マンデラ氏収監中のエピソード 初めて電子レンジを目にして(南ア)

「平和のアイコン」「タタ・マディバ(国家の父)」と敬われた故ネルソン・マンデラ氏だが、政治犯として収監されていた頃は時代の流れから完全にとり残されていた。その様子をうかがうことができるエピソードとして、マンデラ氏が初めて電子レンジを見た日のことを彼を良く知る人物が明かしている。

ネルソン・マンデラ氏が最後の14か月間を過ごした南アフリカ・ケープタウン郊外のドラッケンステイン刑務所(Drakenstein Prison 元ビクター・フェルスター刑務所)内で、マンデラ氏の配膳担当責任者だったジャック・スワートさん(71歳)が彼との思い出を語った。

7月24日、スワートさんはドラッケンステイン刑務所に特別ゲストとして招待され、「ネルソン・マンデラ・ルールズ(被拘禁者処遇最低基準規則)」を南アフリカでも正式に取り入れることを記念する式典に参加した。

マンデラ氏に敬意を表して名づけられた「ネルソン・マンデラ・ルールズ」とは、受刑者の処遇改善のための最低基準を示したもので1955年の成立以来60年ぶりに大きく改正され、2015年12月に国際連合総会で採択された。この日は同刑務所にマイケル・マスサ法務大臣が駆けつけ、国を挙げて徹底した努力をすることを約束し、敷地内でこれを記念する銘板を披露した。

そのスワートさんが、マンデラ氏と深く関わるようになったきっかけは何だったのか。

スワートさんがマンデラ氏に初めて会ったのは1965年10月、ロベン島で看守として働いていた時だった。当時のスワートさんは18歳、囚人たちを石灰石採石場に車で運ぶ役目をしていた。ある日、採石場に到着すると運転席のドアをノックする人物がいた。それがマンデラ氏だった。

彼は「私たちを何だと思っている? 我々はトウモロコシの詰まった袋か?」と怒りを露わにしてきた。というのも荷台に乗っている囚人たちにできる限り嫌な思いをさせるため、運転は道路の陥没や岩の上を走るよう上司から命令されており、若きスワートさんは黙って窓を閉めることしかできなかったという。

その10年後、スワートさんは刑務所で配膳係の責任者になると、マンデラ氏の担当を命じられた。マンデラ氏は運転手時代の自分のことなど覚えていないだろうと思っていたスワートさんだったが、マンデラ氏と再び顔を合わせると「あなたは運転よりも料理のほうが上手だといいね」と言われたという。マンデラ氏はスワートさんの運転に抗議したことは思い出せないようであったが、彼が運転手であったことはしっかり覚えていたのだ。

そして2人の関係は友情へと発展し、優秀な弁護士だったマンデラ氏は口喧嘩でいつもスワートさんに勝ち、皿洗いを自分ですることにこだわった。いつの間にかスワートさんはマンデラ氏にアフリカーンス語、マンデラ氏はスワートさんに英語を教える仲になった。

そんなある日、マンデラ氏はスワートさんにこんな質問をしてきた。

「なぜここにはテレビが2台もあるのか?」

それは電子レンジのことで、スワートさんは使い方を説明するために水を入れたコップを電子レンジに入れ、温まったカップに指を入れるように伝えた。この魔法のような電子レンジの存在を知ったマンデラ氏は、訪れる政治犯仲間に電子レンジを自慢げに見せていたそうだ。

1990年2月11日に釈放されたマンデラ氏は、スワートさんに笑顔で挨拶をし、彼の家族について質問した。スワートさんはこの日のことを今でも鮮明に覚えているという。

現在はネルソン・マンデラ財団でツアーガイドとして働いているスワートさんは、ロベン島やドラケンステイン刑務所を定期的に訪れている。そんな彼にツアー客の多くがこんな質問をするそうだ。

「最後にマディバに振舞ったのは、何ですか?」

スワートさんによると、刑務所内での最後の食事はマンデラ氏の大好物だったアンフォコゴ(umphokoqo)というトウモロコシを砕いたものにサワーミルクを混ぜた素朴な料理と、スワートさんが焼いた全粒粉パンのスライス2枚、そしてマンゴーだったという。

画像は『IOL 2018年7月26日付「Madiba’s prison chef recalls fond memories」(Picture: Henk Kruger/African News Agency(ANA))』のスクリーンショット

(TechinsightJapan編集部 FLYNN)

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