ジャニーズ創世記 ジャニー喜多川社長が築いた「歌って踊る男性アイドル」の礎

 A.B.C―Zの主演舞台「ジャニーズ伝説」の製作発表に、ジャニーズ事務所の所属第1号アイドル「ジャニーズ」のメンバーだったあおい輝彦(70)が登場。会見後、ジャニー喜多川社長とともにスポーツ紙の取材に応じ、同グループの結成から解散までの思い出を明かしてくれた。これがジャニーさんやジャニーズ事務所の“原点”に重なる話で面白かった。

 同グループの結成は1962年。米大使館に勤務していたジャニーさんが米映画「ウエスト・サイド物語」に感銘を受け、コーチしていた少年野球チームのメンバーから4人を選抜したのがきっかけとなった。

 ただ、あおいはそれ以前から少年漫画誌などの表紙を飾っていたそうで、ジャニーさんから直接“スカウト”されて野球チームに入団したという。学生時代を米ロサンゼルスで過ごし、本場のショービジネスを学んでいたジャニーさんは当初から、芸能界デビューさせることを考えていたのかもしれない。あおいと対面した時の印象を、ジャニーさんは「この人なら間違いなくスターになると思った」と振り返った。

 結成されたジャニーズが最初に取り組んだのは「ウエスト・サイド物語」の再現。あおいは「ビデオもないから、ジャニーさんと一緒にお弁当を持って朝から晩まで映画館にこもって、何度も映画を観て歌や振り付けを必死に覚えた」と明かした。

 ジャニーさんが演出面を手掛け、姉のメリー喜多川さん(現ジャニーズ事務所副社長)がプロデューサー的な役割を果たしながら、ジャニーズは活動。業界関係者からは「ジャニーズは6人組とよく言われた」(あおい)という。特にジャニーさんの大胆で自由な発想は世間を驚かせた。

 ただ、当時の日本はまだ男性が踊るのが恥ずかしがられた時代。ジャニーズを見る目は冷たかった。世間からは、子供のタレントを意味する「ジャリタレ」と呼ばれた。あおいは「アイドルという言葉もなく、市民権も全くなかったからね。まあバカにされていたんだよ」。ジャニーさんは「でも(ジャリタレが)ジャニタレになったんですよ」とひょうひょうと話して笑わせたが、当時は悔しい思いをしたに違いない。

 それでもジャニーさんとともに信じる道を突き進んだジャニーズ。65年にNHK紅白歌合戦に出場。67年に解散し、約5年間の活動で終止符を打ったが、「歌って踊る男性アイドル」の礎を築いたグループとして今も芸能史にその名を刻む。

 「あの時代によく、ジャニーさんがやりたいことを通してくれた。今考えてみても大変なことだったと思う」とあおい。独自のシステムを構築し、日本の芸能史を形作った恩師に感謝した。

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