全国で盛り上がる「明治150年」…戊辰戦争で“負けた側”の人々にとっては150回忌のようなもの

日刊SPA!

2018/9/11 15:52



◆政府主導、全国各地で盛り上がる「明治150年」

今年は明治元年から150年。政府はこれを記念する施策の推進を決定、政府主催による各種イベントや展覧会、記念硬貨の発行などを開催(または予定)している。

国土交通省は、旧伊藤博文邸などが並ぶ神奈川県大磯町の一角を「明治記念大磯邸園(仮称)」として整備中。さらに、慶応から明治に改元した日の10月23日には、政府主催の「明治150年記念式典」が開催される予定となっている。

8月31日には、明治維新で中心的な役割を担った薩摩(鹿児島県)・長州(山口県)・土佐(高知県)・肥前(佐賀県)各藩にあたる4県の知事が集結、連携して観光産業の育成・強化を図る広域観光プロジェクト「平成の薩長土肥連合」の開始を宣言。盟約締結式を行った。

政府の呼びかけに応じて、全国の都道府県や市町村、民間団体も各地で関連イベントを開催中だ。内閣官房「明治150年」関連施策推進室の開設するポータルサイトには、全国で行われるイベント情報が集約され、9月から11月にかけては毎日60~70件ものイベントが開かれるほどの盛り上がりを見せている。

これらの盛り上がりぶりについて、内閣官房「明治150年」関連施策推進室の担当者はこう語る。

「明治は激動の時代でした。近代化が進み、文化・芸術面でも著しく飛躍しました。とくに若い人たちには、明治という時代を学んでもらい、これからの生き方の参考にしてほしい。またそれぞれの自治体にとっては、明治を振り返りながら、地域の歴史的財産や地場産業、観光資源に磨きをかけてもらう機会になればと考えています」

◆「明治150年」ではなく「戊辰150年」と表現する人々

一方、越後(新潟県)や東北諸藩の地域の人々にとっては、この150年というのはまた違った意味を持つようだ。現在「戊辰戦争150年」展を開催中(10月14日まで。その後、10月26~12月9日に仙台市博物館でも開催予定)の、福島県立歴史博物館(福島県会津若松市)学芸員・栗原祐斗氏はこう語る。

「こちらの地域の人たちにとっては、明治維新150年を祝うというよりは、新しい時代がつくられる過程の戊辰(ぼしん)戦争で、たくさんの方々が犠牲になった。その人たちを追悼する150回忌、という感じが強いですね」

福島県の地元紙『福島民友新聞』では、昨年5月から週1回、戊辰戦争150年企画として「維新再考」という連載を掲載中だ。会津藩(福島県)が降伏した9月22日には『維新再考 「官軍」の虚と「賊軍」の義』というタイトルで単行本を刊行する。

「一般に伝えられている歴史は、どうしても明治維新を成し遂げた薩長の側からになってしまう。しかし負けた側には、違う歴史の見方・受け止め方があります。それを戊辰150年というかたちで伝えることにしたのです」(『福島民友新聞』編集局文化部担当記者)

◆革命を成就させるには会津の“血”が必要だった

歴史作家の星亮一氏は「会津藩は一貫して幕府や朝廷に忠節を尽くしてきました」と語る。

「ところが突然、薩長に天皇を奪われて“朝敵”(朝廷の敵)とされ、さらには主君である徳川家も戦わずに政権を放棄してしまいました。いつの間にか最大の“守旧派勢力”とされてしまったのです」

会津藩が“朝敵”とされることに対しては、当時の諸藩も疑問を持っていたようだ。

「東北諸藩は、東北地方が戦場になることを避けたかったということもあるでしょうが、何とか会津藩が攻撃されないようにと必死に動き回っていたことが古文書からもわかっています。特に仙台藩(宮城県)などは、各方面に嘆願書を書いて会津藩を救おうとしていたようです」(栗原氏)

会津藩も、鳥羽・伏見の戦いで敗れた後、新政府軍に謝罪を申し入れていた。しかし新政府軍は会津藩の謝罪や他藩からのとりなしを一切受け入れず、徹底的に責め潰す方針を貫いた。

このことについて、星氏は「明治維新は薩長による“革命”。それを完成するには、会津の“血”が必要だった」と語る。

「革命を成就させるには、徹底的に倒すべき“旧体制”が必要でした。ところが徳川家は戦わずに政権を放棄してしまった。そこで革命の“生けにえ”に選ばれたのが、これまで幕府や天皇家に忠誠を尽くしてきた会津藩だったのです」(星氏)

その結果、会津藩を救おうとした東北・越後(新潟県)の諸藩による「奥羽越列藩同盟」が新政府軍と各地で激戦を繰り広げることになる。

会津藩は壊滅するまで新政府軍に攻め込まれ、諸説あるものの女性100人以上を含む約3000人が戦死したという。10代の兵士が自刃するという白虎隊の悲劇も起きた。

降伏後も新政府軍は遺体の埋葬を許さず、鶴ヶ城の内外で半年にわたって戦死者たちが野ざらしにされたという逸話も残っている。

時代の波に乗れない東北人の「不器用さ」と「誠実さ」が招いた悲劇ともいえる。新しい時代を切り開いた「明治維新」も、「負けた側」の越後・東北地方から見るとまた違った歴史が見えてくる。歴史を一面的に見てはいけないことを、肝に銘じる必要がありそうだ。

※『週刊SPA!』9月11日発売号掲載記事「明治150周年『敗者からみた』戊辰戦争」より

取材・文・撮影/長岡義幸 北村土龍 写真/福島県立博物館 時事通信社

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