意外と知らないロータリーエンジンを積んだヨーロッパのオートバイ【RE追っかけ記-14】

clicccar

2018/9/8 07:00


ヴァンケルREの共同ライセンス所有社NSUは、歴史の古いモーターサイクル・メーカーで、第2次大戦前は伊フィアット乗用車の権利を得ましたが、事業としては失敗します。また、ナチドイツ時代の国民車kDf計画(VWビートルになります)に参画し、フェルディナンド・ポルシェ構想試作車の1種を製作しています。
1953年ヨーロッパ2輪GP 250ccチャンピオン、ヴェルナー・ハースのNSUは、1959年ホンダTT125cc、浅間250ccのエンジン、シャシーに大きな影響を与えたと推測。レンマックス250ccのベベルギア、シャフト駆動DOHC。

第2次大戦後、庶民の足としてモペッド”クイックリー”が大ヒット、その後、125ccフォックス、250ccマックス・モーターサイクルを発売、ホンダ台頭以前の世界最大の2輪メーカーとなります。また、世界2輪GPに進出、1953年には125cc、250ccクラスで世界ライダーチャンピオンシップを勝ち取りました。

故山本健一・元マツダ社長/会長は、私的回顧録中、RE開発功労者”チャンピオン(挑戦者の意味があります)”の4人にフェリックス・ヴァンケル、フォン・ハイデカンプNSU社長、ワルター・フレーデ・エンジン部長、そして松田恒次・元マツダ社長を挙げています。

フレーデ博士は、NSU GPレーシングエンジン、市販車エンジン、そして小型乗用車プリンツ・シリーズのエンジン設計開発者です。彼のエンジンは、高回転を目指し、ユニークなカムシャフト駆動方式を採用しました。フレーデ博士、そしてヴァンケルの右腕ヘップナー技師こそが、フェリックス・ヴァンケルの複雑極まりないオリジナル構想を実用化した功労者でした。
レーシングバイクでベベル・シャフトDOHCを用いたエンジン部長、ワルター・フレーデ博士は、ロードモデル、マックスでは上下偏心板をもつロッド駆動SOHCを採用、NSUの小型乗用車プリンツ、プリンツⅡも同型式。

さて、NSUですが、資本、人的物的資源規模からして、2、4輪は無理と小型乗用車に注力します。プリンツの空冷SOHCエンジンも2輪エンジン派生で、上下偏心板シャフトで回す、エクセントリックシャフトなるカムシャフト駆動方式を採用します。古今東西、多くの発明家、技術者は回転運動(大勢の往復運動に対し)エンジンを夢見、挑戦、挫折、また挑戦してきました。せめてバルブくらいと、回転駆動が複数種が出現しています。フレーデ博士もそのひとりでした。彼の究極の挑戦はREだったのです。
1959年インポーター時代、小型自動車輸入協会の合同試乗会でNSUシュポルト・プリンツに乗る。ヴァンケル・スパイダーは、このモデルのオープンRE版。


NSU本家は、REモーターサイクルは構想もしなかったようです。ドイツ・メーカーで採用したのは、ヘラクレス社でした。古い歴史を持ちますが、創立オーナーがユダヤ人で、第2次大戦中に破壊されます。1960年代に汎用エンジン大手、フィヒテル&ザックス傘下で再建していました。ザックスは、2輪用2ストローク大手で、早々にREライセンス取得していました。
ヘラクレス W-2000。前端に冷却ファンをつけた空冷1ローター300ccREで、市販型はチェーン駆動。

1970年のドイツ2輪ショーでヘラクレスREプロトでデビューしますが、空冷1ローター300ccエンジンを縦置きにし、シャフトドライブでした。このシャフト駆動プロトは、ヌーレンベルグ産業博物館に保存されているとのこと。

ここで脱線エピソードを紹介しましょう。1976年のことです。マツダ本社は、フジ・グランドチャンピオンシップ2座レーシングカー・シリーズにおいて、エンジンキングBMWパワーに対抗すべく、新13Bペリポート投入を準備していました。マツダが開発と実戦目的で購入したマーチ75Sの鈴鹿でのブレークインに招かれたのがジャーナリスト、元レーシングドライバー( 1960ルマン 24時間優勝)の親友ポール・フレールでした。数周走ってピットに戻った彼、奇妙な顔つき。
マーチ・マツダ 13Bは、国内グランドチャンピオンシップに真剣に挑戦する第1歩として、広島本社がマーチを購入。ブレークイン中のポール・フレール試乗で奇妙な現象発生。左から小早川隆治広報部員(当時、以後、1991年ルマン優勝メーカー監督)、筆者、ポール・フレール。

ポール・フレール「このクルマ、左ターンではオーバーステア、右ではアンダーステアする」。
片山義見選手、「やっぱりな」。
シャシーを疑ったのですが、後に判明したのは、RE独特のジャイロ効果が原因。生産車と同じウエットサンプをドライサンサンプに変え、エンジン位置を低め、一件落着。グラチャン王座へ驀進します。

1974ヘラクレスW-2000市販車は、縦置きREからベベルギアを介して駆動を90度曲げ、チェーン駆動となりました。排気量300ccの鋳鉄ローターのジャイロ効果が理由かは、判りません。
W-2000のエンジン出力は27-32 ps/6500 rpm、最大トルク33 Nm/4500 rpmで、車重は180kg弱と軽い方ではありません。最高速は140km/H公表でした。

アメリカ・サイクルワールド誌によるとスポーツバイクではなく、ツアリング型で、”好事家向き”が結論でした。アウディNSU博物館をはじめ、複数がコレクションに展示されています。合計1800台を販売し、現在でも中古市場に出ているようです。
1977年のヘラクレスによる生産終了後、設計と設備は、イギリスのノートン社に売却されます。ノートンは、まず警察用からはじめ、スーパーバイク、レーシング・2ローターを市販します。このブランドも波乱万丈を経ます(つづく)

(山口京一)

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