくれなければデビューはできない。校内暴力が社会問題となっていた時代。こんな不良たちの音楽なんて、普通誰も売りたいと思わないでしょ。ところが、楽曲を聴かせたら何社も手を挙げてくれた。

その中でキングレコードを選んだのは、俺たちが「自分たちが作ったオリジナル曲しか歌わない」と言ったら、キングだけが「本当にオリジナルを書き続けられるのか。年間200グループ近くデビューする中で、年末まで名前が残っているのはいくつもない。それでもやっていける自信があるのか」と正面から答えてきたから。嵐さんが「俺たちに厳しいことを言ってくれるヤツに付いていったほうがいい」と決めた。不良のカンですね。俺たちはアルバム曲も含めて全部オリジナルです。西城秀樹さんの「セクシーガール」や中森明菜ちゃんの「少しだけスキャンダル」など、楽曲提供もいろいろとしているんです。

――デビューが決まってからは順調だったんですか?

 いや、毎晩バイクで走っていたヤツらがいきなり芸能界に入ったもんだから、なかなかたいへんでしたね。事務所に入ったもののアルバムに収録できるいい曲がなくて、1年近くレコードが出せなくて。「銀蝿、おまえらにしか歌えない曲はないのか」と社長に言われて奮起。「ぶっちぎり Rock’n Roll」をつくって社長に聴かせたら「よし、アルバムを出すぞ」と即決。1980年9月にアルバム『ぶっちぎり』とシングル「横須賀Baby」の同時発売でデビューしました。

業界のことも全然わからないからレコーディングもたいへんでしたね。俺らは途中で誰かが間違えたら、また頭からやり直してた。何回も何回もやり直し。一発録りだと思ってたから。ふつうは間違えても止まらなくていいんですよ。何回か録って、いいところだけつなぎ合わせられるから。そんなことも知らないから、ディレクターは「こいつら何やってるんだろう」と思ってたでしょうね。

あと、暴走族の集会にカセットテープレコーダーを持ちこんで、エンジン音を録音。「この音をレコードに入れてくれ」とディレクターに頼んだりもしました。そんな質の悪い録音をアルバムの盤面に入れられるわけがない。でも、ちゃんとステレオ音声が出るように作業してくれて、「ぶっちぎり Rock’n Roll」の冒頭に入れました。それを聴いた全国の暴走族のやつらは「この音は本物だ。横浜銀蝿っておもしろいやつらだな」と思ってくれたらしい。

スタッフの方はみんな文句ひとつ言わないで、俺たちの好きなことをやらせてくれた。それが結果的にヒットにつながった。「こいつらの遊びに乗っかってやろう」というやさしい気持ちと厳しい面の両方がありました。

――翔さんの、そのつぶれた声はいつからですか?

 高校時代から。強面なんで甘すぎる声じゃおかしいと、わざとつぶしました。年齢を重ねたらいい感じになってきたけど、レコード会社の人に聞いたら、危険なボーカルのつくりかたらしいです。のどから血が出るまで声を出していたから。一歩間違えたら声が出なくなる。

――リーゼントにドカンというファッションはネタだったですか、ガチだったんですか?

 ガチです。俺たちは“つくられたグループ”じゃない。暴走族をしていたフリをしているんじゃなくて、本当にそういうことをしてきた。リーゼント、ドカン、革ジャン、サングラスは俺らから提案したもので、事務所から「着なさい」「不良っぽくしなさい」と言われたわけじゃない。逆に社長からは「1年中そんな格好でいられるのか?」と言われたくらい。「おう、やろうじゃないか」と、俺らは家を出るときからあの格好で電車に乗って仕事に行ってました。地元・戸塚のヤツらは売れる前からそんな俺らを見ていて、ある日突然テレビに出たから町は大騒ぎに。不良時代は、いろいろ迷惑かけましたね。

EXILEAKB48は「銀蠅一家」のコピー


――『ザ・ベストテン』(TBS系)などでアイドルたちに混じってランキングをつけられ、歌うことは嫌ではありませんでしたか? フォークやニューミッジックの人たちには出演拒否した人もいたと思います。

 まったくなかった。むしろ出たくてしょうがなかった。俺たちはみんな目立ちたがり屋なんです。テレビに出たい、レコード出したい、モテたい。フォークシンガーは歌番組にあまり出ないけど、あれは7分くらいの長い曲をテレビ用にカットされるのが嫌だかららしい。俺たちは1曲3分くらいでもともと短いから、まったく抵抗がない。初めて出演依頼が来たのは『夜のヒットスタジオ』(フジテレビ系)で、全員「出たいです」と即答。ピンクレディーがいる横に何もしゃべらない俺たちがいて、それだけでおもしろいでしょ。その後、『ザ・ベストテン』やいろんな音楽番組が「どうぞ来てください」と言うようになった。『8時だョ!全員集合』(TBS系)にも出ています。チャレンジが好き。自分たちの色を変えないように、ツッパったままどうやって前に出るか考えていますね。

――同時期の人気バンドにサザンオールスターズがいますね。桑田佳祐さんは茅ヶ崎市と出身地も近い。ライバル意識はありましたか?

 全然ないです。ジャンルも違うし、俺たちは「あんな格好では他の歌手が怖がるから」と、歌番組ではいつも一番奥の楽屋に入れられたんです。桑田さんとも接点はなかった。でも、ファンといったらおかしいけど、あのジャンルは好きで自分の歌詞づくりの勉強になっていますよ。江ノ島での何かのイベントも観に行ったことがありますし、2000年の茅ヶ崎公園野球場の茅ヶ崎ライブも観ています。

――「銀蠅一家」についてはいかがですか。嶋大輔さんや岩井小百合さんなどの弟分、妹分をつくるというのは、いかにもギョーカイ的、アイドル的な売り出し方だったように思います。ああいうことへの抵抗は?

 俺らがいたユタカプロダクションという事務所は、もともとアイドルを育てていたというのもあって、むしろ銀蝿という不良少年を手がけたことのほうが異色。業界の人がひっくり返ったくらい。だから、デビューしてすぐに銀蝿一家をつくって、若いヤツらを育てようという話で、嶋大輔、紅麗威甦(ぐりいす/杉本哲太らが所属していたバンド)、岩井小百合たちがデビューしました。今、EXILEやAKB48がやっているのは、銀蝿が80年代にやっていたことのコピーだよね。みんな知らないだけで。

嶋大輔も(杉本)哲太も俺らの地元の近くの不良で、嵐さんが見つけてきた。彼らの格好も自分の意志で、テレビも出たくて出て、やらされている感は一切ない。哲太なんて、茅ヶ崎のものすごい不良だったから「うちに来て音楽やらないか」とスカウトしたんです。背が高くて痩せててとんがってて、触れたヤツを切りそうな感じだった。でも、不良のくせにがんばり屋。事務所が指示したわけでもないのに、つなぎを着て手に包帯を巻く演出をして歌っていました。

20年ほど前に、哲太が番組で「お世話になった人に、自分で打ったそばを食べさせたい」という内容で俺を呼んでくれたんです。そばはくそマズかったですけど、音楽から役者に転身して、事務所を離れて自力で浮上してきて、それでも銀蝿一家でやっていたことを忘れずにいたことがうれしくて、帰り道に泣きましたもんね。

――横浜銀蝿は1983年にいったん解散しています。あまりに短い活動期間でした。

 デビューした時から2年間限定の活動と決めていたんです。その間にシングル1位、アルバム1位、日本武道館満タンを目標にしていたけれども、なかなかシングル1位が獲れなかったから1年延長。82年の10月に「あせかきベソかきRock’n Roll run」が1位を獲ったので83年12月31日23時59分59秒まで新宿コマ劇場で歌って解散しました。それでも、98年に復活してから今年20周年。俺は今年還暦だけど、不良のままロックンロールで突き進みたいと思ってます。

――復活20周年コンサートを9月23日に行いますね。「横浜銀蝿 復活20周年 戸塚公会堂  開館40周年 翔誕生60周年 還暦60歳 60曲コンサート」というキャッチコピーで、タイトルは「It’s Only Rock’n Roll 戸塚集会」。

 俺が60歳だから、60曲を歌います(笑)。おかげさまで前売りは完売。80年代に俺たちの曲を聞いてくれていた世代は懐かしがってくれてもいいし、若い人たちにはこんなバンドがあったんだとおもしろがってくれてもいい。まだ当日券はあるので、ぜひ来てほしいですね。
(聞き手=高須基仁/撮影=名和真紀子)

横浜銀蝿 復活20周年 戸塚公会堂 開館40周年 翔 誕生60周年 還暦60歳 60曲コンサート
「It’s Only Rock’n Roll 戸塚集会」

9月23日(日) 戸塚公会堂/ロビー開放12時30分、開場13時、開演14時
問い合わせ:044-812-1352(銀友会)平日12:00~18:00
公式サイト:http://ginbae.info/

●翔(横浜銀蝿 Vo.Gt.)
1980年、「THE CRAZY RIDER 横浜銀蝿 ROLLING SPECIAL」のメインボーカルとしてデビュー。83年12月、横浜銀蝿の活動を終了。85年からソロミュージシャン、タレントとして活動を開始。98年、翔、TAKU、嵐で「THE CRAZY RIDER 横浜銀蝿 ROLLING SPECIAL RETURNS」として再始動。現在は平行して「翔&BLACK BIRD」「Blue Moon Boys」といったバンドで新たなサウンド制作やライブ活動を行っている。

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