日本初上演、ルーシー・カークウッド『チルドレン』稽古場レポート~『コペンハーゲン』の流れを汲む問題作

SPICE

2018/9/4 13:00



2014年に『チャイメリカ』でローレンス・オリヴィエ賞を受賞するなど、注目されるイギリスの若手劇作家ルーシー・カークウッド。その作品の日本初紹介となる『チルドレン』は、ニューヨーク・ブロードウェイやオーストラリア・メルボルンでも上演され、好評を博した作品だ。大地震、津波、そして、原発事故。浸水で家を追われた夫婦が移り住んだコテージに、三十数年ぶりに女友達が訪ねてくる。リタイア前の世代である三人は、かつて原発で共に働いていた核技術者だった。次第に明らかになっていくそれぞれの関係。日本初演では、栗山民也が演出を手掛け、高畑淳子と鶴見辰吾が夫婦(ヘイゼル、ロビン)を、そして若村麻由美が訪ねてくる女友達(ローズ)を演じる。初日まで数日ほどとなった稽古場を訪ねた。
撮影: 尾嶝 太
撮影: 尾嶝 太

休憩なし一幕構成で、この日は後半の通し稽古。三人が互いに抱く思いが明らかになり、そしてローズのある発言がさらなる波紋を引き起こしていくあたりだ。停電しているとの設定ゆえ、稽古場も暗くされ、光が窓からさしこむ状態で稽古が開始される。かつて夫ロビンとローズが寝ていたことを知っていると暴露するヘイゼル。そんな状況で、乾いたユーモアセンスを淡々と飄々と発揮する鶴見ロビン。高畑ヘイゼルと若村ローズ、それぞれに気の強い二人の女性の間にあって、それぞれの思いを拾う余裕がどこかあるのがかわいらしい。60代という設定ゆえ、若村ローズはかさっと落とした乾いた声で老いを表現。その声で、我々世代が原発に戻るべきだ、自分は戻るとの発言をし、夫婦を衝撃に陥れる。老いたとはいえ、まっすぐな正義感を発揮するところに若村らしさがにじむ。自分はまだまだ充分生きたとは言えないと主張する高畑ヘイゼルが表現する自分勝手さ、甘えた感が、そこはかとない笑いを誘う。
撮影: 尾嶝 太
撮影: 尾嶝 太

そんな三人の姿に、この物語が、エゴイズムについての芝居であることが見えてくる。人は一人ひとりまったくもって平等に生まれてくるわけではない。さまざまな環境、さまざまな才能、そして、さまざまな世代。日本の例で言えば、高度成長期と、バブルの時代と、その後の不況の時代に生まれた世代とで、どの世代がどれくらい恵まれているのか、恵まれていないのか、測る尺度によっても解釈は分かれるだろう。生を取り巻くそんな環境の中で、それぞれがそれぞれの幸せのみを追求したとき、エゴイズム同士がぶつかり合う。――それだけで、いいのか。その結果、我々が生きる地球全体が、滅亡へと向かおうとしているのではないか。その歩みを少しでも止めるために、今、我々ができることは何なのか。そんな問いを投げかけられるようだ。

小さな問題と、大きな問題と。過去の関係ゆえ、さまざまな思いを抱き合ってそれぞれに対峙し、そして、原発事故という共通した問題に対峙する三人。三人は、若き日にも踊り明かしたというジェームズ・ブラウンの「Ain’t It Funky Now」にのって、はじけた踊りを披露し、生をほとばしらせる。そして、夫婦が下した決断とは――。劇場で実際にお確かめいただこう。

原子力をめぐる三人芝居といえば、イギリスの劇作家マイケル・フレインの名作戯曲で、日本でもたびたび上演された『コペンハーゲン』が思い起こされる――『チルドレン』の中でも、牛の名前として、『コペンハーゲン』の登場人物の一人である実在の物理学者ハイゼンベルクへの言及がある。そのハイゼンベルクは、『コペンハーゲン』のラストの名台詞で、こう語る。(核兵器開発合戦にもかかわらず)「それでも、今この瞬間、世界はここにある――(中略)――我々の子供たちと、我々の子供たちの子供たち(Our children and our children’s children)」『チルドレン』。東日本大震災後の日本の状況を踏まえ、同じ島国イギリスから発信された戯曲。かつて原爆の被害にあい、そして近年、原発事故を経験した我々日本人がこの作品から汲み取れるものは、決して少なくないはずだ。

取材・文=藤本真由(舞台評論家)

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