沖縄戦の沖縄県知事と原爆時の広島県知事 嶋田叡×高野源進

TheNews

2018/8/10 15:00


(テーマ写真は「島守の塔」@沖縄県)

2018年は太平洋戦争終結73年目にあたります。多磨霊園には太平洋戦争で亡くなった方々のお墓がたくさんあります。その中でも今回は二名を紹介したいと思います。

1945年(昭和20年)太平洋戦争末期、南西諸島に上陸したアメリカ軍を主体とする連合軍と日本軍との間で行われた「沖縄戦」。3月26日の慶良間諸島に米軍が上陸したことから始まり、6月23日にかけて沖縄本島、及び周辺島嶼、海域で行われた戦いです。沖縄には多くの民間人らが住んでいたため、非戦闘員を巻き込む悲惨な戦場となりました。この沖縄戦の時の沖縄県知事が嶋田叡(しまだ・あきら)です。

嶋田は兵庫県神戸市出身で、東京帝国大学を卒業した後、内務省に入り、主に警察畑を歩みました。大阪府内務部長を務めていた、1945年1月10日沖縄県知事の打診を受けました。既に戦局は悪化しており、沖縄への米軍上陸は必至と見られていたため、周囲は打診を受けることに反対しました。ところが嶋田は「誰かが、どうしても行かなならんとあれば、言われた俺が断るわけにはいかんやないか。俺は死にたくないから、誰か代わりに行って死んでくれ、とは言えん。」と言い、死を覚悟して沖縄へ赴任したのです。

沖縄県知事着任後は、沖縄駐留の軍隊と連携を深め、北部への県民疎開や、食料の分散確保など、喫緊の問題を迅速に処理していきました。県民は嶋田知事に対して深い信頼の念を抱くようになったのです。だが3月26日ついに米軍が上陸し空襲が始まります。県庁を首里に移転し、地下壕の中で執務を続け、その後も壕を移転させながら指揮を執りました。6月9日嶋田に同行した県職員・警察官に対し「どうか命を永らえて欲しい」と訓示し、県及び警察組織の解散を命じました。6月26日荒井退造警察部長とともに摩文仁(糸満市)の壕を出た後は消息を絶ち、今日まで遺体は発見されていません。

沖縄戦時に沖縄県知事・嶋田叡さん

同じ年(1945年)8月6日世界で初めて広島に原子爆弾が投下されました。その時に広島県知事を務めていたのが高野源進(たかの・げんしん)です。

高野は福島県出身で、東京帝国大学を卒業した後、内務省に入り、嶋田と同じように主に警察畑を歩みました。1941年に山梨県知事に任ぜられ、大阪次長を経て、1945年6月10日から広島県知事に着任しました。原爆投下された8月6日は福山地方に出張中であり原爆の難はのがれました。広島全滅の知らせを受け急いで広島に戻ろうとしましたが、動きが取れず、それでも列車や車を乗り継いで午後6時半に現地入りします。すぐに比治山多聞院に「広島県防空本部(県庁)」を開庁。救護活動の調整や食糧放出などの対策を進めました。

高野は終戦後もしばらく広島知事を継続し、10月11日に東京に戻され、警視総監になり戦後の混乱の治安維持に当たります。翌年1月15日に公職を引退し、その後は弁護士となりました。

原爆投下時の広島県知事・高野源進

当時は立候補して選挙によって知事になるのではなく、任命されて赴任をする時代です。時代に翻弄された二人の県知事。1951年(昭和26年)県民からの寄付により、嶋田をはじめ死亡した県職員453名の慰霊碑として、摩文仁の丘に「島守の塔」が建立されました。

嶋田 叡 埋葬場所: 11区 1種 6側
http://www6.plala.or.jp/guti/cemetery/PERSON/S/shimada_a.html

高野源進 埋葬場所: 15区 1種 9側
http://www6.plala.or.jp/guti/cemetery/PERSON/T/takano_ge.html

【筆者プロフィール】
小村大樹(おむら・だいじゅ)
掃苔家・多磨霊園著名人研究家
1976年生まれ。1997年、大学生の時に多磨霊園の横にある石材屋でバイトをしたことをきっかけに多磨霊園に眠る著名人の散策を始める。1998年、当時インターネットが出始めた頃より「歴史が眠る多磨霊園」のホームページを制作。2018年開設20周年を迎える。
足で一基一基お墓を調査し、毎週1,2名ずつ更新をすることを20年間休まず実施(現在も継続中)。お墓をきっかけに眠っている著名人の生き様や時代背景の歴史を学ぶことをコンセプトにしており、掲載している人物は3000名を超える。
サイトを通じて多くの著名人のご遺族とも親交。歴史学者や郷土史家、出版社らの協力も惜しまず提供。一橋大学名誉教授の加藤哲郎『飽食した悪魔の戦後 731部隊と二木秀雄「政界ジープ」』(花伝社)では論文として考察される。『有名人の墓巡礼』(扶桑社ムック)では一部執筆を担当。中学社会科・高校地理歴史の免許を取得し、通信制高校で教壇にも立つ。
『歴史を学ぶのは、過去の事実を知ることだけではない。歴史を学ぶのは、過去の事実について、過去の人がどう考えていたかを学ぶことだ』『私が著名人だと思った人物は全て著名人である』がモットー。

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