ドイツ国民は強制収容所の惨劇を知らなかった!? ナチス高官元女性秘書の告白『ゲッベルスと私』

日刊サイゾー

2018/6/16 21:00


 ヒトラーの右腕、プロパガンダの天才、多くの女優と浮名を流したロマンティスト……。ナチスドイツの初代宣伝大臣だったヨーゼフ・ゲッベルスをめぐる逸話はとても多い。ナチス軍服のファッション性を重視したこと、周囲には「博士」と呼ばせていたことなど、独自の美意識の持ち主であったことでも知られる。博識だったゲッベルスがメディアを統制し、イメージ戦略を展開したことで、ナチス総統アドルフ・ヒトラーはその人気を極めた。オーストリア映画『ゲッベルスと私』(原題『A GERMAN LIFE』)は、ゲッベルスの秘書を務めたブルンヒルデ・ポムゼルへのインタビューを中心に構成されたドキュメンタリーだ。撮影時103歳だったポムゼルが“生き証人”としてナチス政権下のドイツの内情を語る興味深い内容となっている。

「プロパガンダは相手に気づかれないよう、その意図を巧妙に隠してやる」「教養の低い大衆に向けてやるべき」など、ゲッベルスが残した言葉の数々は、現代の政治とメディアの関係性に充分通じるものだ。戦時中、ゲッベルスのオフィスに通っていたポムゼルは、終戦から69年間ずっと沈黙を守ってきたが、103歳にして初めてインタビューに答える。豊かな銀髪はウィッグかもしれないが、カメラに向かって毅然とした態度でしゃべり続けるポムゼルの記憶は極めて鮮明である。彼女の中では、戦時中の体験はほんの数年前の出来事であるかのようだ。

1911年にベルリンで生まれたポムゼルの回顧は、彼女の少女時代、第一次世界大戦時から始まる。ずっと不在だった父親が戦場から帰ってきた。知らない大人の男が家にいることに、幼いポムゼルは驚いたという。当時は子どもに対する躾が厳しく、大人に口答えするとすぐに体罰を受ける時代だった。中学卒業後のポムゼルはタイピストとなるが、景気は悪く、午前中はユダヤ人が経営する保険代理店で働き、午後はナチ党員の戦争体験を口述筆記する仕事を掛け持ちすることになる。よりよい職場を求めて、ポムゼルは22歳のときにナチ党に入党する。就職に有利になると聞いたからだ。なけなしの大金を払ってナチ党員となったポムゼルは、念願叶ってラジオ局での職を得る。1936年にはベルリン五輪が開催され、「街は活気に溢れていた。当時のベルリンは美しい街だった」とポムゼルは自身の青春期と重なるナチスドイツ黄金時代を振り返る。

ポムゼルの幸運は続く。ラジオ局での秘書としての勤勉さを買われた彼女は、ゲッベルス宣伝大臣の秘書として働くことになる。給料はぐんと上がり、周りは親切なエリートばかりで居心地がよかった。普段のゲッベルスはとても温厚で、洗練された紳士だった。昼休みになると、ゲッベルスの子どもたちが子煩悩だった父親を迎えにオフィスに現われたことを、ポムゼルは懐かしむ。タイプライターを子どもたちに貸して、遊ばせたこともあったそうだ。

だが、幸せなポムゼルとは対照的な運命を歩む女性もいた。ポムゼルの親友だったユダヤ人のエヴァだ。明るく、快活な性格のエヴァは、ポムゼルが勤めるラジオ局にときどき遊びに訪れ、男性局員たちの人気者となっていた。しかし、ナチスの隆盛と反比例して、ユダヤ人だったエヴァは就職もままならず、生活に貧するようになっていく。ポムゼルはそんな彼女に手を差し伸べたと弁明する。みんなでコーヒーやビールを飲みに行ったときは、彼女の分をみんなで支払ったと。しばらくして、バスの中でばったり逢ったエヴァから「あなたの同僚を訪ねてもいいかしら」と頼まれるが、すでに宣伝省で働くようになっていたポムゼルは「もう職場には来ないで」と断る。ポムゼルの新しい勤務先を知って、エヴァも理解した。音信不通となったエヴァは、その後強制収容所へ送られることになる。

ポムゼルは断言する。「若い人から、もし自分があの時代にいたら、ユダヤ人を助けたはずだと言われる。でも、きっと彼らも同じことをしていたわ。国中がガラスのドームに閉じ込められていたようだった。私たち自身が巨大な強制収容所にいたのよ」。彼女の言葉を証明するように、ナチスドイツ時代の記録映像がインタビューの合間に挿入される。街はナチス式敬礼をする市民たちの歓声で溢れ返り、反論の声を挙げても簡単に掻き消されてしまいそうだ。

ポムゼルは強制収容所で何が起きていたのか、戦時中はまるで知らなかったと主張する。ユダヤ人が街から姿を消したが、それは地方へ集団移住しただけなのだと信じていた。ポムゼルがまったくの嘘をついているようには見えない。ただ、ポムゼルをはじめとする豊かな生活を享受していたドイツ人は、真実を知ろうとしなかっただけなのだ。不快なこと、自分たちに都合の悪いことは目を閉じ、耳を塞いで、やり過ごそうとした。

ポムゼルたち多くのドイツ人が気づかないふりをしていた間に、ユダヤ人が移住させられたゲットーや強制収容所で何が起きていたかを、ナチスドイツの宣伝映像や連合軍側の資料映像はまざまざと教えてくれる。ゲットーでは餓え死にしたと思われる痩せ細ったユダヤ人の死体が道路に転がり、強制収容所の中からはガス室で命を絶たれたユダヤ人たちのおびただしい死体の山が運び出された。多くのユダヤ人たちの命と引き換えに、ポムゼルたちは戦時中も豊かな生活を送り続けていたのだ。

ユダヤ人の強制収容所への移送計画の指揮をとったアドルフ・アイヒマンは、1961年にイスラエルで行なわれた裁判で、「私はただ上官の命令に従っただけ」と自分には責任がないことを最期まで主張した。ポムゼルもそうだ。条件のよい職場を求めて、たまたまゲッベルスのもとで秘書として働くことになっただけだと。ナチスの政治信条に共感していたわけではなく、自分や家族が食べていくために真面目に働いただけだったと。彼女は言う。「私に罪があったとは思わない。ただし、ドイツ国民全員に罪があるとするなら、話は別よ。結果的にドイツ国民はあの政府が権力を握ることに加担してしまった。そうしたのは国民全員よ。もちろん私もその一人だわ」。

1945年、千年帝国と謳われたナチスドイツの首都ベルリンは陥落し、ヒトラーは自殺を遂げた。ヒトラーが後継者として指名していたゲッベルスだったが、それまでヒトラーに忠実だった彼は最期に逆らうことになる。敗戦国の首相として連合国側との交渉の席に就くことなく、ヒトラーの後を追うように自殺してしまう。ゲッベルスの妻と5人の子どもたちも道連れとなった。宣伝省の地下壕に隠れていたポムゼルはソ連軍の捕虜となり、終戦から5年間にわたって収容所生活を送ることになる。解放後、ポムゼルは再びラジオ局で働き始めた。2005年にホロコースト記念碑がベルリンに建立され、地下にある管理室のデータベースを検索したポムゼルは、音信不通になっていたエヴァが終戦の年に収容所で亡くなっていたことを知る。

103歳となったポムゼルの顔中に深い皺が刻み込まれている。まるで年輪を重ねた古い老木のようだ。ポムゼルは老木化しながらも生き続け、自身の体験を語るべきタイミングをずっと待っていた。延べ28日間、合計30時間にわたる、長くつらいインタビューを終えたポムゼルは、2017年に106歳でこの世を去る。

語るべきことを語り、老木のように倒れていったポムゼル。この映画がもしドキュメンタリーではなく劇映画だったら、どんなエンディングになっていただろうか。インタビューに答えたことが免罪符となり、天国へと向かったポムゼルは、そこでエヴァと再会する。エヴァは若い頃のままの姿だ。そのとき、エヴァはそしてポムゼルは、相手にどんな言葉を掛けるだろうか?
(文=長野辰次)

『ゲッベルスと私』
監督/クリスティアン・クレーネス、フロリアン・ヴァイゲンザマー、オーラフ・S・ミュラー、ローラント・シュロットホーファー
配給/サニーフィルム 6月16日(土)より神保町・岩波ホールにてロードショー公開
https://www.sunny-film.com/a-german-life

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