黒柳徹子が明かす『38歳の転機』 多くの女性の心をつかんだ理由とは?

grape

2018/6/14 16:17

女優の黒柳徹子さんが、2018年6月13日に自身のInstagramを更新。

演技の勉強をするために、アメリカに留学していたころのエピソードを明かし、反響を呼んでいます。

黒柳徹子「結局私は仕事を選んだ」

留学時に住んでいた部屋で、物思いにふけるように大きなイスに座る38歳のころの写真を、ネット上に公開した黒柳さん。

投稿の中で、黒柳さんは「あのころはイスに座って静かにものを考える時間はほとんどなかった」とつづり、当時の心境を振り返ります。

留学にあたり、女優の知人などからは、こんな言葉をかけられることもあったのだそうです。

「私は養わなければならない家族があってそんなことできないけど、あなたは身軽なんだからゆっくりしてらっしゃいよ」

「いいね、休んでおいで。でも、私は2年は長いと思うよ、日本の芸能界は、待ってくれても1年だと思うよ」

※写真はイメージ

周囲の言葉に耳を傾けつつも、自身の今後について悩んでいた黒柳さんに転機が訪れたのは、留学してから1年後のこと。

黒柳さんの元に、テレビ朝日のスタッフから突然電話がかかってきて、「ニュースショーの司会者にならないか」と誘われます。

当時の日本のTV番組では、男性が司会者をするのが主流であり、女性は清潔感のある服装で隣に立ってほほ笑むような存在でした。

また、TVを見ている人に反感を持たれないよう、「抜てきされる女性は主婦か、主婦の経験のある人に限られていた」と黒柳さんは語ります。

※写真はイメージ

どちらの例にも当てはまらなかった黒柳さんが「私ではダメだと思う」と告げると、電話の相手はこう返したのだそうです。

「世の中は、変わってきているんです。あなたみたいに独身で、ニューヨークへ行くような、自分の世界を持っている人の感覚が必要なんです。あなたに好きにやってもらいたいと、僕たちは考えているんです」

この言葉を受け、黒柳さんは日本に帰国して、新しい仕事にチャレンジすることを決断。

「あと一年、ここにいて楽しい暮らしをするのは確かに魅力的。でも、所詮仕事に戻るなら、新しい分野で仕事をしてみるのもいいかもしれない。」

1973年秋に、私は、日本に向けて飛び立った。

その時、別れが辛かった人も、居なくはなかった。

結婚も申し込まれたりもしていた。

でも、結局、私は仕事を選んだということになるのだろうか。

将来を考えて。
tetsukokuroyanagi ーより引用黒柳さんの投稿を読み、ネット上では「素敵」といった称賛のコメントが相次ぎました。

・読んで涙が出ました。カッコいい生きかただと思います。

・私ももうすぐ38歳です。人生の転換期を迎えているような気がして戸惑いもありましたが…徹子さんの言葉に、勇気をもらいました。

・心が震えました。どんな選択をしても、後悔しないとは限りませんが、自分らしく生きていこうと思います。

人生の転機ともいえるタイミングに、自らの決断で仕事と向き合うことにした黒柳さん。そこには本人にしか分からない葛藤や迷いもあったことでしょう。

いつか過去を振り返った時に、「あの時にした自分の決断が、いまの自分を作っている」といえるような人生を歩みたいですね。


[文・構成/grape編集部]

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