再び紫の衝撃! ディープ・パープル来日、まさかの「長きのお別れツアー(The Long Goodbye Tour)」!?  by 高木大地(金属恵比須)【コラム】

SPICE

2018/8/31 18:00



ハード・ロック/へヴィ・メタル界の生き仏「DEEP PURPLEディープ・パープル」が、2017年より何やら物騒なタイトルのツアーをしている。「The Long Goodbye Tour」。そしてとうとう、2018年10月、日本にも“巡礼”することが決定した。

いわずと知れた70年代の「3大ハード・ロック・バンド」の1つであり、レッド・ツェッペリン、ブラック・サバスとともに、ロックの発展に大きく寄与したことは承知の通り。レッド・ツェッペリンは1980年に解散後、数度の再結成公演が行なわれたが2007年を最後に再結成の動きは見せていない。ブラック・サバスは2017年に解散ライヴを行ない、一部では「2022年に再び再結成?」ともいわれているが、実質的に解散している。

ということは、生で見られるハード・ロックの祖は今やディープ・パープルしかいなくなってしまった。そんな生けるレジェンドが日本に降臨するのだから、ロック・ファンは落ち着いていられない。もし知らなければ以下の2曲を聴いてほしい。絶対に聴いたことがあるはずだ。

【動画】Smoke on the water

【動画】Black night

申し遅れたが、筆者はプログレッシヴ・ロック・バンド「金属恵比須」のギタリストである。「プログレ」を標榜しておきながら、実はハード・ロックからの影響が多分に強い。2014年に発表した「ハリガネムシ」という曲も実は、ディープ・パープルの影響をモロに受けている。第Ⅲ期の名曲「嵐の死者」をベースに、ギター・ソロでは「ストレンジ・ウーマン」も飛び出すという直線的愛情表現。

【動画】金属恵比須「ハリガネムシ」

それもそのはず、筆者のロック初体験はディープ・パープルだったのである。小学校5年の時に、父の聴いていた名曲「ハイウェイ・スター」の疾走感に度肝を抜かれ、

【動画】Highway Star

「スピード・キング」のシャウトに心酔した。

【動画】Speed King

この“紫の衝撃”から、即バンドを組んだのが金属恵比須の始まりである。そこで、初めてできたオリジナル曲のタイトルが「行け行け暴走族」。……多分、「ハイウェイ」と「スピード」の触発された小学生らしい発想だったのだと思う。さすがに恥ずかしくて残念ながら音源は残っていない。一応記憶をたどれば、「ハイウェイ・スター」とジューダス・プリースト「ユーヴ・ガット・アナザー・シング・カミング」を足して10で割ったような曲だったような気がする。「2で割った」といったら失礼だ。それ以上掘り下げないでほしい。

そんな金属恵比須、実は活動休止期間があり、その間にやっていたバンドが、「ディープ・パープル“精神”完全コピー・バンド」=「大徳」だった。

【動画】Deep Purple Cover Band "大徳(DaiToku)"

ディープ・パープルへの愛が高じ、こんなバンドをやっていた過去がある。なお、「完全コピー・バンド」と名乗らず「“精神”完全コピー・バンド」としたのは、難しすぎて「完コピ」ができなかったからである。しかも、ギター・クラッシュなんて貧乏バンドマンにはできるはずがない。映像をご覧いただくとわかるが、ギターをはるか天井に投げるしぐさのコピーもしている。しかしあまりに天井が低いので、自らしゃがんで頭のあたりぐらいまで軽く投げるのにとどめておいた。だって大事なギターなんだもん。

その代わりといってはなんだが、“精神”を完全にコピーをした。イアン・ギラン役のヴォーカリストと筆者=ギタリストのリッチー・ブラックモア役とは犬猿の仲になるよう努めた。もちろん史実がそうだからである。ちなみに、ヴォーカリストとは本当に喧嘩をしたわけではないのであしからず(彼=諸石政興氏には、現在も金属恵比須のレコーディング・エンジニアとしてお世話になっている)。

余談だが、なぜ「大徳」なのか。それは、603年、聖徳太子が定めた「冠位十二階」の「濃い紫色(=英訳すればDeep Purple)」の冠の階級なのが「大徳」だったからだった。詳しくはデビュー・ライヴのMCを参照いただきたい。

【動画】Deep Purple Cover Band "大徳(DaiToku)"のMC

それほどまでに我が人生に多大なる影響を与えたバンド。一体何が魅力なのだろう。文献を漁ってみた。

「1993年のツアーは素晴らしかった。個人的な困難を乗り越えて、(リッチー・ブラックモアと)また一緒に仕事をすることになった。それがいつまで続くかは誰にもわからなかったけどね。(中略)これが現在の僕達であり、生々しく、危なっかしくて、先を予測できない。生身のバンドだから。――ロジャー・グローヴァー 1994」(『ライヴ・紫の閃光~リッチー・ブラックモア・ラスト・パフォーマンス・イン・ディープ・パープル』解説より)

1994年11月発表のライヴ・アルバムでは、メンバー自身、ディープ・パープルをこう語っていた。

「生々しく、危なっかしくて、先を予測できない。生身のバンド」

ディープ・パープルの最大の魅力はこれらの言葉に集約されているといっても過言ではない。さすが寡黙な重鎮ベーシスト――ロジャー・グローヴァー。

古い話だが、1993年、フロントマンのギタリストであるリッチー・ブラックモアが日本公演直前に脱退(VISAを破り捨てて物理的に来日できないようにしたという逸話あり)。あまりにも唐突な「事件」だった。筆者自身、リッチーのいないディープ・パープルを見に武道館まで赴いたが、入口に立て看板を持ったスーツ姿のスタッフが幾人もおり、「リッチー・ブラックモアは出演いたしません」と強調していたのが印象的だった。場内にも空席が散見され、いかにリッチーの存在感が大きかったかを目の当たりにした。

代打はジョー“職人”サトリアーニ。そのまま“リッチー・ポジション”に居座るかと思いきや、1994年にカンサスのスティーヴ・モーズが電撃加入。まさに「危なっかしくて、先を予想できない」展開となった。

時をさかのぼって1975年。まさかのリッチー脱退で瀕死のパープルを救ったのがトミー・ボーリンだったという歴史がある。第IV期の始まりである。実力的には引けを取らないボーリンだったが、リッチーの幻影を追うファンは多く、翌年解散。

モーズの加入は、その苦い経験の二の舞になるだろうと誰もが予想していたはずだ。しかし大方の予想を裏切り、モーズが24年間ギタリストのポジションに君臨し続けている。本当に「先を予想できない」。

また、2002年にはオリジナル・メンバーのキーボーディストであるジョン・ロードが脱退し、後釜は元レインボーのドン・エイリーに。リッチーはいないのに、結果的にリッチーつながりの人選には度肝を抜かれ、これもまた「先を予想できない」人事だった。

2002年より、
・イアン・ギラン(ヴォーカル)
・ロジャー・グローヴァー(ベース)
・イアン・ペイス(ドラム、唯一のオリジナル・メンバー)
・スティーヴ・モーズ
・ドン・エイリー
……と“不動”のメンバーとなり、今日に至っている。

このメンバーになってからの来日公演は、
・2009年
・2014年
・2016年
……と3回行なわれてきており、今回は4回目となる。それが”Long Goodbye”だと?

思えば2017年に「INFINITE」という動画が公開された。

【動画】inFinite

哀愁を帯び、不穏な雰囲気を醸し出すメロトロンの音色をバックに、イアン・ギランが操縦士に扮し、「INFINITE」号のかじを取る。船にはこう書いてある。

「1968 – 20?!」

6分以上にも及ぶ、ドラマチックな展開の本曲。ハード・ロックというよりかはむしろプログレッシヴ・ロック的である。そして特筆すべきは、歴代アルバムを映像にちりばめているということ。「タリエシン」の本が何気なく置いてあったり、『インロック』の肖像が現れたり、「ファイアボール」が飛んできたり、『紫の肖像』の泡が浮かび上がったり、『紫の炎』の蝋燭が燃えては消えたり、『嵐の死者』のペガサスが飛来したり、『紫の聖戦』の竜が闘ったり、ハウス・オブ・ブルー・ライト』の扉の向こうには『スレイヴ・アンド・マスターズ』の魔術師がいたり、などなど盛りだくさんである。

なお、ドラマチックな曲展開中、激しくて荒々しいパートには『紫の炎』『嵐の死者』『カム・テイスト・ザ・ザ・バンド』『紫の聖戦』『ハウス・オブ・ブルー・ライト』『スレイヴ・アンド・マスターズ』が確認できた。唯一のオリジナル・メンバーで皆勤賞のイアン・ペイス、そのとき、辛かったのだろうか。

とにもかくにも、メンバー・チェンジなどをも超越した“諦観”(仏教哲学的にはポジティヴな言葉)が感じられる映像だった。「永遠」といいながらも「長きの別れ」。「20?!」とははたして2018年のことなのだろうか。考えれば考えるほど展開が読めなくなる。

本当の別れかどうかは目撃するまではわからないのではないか。だって「生々しく、危なっかしくて、先を予測できない。生身のバンドだから」。これこそがディープ・パープルの醍醐味である。

文=高木大地(金属恵比須)

当記事はSPICEの提供記事です。

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