周りに気を使う公園遊び…思い切り楽しむコツは?【コソダテフルな毎日 第77話】

公園って疲れませんか?

子どもの公園遊びに付き合うと体力的に疲れるのはもちろんですが、私の場合は精神的に少し疲れてしまいます。

今はもう子どもたちも小学生2人&年中さんになったので子どもたちと公園に行って遊ぶ機会も少なくなりましたが、5・2・0歳と子どもたちが小さい頃は頻繁に行っていました。

我が家の子どもたちは砂場遊びが好きで、よく水を使って泥遊びをしたり、裸足で泥だらけになっていました。もちろん今でも裸足になって遊ぶ日もあります(禁止事項のない公園です)。

■周りのママの目が気になる
私は子どもがどろんこになっても全然気にしないタイプなので、裸足になろうがなんだってかまわないですが、公園に行くとやはりたくさんの人がいますから、自分たちのしたい遊びを100%し尽くすというわけにもいきません。

うちの子が裸足で遊んでいると、「ボクも裸足になりたい!」って言い出す子が出てきます。そのお母さんが裸足容認派だったら問題ないのですが、裸足はやめてほしい派だった場合は焦ります。

お母さんが「ダメよ」と止めても、子どもは「あの子は裸足で遊んでるのに」となりますよね。そうなるとお母さんも何と言って止めればいいのか分からなくなります。「あの子はいいけど、あなたはダメ」としか言えないわけです。

きっとそのお母さんから見れば我が家は迷惑な親子で、「なんで裸足で遊ばせてるのよ。うちの子が真似したがって困るじゃない」って思われているかもしれません。


そして、私もなんだか申し訳なくなって、自分の子にも「ほかの子がやりたがるから裸足で遊ぶのやめようか」と言って止めさせたりします。

でも、さっきまではよかったのに、急にダメって言い出したわけですから子どもたちからしたら意味がわかりません。

迷惑行為を禁止するのは当たり前のこととして、

・水を使う
・どろんこになる
・裸足になる

といった自由な遊びですらも周囲に気を使わなくてはいけないような気がして妙に疲れます。

結果的にどうなったかというと、

誰もいない公園にホッとするようになりました。

誰もいない公園で、誰に気兼ねすることもなくどろんこ&裸足で遊べる日が私たち親子にとっては安らぎの時でした。

きっと私と同じような気持ちを抱いてるママもいらっしゃるのではないでしょうか。

■子どもの感性も大切にしたい
例えばその他の例でいえば、お砂場のオモチャ。

小さい子どもって目の前にあるオモチャが「誰かの所有物」という意識がまだないので、それがよその人のものであったとしても「使いたい!」と思ったらすぐ手に取ります。

しかし、大人社会では他人のものを勝手に触ることはいけないことですよね。

だから、我が子が誰かのオモチャを手に取れば「ダメよ。あなたのものじゃないよ」と教えるママがほとんどですし、もちろん私も同じように言ってきました。

でも、私のほんとのほんとの心の中は、触ってみたい、遊んでみたい、やってみたいっていう好奇心で突き動かされているような1歳2歳のまだまだ幼い子たちにとっては、それが誰の物かなんて全然関係のない話であって、いっそみんなで貸し借りして自由に使えばいいんじゃないかな~~と思っています。


たしかに社会のルールでいえばよその人のものを勝手に触るのはいけないことですし教えれいくことは大事なのですが、何が何でも必死になって止めなくてもいいんじゃないかなぁ?と。

私の場合は、使っちゃダメ! と教えるよりも、「一緒に遊んでもいい?」「貸してもらってもいい?」と子どもの仲介として入っていました。

と、本音では思いつつも現場はやっぱり難しいですよね。我が子が誰かのオモチャを手に取った時には「すみません、すみません」とそそくさと返却していましたもの。

このように、公園で広々と遊びたくて来ているのに、子どもの一挙手一投足に「すみません」と大人たちに謝り、「やめなさい」と子どもたちを止め、一体私は誰に向かってアピールしてるんだろう…って空しく思う日もありました。

子どもたちの行動に対してではなく、周囲の大人たちに気を使って疲れてしまう現役子育てママ、意外と多いのではないでしょうか。

でも、ふと、もしかしたらこれってママだからこそ感じる息詰まり感なのかもしれないと思ったんですよね。女性だからこそ感じる感覚なのかもしれません。

そこで、パパである夫とこの事について語り合ってみました。

■「周りの視線気になる?」夫に意見を聞いてみた

私:「自分たちの子どもが公園でどろんこ遊びをしていた場合、周りのお母さんたちの視線が気になることってない?」

夫:「まったくない」(きっぱり)

私:「ないの!!? うちの子がどろんこになってるせいで、よそのお母さんたちにどう思われてるかな?とか気にならない?」

夫:「思わない。(即答)言い方が難しいけれど、そういうのって自分の子どもが自分たちの中心でなくなるからそういう感覚になるんだと思うよ」

私:「どういうこと?」

夫:「自己中っていう事ではなくて、周りのお母さんの顔色をうかがう側にしても、逆に『どうしてどろんこ遊びとかさせるのよ』って思うお母さん側にしても、両方、よその子を中心に考えるからしんどくなるんだと思う。

自分がどんな風に子どもを育てたいか、どんな遊びをさせたいかと「自分の子育て」を中心に考えれば、どろんこになって遊ばせたい親は自分の子どもにそれを許せばいいし、どろんこはやめてほしい親は自分の子どもにそれを守らせればいい。どっちがいいとか悪いとかではなくて、自分は自分の子どもをどうしたいのかってことだけを考えればいいと思うよ」


私:「…なるほど! たしかにそうかも。父親ならではの目線だね」

夫:「砂を周りにまき散らしてるとか、水を振り回してるとか明らかにダメなことをしてる場合は論外だけれど、遊び方の価値観の違いにまで気を配るとか意味がわからない。山を作りたい子は作ればいいし、川を作りたい子は作ればいい、それぞれ楽しめばいいじゃないか。

その中で『ボクもやってみたい』っていう子が出てきて、それでも親がやってほしくない遊びなのであればそれを止めるのは親の仕事。自分はその遊びをやらせたくないからといって、よその親子に「なんでこんなことするのよ」と思うのは筋違い。

自分の子育てが中心になっていないから。自分の子育て方針はその遊びをさせたくないのであれば、自分が子どもにしっかりと説得をして止めればいい

私:「そうか。私もさ、夕方そろそろ帰ろうよって子どもたちに声かけるでしょ? そしたら子どもたちが『やだ、まだ帰りたくない!』とか言うじゃん。で、周り見渡してもまだ遊んでる友達いっぱいいたりするから余計にうちの子どもたちも帰りたがらないわけ。『みんな遊んでるんだからいいじゃないか!』って。そういう時につい私も『みんなもう夕方なんだから帰ってくれればいいのに』とか思ったことあるもん。

でも、たしかに考えてみれば『よその子が遊んでるからうちの子が帰りたがらない』っていう思考は『よその子を軸にした考え方』だったし、自分の子を説得しきれない至らなさをよそになすり付けていたよね」

夫:「そう。言い方は過激になるけれど、オレはよその人にどう思われもいいと思っている。子どもは(常識的なルールの中で)子どもらしく好きに遊べばいいし、オレは自分の子どもは子ども時代にしかできないような遊びをたっぷりすればいいと思っている。

例えば、こう考えよう。オレが子どもたちの好きな遊びをさせたことでよそのお母さんにイラっとされたとする。じゃぁ、そのことが自分の子どもたちにどんな影響を与えるかな? よそのお母さんにオレがイラっとされたとされたことで、うちの子どもたちの人生において何か重大な影響があるか?

ないよね。周りの見ず知らずの人たちの思考が自分の子どもの成長に不利益を与えるかっていったらそんなこと全然ない。もちろん地域の人たちとのかかわりや、いい人たちとの出会いは大切。

だけれど、不特定多数の人のありとあらゆる気持ちにまで配慮して子育するなんてもはや無理な話だし、自分たちがどういう風にして子どもを育てたいか、『自分』を中心にして考えればもっと世のママたちも気が楽になるんじゃないかな」

私:「なるほど」

私たちは「自己中」という言葉にすごくネガティブなイメージを抱いてしまっていますが、この場合、自己中とはまた少し違った「自分中心」の考え方であって、たしかに夫の言うとおり、周囲の反応を気にし過ぎるママたちにおいては、今、あえて、自分中心の目線を取り入れてみてもいいかもしれません。


自分がどういう子育てをしたいか、そこを考えて育てていく、その視点を強く持つことも逆に必要なのかもしれませんね。

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(ちゅいママ)

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