『この世界の片隅に』ドラマ版とアニメ映画版の間で何が? ドラマの「special thanks to」に映画制作委は「一切関知しない」

リテラ

2018/8/5 23:03


 7月15日より放送がスタートしている実写ドラマ版『この世界の片隅に』(TBS)。こうの史代による原作漫画『この世界の片隅に』(双葉社)には存在しない「現代パート」が付け加えられていることなどが物議をかもしているが、7月29日放送の第3話は広島地区で22.5%(関東地区では9%)を記録するなど、好調を維持している。

そんななか、2016年に公開されたアニメ映画『この世界の片隅に』の製作委員会がツイッターにこんな文章を投稿した。

〈現在放送中の漫画『この世界の片隅に』を原作とする実写ドラマに「special thanks to 映画『この世界の片隅に』製作委員会」と表記されておりますが、当委員会は当該ドラマの内容・表現等につき、映画に関する設定の提供を含め、一切関知しておりません。
2018年7月24日「この世界の片隅に」製作委員会〉

映画『この世界の片隅に』製作委員会側はこのような文言を投稿するにいたった具体的な理由を明かしていないが、推測することはできる。

実は、ドラマ版『この世界の片隅に』は演出や構図、時代考証をアニメ映画版『この世界の片隅に』からそのまま使っているではないかという問題が指摘されてきたからだ。

そのひとつとして具体的にあげられているのが、1話で放送された祖母の家に行くシーンでのカット。すず、すみ、要一の兄妹が草津に住むおばあちゃんの家に行くため、潮の引いた海を徒歩で渡っていくのだが、そのシーンではドローン撮影を活用し、空撮で広大な干潟を引きの画で見せていた。

これとまったく同じ構図のカットがアニメ映画版の『この世界の片隅に』にある。しかし、原作漫画にはない。確かに、原作漫画にも干潟を渡って祖母の家に行くシーンはあるし、空から見た構図で広大な干潟を見せるカットもあるのだが、アニメ映画と連続ドラマが採用したものとは若干異なる。

ドラマ製作陣も映画はもちろん観ているだろうし、参考にしている部分は多々あるのだろう。だからこそ「special thanks to 映画『この世界の片隅に』製作委員会」とのクレジットをつけたのだと思われる。

しかし、それでもドラマ版『この世界の片隅に』にまつわる一連の作品づくりは、「オマージュ」というよりも「パクリ」という認識を映画ファンに与えたようだ。というのも、アニメ映画『この世界の片隅に』は、一般的な映画づくりとはいささか異なる成り立ちをしている映画だからかもしれない。映画評論家の町山智浩氏はこのようにツイートしている。

〈アニメ映画『この世界の片隅に』は製作準備段階での片渕須直監督の自腹を切り生活費を切り詰めての独自調査による精密な考証の結晶であり、その考証自体に著作権があると考えてもいいほどです。同じ原作を映像化する際、映画版の考証を利用するなら片渕監督の許可が必要だと思います〉

町山氏が指摘する通り、『この世界の片隅に』製作のために片渕須直監督が重ねた時代考証はすさまじいものがある。

片渕監督は「美術手帖」(美術出版社)2017年2月号で精神科医の斎藤環氏と対談を行っているのだが、そこで語られたあまりに詳細過ぎる時代考証は斎藤氏を絶句させた。

「描きたい時代が、昭和8年を起点の何年にもわたっているので、店の一軒一軒について。建物がどう変遷したかを調べました」
「その中では、写真に写っていないために、地元の人も覚えていない土地の事実も判明しました。電柱と鈴蘭灯の位置も、いくつもの写真から推測し、再現しています」

●丹念な時代考証を積み重ねた片渕監督の作品と戦争に向き合う姿勢

片渕監督がここまで調査を深めたのは『この世界の片隅に』という物語をより理解するためだ。『この世界の片隅に』の原作漫画自体、こうの史代による詳細な時代考証がベースとなっている作品であり、そのうえ地元出身者ならではの情報もふんだんに盛り込まれている(こうの史代は広島市出身の作家)。

それだけに『この世界の片隅に』を描くためには、広島や呉の街についてはもちろん、当時の人々の生活、戦艦や戦闘機、原爆のきのこ雲など戦争の実相についても深く調べてから映像にする必要があった。そうして調べた知識のすべてが映像にそのまま反映されているわけではないが、調査を深めたのは無駄ではない。監督は「そうやっていろいろなことを理解できたから、このカットのこの片隅にはこういうものがあるんだってところまで納得できるようになりました」(「キネマ旬報」(キネマ旬報社)2016年11月15日号)と語っているが、『この世界の片隅に』が日本映画史に残る名作として高い評価を受けた背景に、片渕監督のこうした作品に向かい合う姿勢があったことは間違いないだろう。

しかも、片渕監督のこの姿勢は、そのまま「戦争」に向き合う姿勢でもあった。

1960年生まれの片渕監督にとってもちろん戦争はリアルなものではない。親が戦中世代なので、戦争体験を聞く機会もあったが、それだけで戦争について物語をつくるのはあまりにも不十分であると片渕監督は指摘する。体験談はもちろん重要だが、それはあくまでその人個人の体験に過ぎない。だから、より客観的に戦争について知るには、当時を生きた人の日記、雑誌の記事、新聞、公文書など、とにかく膨大な数の資料にあたる必要がある。

それは、戦争を知らない世代が戦争の本当の姿を知るために採り得るもっとも正確なアプローチであり、かつ、戦争を体験した世代がいなくなった後でも、戦争を知らない世代が戦争の恐ろしさを知ることのできる唯一の方法だ。そして、そのためには、膨大な資料を残し、アクセスしやすい状況に保っておく必要がある。

「ユリイカ」(青土社)2016年11月号のインタビューで片渕監督はこのように語っている。

「このやり方は戦時中を体験したひとがいなくなったとしても有効なままでしょうから、僕らがもし後世に伝えられるものがあるとしたら、そういうことなのかなと。どこで何を調べれば当時の様子がわかるのかという、読者や視聴者にとっての調べ方の道標にならないといけないのかなと思っているんです」

日本社会が急速に保守化を進め、日本国憲法第9条を骨抜きにしようとする動きすら出ている昨今、『この世界の片隅に』のような作品がテレビドラマとして放送される意義は大きい。それだけに、この話がスキャンダラスに消費されるような展開になってほしくないと思うし、他の作品の演出や時代考証を参考にすることがはたして「パクリ」といえるのか、という問題はある。

またTBSは、朝日新聞の取材に対し「原作(漫画)を実写化したもので、外部の時代考証専門家の指導のもと独自に制作している」とコメントしている。

ただ、TBSというテレビ局のドラマ『この世界の片隅に』と、片渕監督が丹念につくりあげた映画『この世界の片隅に』の、作品に向き合う姿勢と圧倒的な資本力の差を考えると、やはりTBS 側がなんらかの配慮をするべきだったのではないのか、と思えてならない。
(編集部)

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