戦国大名の家臣に学ぶ - リーダーを支えるチカラ 第4回 ヘッドハンティングで徳川家康を支えた! 藤堂高虎の人材採用術


ビジネスシーンにおいて、人材採用は企業の将来を左右する重要なファクターであり、人材は企業の財産だといえるでしょう。

より優れた人材を求めたり、企業の事業戦略や事業拡大を成功させたりするために、適任と思われる社外の人材をピンポイントで条件交渉し、採用するヘッドハンティングは組織の成長に有効な手段です。

今回紹介する藤堂高虎(以下、高虎)には、優れた人材をヘッドハントするヘッドハンターの才能があったようです。
○11人も上司(主君)を変える

高虎は13歳(15歳とも)で、近江小谷城主の浅井長政を皮切りに、織田信長の甥・信澄、羽柴秀長(秀吉の弟)、羽柴秀吉(豊臣秀吉)、徳川家康など、生涯で11人の主君に仕えたそうです。

歴史小説などでは、変わり身の早い武将として否定的に描かれることが多い人物ですが、その実像は、将来性のある主君を自ら選び、戦国の世を逞しく生きる知恵と武勇を備えた人物だと伝えられています。
○5倍の給与で敵将をヘッドハンティング

関ケ原の合戦に勝った東軍は、西軍に属した武将の居城を次々と接収していました。そのとき、高虎の開城要求に頑として応じなかったのが大和・郡山城にこもる、「槍の勘兵衛」の異名を持つ渡辺勘兵衛(以下、勘兵衛)でした。

「わが主の許しがなければ開城いたさぬ!」とがんばる勘兵衛。ところが、上司の増田長盛は徳川家康(以下、家康)の命令で追放となり高野山へ。腕ずくで開城させるか、穏便に事を運ぶか? 高虎が選んだのは後者でした。

長盛に開城するよう命じる書状を書かせたのです。その書状を受け取るまで、勘兵衛は城を渡さなかったそうです。この勘兵衛の態度に感心した高虎は、勘兵衛を2万石もの高給で召し抱えました。※長盛の部下時代は給与4,000石

これを聞いた高虎のライバル、加藤左馬助嘉明(以下嘉明)は、「高虎は馬鹿な男よ。わしなら2万石で200石取りの侍を100人抱えるだろう。いかに槍の勘兵衛でも100人の侍に勝てるはずがない」と高笑い。

これを聞いた高虎は「名もなき平侍が100人で陣を固めたところで怖くも何ともないが、あの槍の勘兵衛が固めた陣と聞けばどうか。敵は肝を冷やすであろう。勘兵衛を抱える利はここにあるのだ」と言い放ったと伝えられています。
○戦国時代のヘッドハンター

「今までの経営戦略ではライバル企業に勝てない」「従来の営業手法では、これ以上売り上げを伸ばすことができない」といった深刻な経営課題に直面したとき、それを解決できる人材が社内にいない場合、適切な人材を社外から採用する必要に迫られます。

この際、求める人材を公募するのが一般的ですが、特定の優れた人材を狙って、破格の好条件で採用するヘッドハンティングも有効な手段です。

ヘッドハンティングのメリットには以下の3点があげられます。

1:企業戦略にマッチした即戦力となり、希少価値を持つ人材を効率的に獲得できる。
2:即戦力の人材を獲得するので、育成コストが削減できる。
3:ヘッドハンティングで採用した人材は、自身のスキル・経験と企業ニーズのすり合わせを行っているため、入社後のミスマッチなどリスクが低い。

ヘッドハンティングされた人材は、経営課題の解決に貢献するだけでなく、知名度の高い人材であれば、企業の顔となり、ブランドイメージの創出にも貢献します。

たとえば、その人材が業界内やメディアで著名な人であれば、社会への影響力はより大きくなります。

勘兵衛をヘッドハンティングした高虎は、その能力を武勇という本業のみならず、東軍=家康サイドのシンボルとなり、東軍ブランドのパワーとなることを見抜いたうえで、2万石の報酬は妥当と判断したのかもしれません。

この高虎の慧眼は、彼が仕えた多くの戦国大名(リーダー)を支えたことでしょう。

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