天才歌手・清貴はなぜ消えたのか? 当人が語る「大ヒットから17年の波乱」

日刊SPA!

2018/8/12 15:56



エンターテインメントの世界で第一線で活躍し続けるほど難しいことはない。一世を風靡するヒット曲を生み出しても、数年後には忘却の彼方へ……。「そういえばあのアーティスト、今何してるんだろう?」と思うことも多い。

2001年、『The Only One』が40万枚のヒットを記録した清貴も、程なくして表舞台から姿を消した。

果たして消えた天才歌手・清貴は、今、何をしているのか?

2018年夏、日刊SPA!は当人をインタビューした。

1998年、宇多田ヒカルの『Automatic』が社会現象となり、日本に本格的なR&Bブームが到来する中、2000年に“男性版宇多田ヒカル”とも言うべき圧倒的な歌唱力とテクニックで衝撃のデビューを飾った清貴。約半年後には『The Only One』によってスターダムに上り詰めるが、直後から新曲のリリースが停滞し、メディアへの露出も激減していった。

インタビュー当日、清貴はある場所でライブを控えていた。

◆ゲイであることを隠すのは苦しかった

――今日はライブ当日にも関わらず、ありがとうございます。

清貴:専門学校の自主ライブのゲストで2曲歌うんです。夢を追う若者って、いいですね。

――17年前、『The Only One』を聴いたときは“本物が出てきた!”と鳥肌が立ちました。どんな活躍を見せてくれるのかと非常に楽しみにしていたのですが……。

清貴:あの頃のことは、正直、あまり覚えてないんです(笑)。高校生のときに初めて送ったデモテープが目に留まり、そのまますぐデビューしてしまったから。プロ意識も希薄で、とにかく無我夢中だったんです。そんな中、ミュージックステーションに出演した際、ネットなどで「タモさんを見る上目使いは絶対ゲイ」といった噂話が囁かれ始めました。一番触れられたくないと思っていたことに触れられて、メディアに出ることがすごく怖くなりました。

――自分がLGBTだと自覚したのは、いつ頃ですか?

清貴:小学校高学年のときから他の友達との違いを意識するようになって、中学・高校で確信に変わりました。

――ということは、デビューしたときはすでに。

清貴:そうですね。でも、やっぱり隠さないといけない。インタビューで「好きな女の子のタイプは?」といった質問を受けるたびに、気持ちが塞いでいきました。表現者なのに嘘をつき続けないといけないのは苦しいし、オープンにしたい。でも、オープンにしたら歌うことができなくなるかもしれない。不安と悩みばかりが大きくなり、4thシングルの『Signal』をリリースしてから1年間、音楽ができなくなってしまいました。

◆「もっと歌いやすい曲を」と言われて

――1年後に復活して3枚のシングルをリリースして、再び3年間のブランクがありました。

清貴:デビュー当時は好きな音楽を、好きなように歌っていたのですが、次第にレコード会社から「複雑な歌い方をしないで、もっとみんなが歌いやすい曲を」と言われるようになりました。ファンの方からもよく言われるのですが、「難しすぎて、カラオケで歌えない」と(苦笑)。セクシュアリティの問題と同時に音楽性の問題も抱え、自分が何をやりたいのかわからなくなってしまったんです。

――たしかに、フェイクやホイッスルといったテクニックは素人には簡単にマネできません。

清貴:そうしているうちにメディアへの露出も減っていきました。でも、そこに関して落ち込むことはなかったんです。というのも、デビューから一気に売れてしまったので、常に自分の中に「これでいいのか?」という思いがありました。「敬愛するルーサー・ヴァンドロスのような人間性豊かな表現が出来ているのか?」という焦りがあり、むしろ「下積み期間が遅れて来ただけ」と、前向きに受け止められたんです。そしてその期間に、ゲイコミュニティで自分を受け入れてくれる仲間を作ることもできました。

◆渡米で直面した厳しい現実と本当の自分

――その後、2010年に単身アメリカに渡りました。

清貴:「自分が何をしたいのか?」を問い直したとき、一つの答えがデビュー前から考えていたアメリカでの音楽活動だったんです。

――活動を休止して渡米するアーティストやタレントは数多くいますが、常にファンが疑問に思うのが、「アメリカで何をしているのか?」ということです。

清貴:わかります(笑)。僕の場合は、何の後ろ盾もコネもなかったので、ゴスペルを歌える教会を訪ねて回ることから始めました。すると、「お前は何者だ?」と聞かれるので、「自分はシンガーだ」と答えると、「じゃあ、何か歌ってみろ」とポンポンと話が進んでいくんです。そこで『アメイジンググレイス』を歌ったら、スタンディングオベーションで応えてくれました。その後、全米最大のゴスペル大会で、日本人クワイアのソリストとして初優勝もすることができました。

――イメージ通りのアメリカ的なエピソードですね。

清貴:何事もフラットで、ダイレクトに話が進んでいくライブ感はありました。初対面の女性に「あなたゲイでしょ。だって、私に興味ないし」と言われたり(笑)。ただ、その分20万円もする機材を家の前で盗まれたり、会場側の勝手な都合でライブの持ち時間がいきなり半分に削られるといった、日本ではあり得ない事態も普通に起こりました。

◆ハリウッドの路上で弾き語りをして食いつないだ

――そんな中で、音楽活動は順調に進んでいきましたか?

清貴:ライブに出たり、イベントでゴスペルを歌ったりと活動の幅を広げていきましたが、音楽だけで食べていくには、あまりに厳しい現実がありました。途中、NYからLAに拠点を移した際は、引っ越しにものすごくお金がかかってしまった上、最初の数カ月まったく仕事がなく、15kgくらい痩せました。渡米してから「自分は音楽をしにここに来たのだから絶対にアルバイトはしない」と決めていたので、ハリウッドの路上で弾き語りをして食いつなぎましたが、あの時は死ぬかと思いましたね(苦笑)。でも、そこで世界中の人たちと音楽を通して触れ合えたことは、今でも大きな財産になっています。

――そして、2015年に帰国されましたが、きっかけは何だったのですか?

清貴:LAでの音楽活動の傍ら、日本に戻って来ていた時にMISIAさんの事務所の代表の方に、「うちの事務所に来ない? それから清貴君、ゲイでしょ。カミングアウトして同じように悩みを抱える人たちのために活動したら?」と言っていただいたことです。その言葉がきっかけで「悩み続けるより、正直に打ち明けて、自分らしく音楽を表現していこう」と決心できたんです。

デビューしてからはもちろん、アメリカに行ってもセクシュアリティの悩みは解決しませんでした。特にゴスペルを歌う教会では、LGBTへのアレルギーは根強いものがありました。しかし、この葛藤を乗り越えなければ、僕は前に進めない。そして、帰国してすぐ『TOKYO RAINBOW PRIDE 2015』で初めて公の場でカミングアウトしたんです。

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デビューから常に表現者としての苦悩と隣り合わせにあったセクシュアリティの問題が、ついに15年目にしてターニングポイントを迎える。決意のカミングアウトは、シンガー・清貴の音楽人生をどう変えていったのか? 近日公開予定の後編に続く。〈取材・文/日刊SPA!取材班 撮影/杉原洋平〉

【清貴】

高校在学中に送ったデモテープがきっかけとなり、16歳で東芝EMIと契約。17歳でデビューすると、3rdシングル『The Only One』が40万枚の大ヒットを記録。全国有線放送大賞新人賞受賞。その後、渡米し、全米最大のゴスペルイベントで4万人のオーディションを勝ち抜き、初の日本人クワイヤのソリストとして出場し優勝。2015年に帰国後、LGBTであることをカミングアウト。リオパラリンピックや平昌パラリンピックのフジ系列テーマソングを手掛ける。4thアルバム『あなたがいてくれたから』が絶賛発売中

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