『この世界の片隅に』の真木太郎プロデューサーが放つ<終わりなき、絶望。> 北村龍平監督最新作『ダウンレンジ』

日刊サイゾー

2018/9/14 02:00



北村龍平監督の最新映画『ダウンレンジ』が、いよいよ9月15日より、新宿武蔵野館ほかで公開される。

実写映画『VERSUS -ヴァーサス-』『あずみ』『スカイハイ 劇場版』『ゴジラ FINAL WARS』そして『ルパン三世』などで知られる北村が今回タッグを組んだのは、社会現象を巻き起こしたアニメーション映画『この世界の片隅に』のプロデューサー・真木太郎。

銃弾の射程圏内を意味し、兵士たちの間では「戦闘地帯」を表す言葉をタイトルに用いたこの作品は1万人を越すオーディションから選ばれた俳優陣、ハリウッドの一線で活躍する精鋭スタッフ、そして真木プロデューサーのバックアップのもと、インディペンデント体制で作られた。北村監督自ら「原点回帰」と語る作品の衝撃に迫った。

――映画監督・北村龍平。

17歳でオーストラリアへと渡り、スクール・オブ・ビジュアル・アーツ映画科に入学。帰国後、1995年に映像集団ナパームフィルムズを結成し『ヒート・アフター・ダーク』を製作し監督デビューを果たす。

1999年『ヒート・アフター・ダーク』の公開直前、筆者が企画者として参入していたロフトプラスワンのステージに颯爽と現れた北村は、店の常連出演者である映画監督・若松孝二を相手に劇場デビュー作に賭ける思いを熱く語り、映画監督を志す若者たちで埋め尽くされた客席の度肝を抜いた。

新人監督に対して何かと辛辣な意見を述べる若松だが、北村作品を手放しで賞賛する姿が非常に印象的だった。

かつて若松が主宰した映画講座の受講生でもあった筆者は、恩師の若松を訪ねた楽屋で北村と挨拶を交わし、そのオープンな人柄に魅了された。

このような出会いを契機として、2001年の『VERSUS -ヴァーサス-』を皮切りに、北村が様々な商業映画を精力的に監督する過程を筆者は見届けていくことになるのだが、良くも悪くも当時のロフトプラスワンに集うインディーズ系の映像作家たちと、商業映画に進出した気鋭の新人監督との間で軋轢が生じてしまったのは、今にして思えば当然の成り行きだったのだろう。

第1回インディーズムービー・フェスティバルのグランプリを受賞し、北村は商業映画進出への足掛かりを掴んだ。

また、自らも新たなる才能を見出すべくロフトプラスワンの若手監督発掘イベントに出演し、後進にエールを贈り続けた。

しかしながら、審査員を務めた若松孝二の的を射た作品評に不満を抱いた輩が一部に見受けられ、そのたびに北村がフォローや助言を試みたものの、ついには堪忍袋の緒が切れ「じゃ、表で話そうか」と立ち上がったその瞬間、店中がハチの巣をつついたような大騒ぎとなってしまったこともあった。

当時は映画監督を志望しつつも一向に芽が出ず、くすぶっている若者の異様な熱気がロフトプラスワン界隈には渦巻いていた。

故に、若くしてチャンスを掴んだ北村は憧憬と嫉妬のシンボルのような存在となってしまったのだ。

以来、多忙な北村や若松のスケジュール調整が困難になるのと相反して、ロフトプラスワンには様々なインディーズ作品のビデオテープが数多くの若者から持ち込まれるようになっていった。

当時、ロフトプロジェクト内に設立された映像部門のプロデューサーとなっていた筆者は、ロフトプラスワンの横山シンスケ店長と以降の展開を協議した。

様々な形で持ち込まれるインディーズ作品を選定後、複数の監督や出演者に出演交渉して隔月で上映イベントをブッキング、トークライブ形式の若手監督発掘イベントを継続開催して、北村・若松両監督の意思を引き継いでいった。

その頃、北村は『VERSUS -ヴァーサス-』が招待上映された、ゆうばり国際ファンタスティック映画祭の会場で、一人の映画プロデューサーとの運命的な出会いを果たす。1979年に公開された映画『太陽を盗んだ男』(監督/長谷川和彦)を製作した伝説の男・山本又一朗である。

そして2003年、プロデューサー・山本又一朗、監督・北村龍平による大作時代劇『あずみ』が全国の劇場で拡大公開され、主演女優の上戸彩と共に、映画監督・北村龍平の名は広く世に知れ渡るようになっていった。

公開直後、満席の劇場で『あずみ』を鑑賞したが、大胆ともいえる俳優の演技、派手なアクションと意表を突くカメラワーク、小気味良いストーリー展開に見事に乗せられ、142分もの上映時間があっという間に過ぎてしまった。

当時、ロフトプロジェクトの依頼で、国内外で様々なテーマに応じたドキュメンタリー映像を制作していた筆者は、この作品を鑑賞してからというもの、劇映画への興味が日に日に大きくなっていった。

『あずみ』の興行的な成功の後『スカイハイ 劇場版』を経て勢いに乗った北村は2004年、東宝が20億円を投じたゴジラ生誕50周年記念作『ゴジラ FINAL WARS』を監督する。

『ヒート・アフター・ダーク』以降、劇場興行の初日もしくは初週に駆けつけ、北村監督作の鑑賞を続けて来たが、憧憬と嫉妬のシンボルでもあった北村が東宝のお正月映画の監督に抜擢されたことで、もう我々が立つ地平とは別の、どこか遠い世界にいってしまったような錯覚を覚えたのは、筆者一人では無かったはずだ。

本編を鑑賞した師走の慌ただしさ同様、特撮パートとドラマパートの繋がりに疾走感があり、挑発的な北村版ゴジラ映画の誕生に感嘆した。公開前、この企画には様々な制約や約束事があり、かなりの苦戦を強いられるのではないかと危惧していたものの、鑑賞直後からそんな心配は見事に吹っ飛んでしまった。

この後、北村は様々なメディアを通じてハリウッドへの進出を公言。

挑戦的な性格、長身の体躯、堪能な英語力等々、数年間に及ぶ北村の発言や行動原理が筆者の脳裏には焼き付いており、この監督なら向こうでも何とかなるんじゃないのかといった漠然とした思いを抱いていた。

先にも述べたが、この頃の筆者はロフトプラスワンでのイベント企画やドキュメンタリー制作とは別に、新たに仕事仲間と設立した制作プロダクションを活動の拠点にしていた。

低予算作品ながらも劇映画の企画や制作、演出を担当する機会が徐々に訪れてきた。

また一方では、宣伝や配給のスキルを会得して、一刻も早くこれらのビジネスを成立させなければという焦りも生じ、映画館を訪れる機会もめっきりと少なくなっていった。

そんな最中、2006年の冬に三池崇史監督の『スキヤキ・ウエスタン ジャンゴ』に配役され、山形県鶴岡市の庄内映画村で1カ月余りを過ごしたのだが、帰京後に同作のキャスティング事務所から、山本又一朗プロデューサーが主催するクリスマスパーティーへの参加を呼びかけられた。

年末に訪れたクリスマスパーティーでは、200名以上のゲストがビンゴゲームに参加。

普段からこの手のゲームへの参加を拒む筆者も、手にしたカードの数字を潰していくうちに何故かリーチとなってしまった。

直後、ステージで進行を務める山本プロデューサーに呼ばれて隣に立たされ、ビンゴが成立するまでの間に即興のトークライブが展開された。

その後、スタッフや共演者からの冷やかし半分の言葉に辟易し、思わず会場を出てロビーへと向かった。ところがホールを出た次の瞬間、偶然にも筆者は北村との再会を果たした。

数年ぶりに握手を交わし、ハリウッド進出への賛辞を伝えると、北村の表情から笑顔がこぼれ落ちた。だが、その柔和な表情の奥底には、並大抵の苦労ではすまないような体験を経てきた者だけが持つ、ある種の風格のようなものまで感じられた。

そこで、ロフトプラスワンの新人監督発掘イベントを新たに担当したことや、低予算作品ながらも制作や演出で関わった作品の劇場公開が決定したことなどを、筆者は正直に伝えた。耳を傾けてくれた北村からの貴重なアドバイスを全身で受け止め、感謝の念を言葉にして会場を後にした。

2006年の再会以降、北村は見事にハリウッドでの監督第一作『ミッドナイト・ミート・トレイン』(2008年)を完成させ、続いて『NO ONE LIVES ノー・ワン・リヴズ』 (2013年)を順次発表。

『ルパン三世』(2014年)では邦画メジャー系監督としての存在感と力量をアピールして、大ヒットを記録したことは記憶に新しい。

さらには、ブラッドリー・クーパー、ルーク・エヴァンズという当代のスター俳優を、早い段階から配役してしまうセンスも素晴らしい。

何れにしろ、ハリウッドを拠点として精力的に活動する北村は、もう果てしなく遠い存在になってしまっていた。

* * *

2018年になり、筆者はとある取材を進めていく過程で、2016年に社会現象を巻き起こしたアニメ映画『この世界の片隅に』(監督/片渕須直)の真木太郎プロデューサーと出会った。

あれほどの感動作を世に放った手腕に感服した筆者は、真木の会社を訪れては様々な相談を持ちかけるようになっていった。

その過程で、真木が製作総指揮を担当した北村龍平監督最新作『ダウンレンジ』の存在を知るに至ったのだ。

2018年9月6日『ダウンレンジ』のプレミア試写会が、招待VIP、インフルエンサー、抽選で選ばれた一般参加者を含む総勢300名以上を招いて、渋谷区のイベントスペース・東京カルチャーカルチャーにて開催された。

筆者はルポライターの昼間たかしと共に少し早めに会場入りし、真っ先に監督である北村と製作総指揮の真木に挨拶し、近年もロフトプラスワンへの出演を続けている北村に感謝の意を伝えて後列に着席した。

今回、スケジュールを調整して駆け付け「北村監督の応援に来ました。早く新作が観たかったので!」とエールを贈った、招待VIPの女優・藤原紀香の発言には、北村の次回作を心待ちにしていた人々の気持ちがとても素直に表現されていた。

そして、待望のプレミア試写会が爆音上映で始まった。

日本映画史やアニメーション映画史に歴然と名を遺す、ゴジラやルパン三世の新作オファーといった現実と対峙した際に、ありとあらゆる批判を覚悟の上で敢えてビックマウスで対抗し、ハリウッドに照準を合わせて挑戦を重ねてきた北村龍平という男の人知れぬ虚無感と絶望感が、最新作の『ダウンレンジ』で見事に結実したと確信した。

誰もがうらやむような原作や潤沢な製作資金が与えられた中で、キャラクター設定や人物背景を「お約束」という名の同調圧力で思考停止させられ、「お約束」のキャラクターから、人間が持つ剥き出しの恐怖感や死生観をシンプルに引き出すのをためらった時、あなたならそんな仕事を続けらるのかと、ずっとこちら側に向けたスナイパーのスコープに見張られているような感覚に陥る、極めて先鋭的な作風なのだ。

職務経験上、北村がこのどちらの感覚も併せ持った映画監督であることは確かな事実だ。

この作品の製作に至ったシンプルな動機が、プレミア試写後のトークショーでプロデューサーの真木から語られた。

数年前、ロス在住の北村から真木の会社に国際電話があり、新作のシノプシスを数分でプレゼンしてきたのだという。

ところが、映画の見せ場を早口で捲し立てる受話器の向こうから、突如としてその凄まじいシーンの映像が目の前に現れて仰天し、迷わず製作への名乗りをあげたという逸話が披露された。

真木は言葉と映像がシンクロして浮かび上がるプレゼンを、北村が得意としていることを改めて観客の前で公言した。

さらに、北村から語られたハリウッド映画界の内幕は、宗教対立や国際情勢によって作品の根幹をなすテーマですら、製作側の身勝手な判断で前言撤回してしまうような、複雑かつ無情な世界だった。

『ダウンレンジ』で暗闘するスナイパーは、ハリウッド映画界の傀儡そのもであり、血の通った人間関係を一瞬で無にしてしまう非情な存在として描かれている。

何がなんでもハリウッドで生き残ると決意した北村は、平然とスコープの照準を合わせてくるハリウッドの魔物と対峙しなくてはならない修羅の道を、自ら選んでしまったのだ。

* * *

余談となるが、プレミア試写の会場となった東京カルチャーカルチャーの横山シンスケ店長は、筆者が企画プロデューサーを担当していたロフトプラスワンの元店長にして、かつての同僚である。

今回、プレミア試写の申し込みに対応した際、上映作が北村龍平監督の最新作と聞いて、思わず後ずさりしてしまったという。

理由を尋ねると、見るからにケンカの強そうな北村・若松両監督の出演イベントには、かつて何かと血気盛んな連中が集まり、トラブルが絶えない中で、ケンカの仲裁をするのはいつも店側の自分だったと、遠い目で語ってくれた。

そんな連中の一人が、かつての私なのだが、素直に謝罪できない筆者はさりげなく話題を変え『ダウンレンジ』の感想を伺った。

次の瞬間、横山は血相を変え、「監督にご挨拶して店を出る予定が、冒頭のシーンを観させてもらった途端、あまりの展開の速さに動くことさえ出来なくなり、気付いたらもう90分間が過ぎていたんだよねぇ。正直、こんなに凄い映画だとは思いもよらなかった」と、筆者が伝えようとした見所を先回りして話してくれた。

かつて横山が体験した、突如迫りくる恐怖が新天地の東京カルチャーカルチャーで、現実にならなかったことだけが何よりもの救いだった。

そんなトラウマを抱えつつ、雑多な日々を生き抜いてきた人間だからこそ、この映画の本質を見極めてエキサイトしたのではないかと、筆者は妙に納得してしまった。

「終わりなき、絶望。」

最後に、この傑作の惹句を記しておく。

(取材=昼間たかし/執筆=増田俊樹)

■公開情報
『ダウンレンジ』
9月15日(土)より新宿武蔵野館にて2週間限定レイトショー
9月22日(土)より大阪第七藝術劇場にて公開
監督・製作・原案:北村龍平(『ルパン三世』)
製作総指揮:真木太郎(『この世界の片隅に』)
製作:森コウ
原案・脚本:ジョーイ・オブライアン
出演:ケリー・コーネア、ステファニー・ピアソン、ロッド・ヘルナンデス・フェレラ、アンソニー・カーリュー、アレクサ・イエームス、ジェイソン・トバイアス
製作・配給:ジェンコ
製作協力:イレブン・アーツ
配給協力:エレファント・ハウス
2018年/アメリカ/英語/90分/原題:Downrange/R-15
c)Genco. All Rights Reserved.
公式サイト:http://downrangethemovie.com

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