大植真太郎、平原慎太郎、森山未來インタビュー 『談ス』Vol.3はどんな表現になるのか? 『談ス/NUDE』にヒントを求めて

SPICE

2018/5/17 12:00


大植真太郎、平原慎太郎、森山未來、バックグラウンドの異なる3人のダンサーが2014年に起ち上げた「談ス」シリーズ。そのVol.3の全国ツアーが5月15日、東京・なかのZEROホールを皮切りにスタートする。

Vol.3のタイトルは、

『凸し
 凹る』


これは、ロゴの通り文字を組まなければ意味がない。というのは、縦横どこから読んでもいい、どう発音してもいい、あなたはどう読みますか? という彼らならではの洒落た謎掛けを表明したものだからだ。転じて作品自体も、どう解釈しようが正解も不正解もないのだろう。

過去作はいずれも、3人が突出した身体能力を活かしながら身体をフルに使って遊ぶ、「ダンスなのか芝居なのかお笑いなのかプロレスなのか?」とも揶揄されるパフォーマンス。今回は、どのようなものになるのか、少しヒントをもらいたい。

去る4月5日、横浜美術館『NUDE展』のエキシビションとして開催された、一夜限りのパフォーマンス『談ス/NUDE』を紐解きながら、そのヒントにアクセスさせてもらった。
(左から)大植真太郎、平原慎太郎、森山未來
(左から)大植真太郎、平原慎太郎、森山未來

凸凹を合わせると四角になる。その場合の境界線はどこなのか?


ーーそもそもですが、一般的には「ダンス」というと、カッコイイとか美しいというイメージがあると思います。でも「談ス」シリーズは、客席に絶えず笑いが充満していますね。大前提として、笑わせたいという考えのもと作っているのでしょうか? それとも3人の人間性が自然と出てしまうだけなのでしょうか?

森山:それはもう、笑い乞食がいるんですよ(笑)。でも今回(『談ス/NUDE』)はあんまり笑わせようとはしていなかったよね。

平原:やっぱり作品の中に生きる男だからね、僕なんかは(笑)。

大植:僕は後者の部分があるかなと思う。ずっとピエロでやっているわけではないけれど、表裏が見える表現だから、(人間性が)こぼれる。皆さんがそのこぼれを拾って笑っているところもあると思います。

ーーVol.3のタイトル、毎回、いろいろな読み方をされていますが、今日は何と読みますか?

平原:さっき取材で出ていいなと思ったのが「とっし、おうる」。

森山:でも、さっき言ってた「すぎし、あきる」もいいよね。

平原:「凸」が出過ぎているから「過ぎし」で、「凹」は空きがあるから「空きる」と。
平原慎太郎
平原慎太郎

ーーでは、「すぎし、あきる」のヒントとして、『談ス/NUDE』(以下『NUDE』)についてお聞きしたいと思います。『NUDE』は、まず、韓国のNUDE展を視察に行き、それについて3人でディスカッションしたわけですよね?

森山:はい、しましたね。NUDE展は、ヌードをモチーフにした絵画や彫刻を集めて、どういう時代背景において、そのヌードが生まれたかを時系列で追っていく企画展なんですね。その時々で、社会的な問題が変容していくのに合わせて、ヌードによって作家が社会に訴えかけるものも変容していく。ヌードを描くエネルギーと主張をすごく感じたんです。それで、今の僕らにとってポリティカルなものってなんだろう、という話になりました。

「すぎし、あきる」は、凸凹の形をガッチャンと合わせると四角になるんですけど、合わせたことで、どこからどこまでが白なのか? 黒なのか? というニュアンスが生まれます。でも日本の感覚でいうと、もともと白黒はっきりさせるラインはなかったと思うんです。

いろいろな考えを持ち寄って、ああでもないこうでもないと言いながら、答えを出すんだか出さないんだかで少しずつ物事を進めていく。それがいわゆる現在でいうところの曖昧さみたいなものにもなるし、忖度にもなったりする。それでも境界線があるのだとしたら、それはどのラインなのか、誰が決めているのか。境界線を明確にする必要があるのかないのかも含めて考えよう、と。そこから、いろんな意味で日本というものがなんなのだろう、という考えに到ることができれば、『NUDE』にも通じるという話になりました。
森山未來
森山未來

境界線のモチーフとして「スライム」を使ってみました


ーー『NUDE』では、スライムが印象的に使われていて、非常におもしろかったです。Vol.3でも使いますか?

森山:使うと思います。最初、3人で境界線の話をしたときに、別のおもしろいマテリアルが出てきて候補にしていたのですが、最終的にスライムにしました。パッと見たとき、何だかわからない、というところから始まるのがいいんですよね。境界線のモチーフとして。

大植:物事がゆっくり歪んでいくとか、一定のスピードから急に早くなるとか、動きながら形を変えていく、みたいなものを表現してくれて。Vol.3では、舞台と客席との距離感も変わると思いますが、『NUDE』で試してみてよかったと思っています。

ーー答え合わせになりますが、『NUDE』の最初のシーンは、大植さん、森山さんの2人が美術館の作品で、平原さんが美術館の人なのかな、と想像しました。

大植:平原さんは、何かを鑑賞している人、というイメージですね。

森山:最初のイメージとして提案したのは、大植さんはバレエからキャリアを始め、それが海外へ行くきっかけにもなったわけです。バレエというのは元々は西洋の文化。日本の人が、自分たちの文化ではないバレエをやるということのいびつさみたいなものを出せないかな、というイメージがあったんです。いびつ、という感覚を身体化しようかな、と僕はそう思って作っていきました。他の人はどうかわかりませんけど(笑)。

大植:まあ若干、違う意見もあるけど、大きく違わなければ許容範囲です(笑)。やっているとなかなか俯瞰できないので、お客さんにどう観えているかは、今回のビデオを見ていろいろ話し合うと思います。

ーー『談ス』シリーズには、3人が複雑に絡み合って解けていく、という動きがよく出てきますが、振り付けは決まっているんですか?

大植:あれは決めておかないと、ケガまではしないけど危ないんです。だから振りはあるんですけど、身体の回しが大きすぎちゃった、押しすぎちゃった、ごめんね、とかは多々あります。
大植真太郎
大植真太郎

ーーそういう動きの中で、3人がものすごく密着します。それを観ているとなんとなく落ち着かない感覚になるのですが、ダンサーの方々は密着することに恐れのようなものはないですか?

森山:恐れ?(笑)でもやっぱり日本の人ってボディタッチが文化としてないので、違和感を持ったり、もしかしたらセクシャルなものを感じたりするのかもしれないですね。もちろん、この2人は踊りをずっとやっている人だし、身体的な言語が発達している人たちって、触ることをテクニカルなこととして受け止めるから、恐れとかはないですよね。

大植:『談ス』の1を作ったときに、未來くんが「触っちゃうとコンタクトになるけど、触るか触らないかの距離がおもしろい」という話をしていて。僕は、離れてまた触りにいく、というところがおもしろいと思う。人との距離感も一緒で、会ったばかりだと急には触らないんだけど、慣れてくるとポンポンと触ったりしますよね。そういう距離感が、僕たちがやっている身体的な表現においてもあるのかなと思います。それを身体的な会話、「談じてる」と僕は捉えていて。それによって言葉ではない関係性が生まれたりして。身体の距離感に何かを感じるというところは、やっぱり身体が持っているおもしろさではあるな、と思いますね。そこに魅力を感じます。

労力を惜しまず、対話を続けていきたい


ーー『談ス』シリーズはとても自由な作品。以前、森山さんが、コンテンポラリーに出会って自由になれた、とおっしゃっていたのですが、大植さん、平原さんもそういう経験はお持ちですか?

大植:僕は海外でバレエの学校に行っているとき、たまたまアメリカの先生とロシアの先生がいて、スタイルが全然違ったんです。それまでは僕が信じていたものはひとつだったので、カルチャーショックを受けました。そこが分かれ道になって。そのときはコンテンポラリーという言葉は意識していなかったけど、ダンスの広さ、どう捉えてもいいんだよ、とオープンになる機会でした。それがなければ、バレエばっかりやっていたと思う。その後は、臆することなく、いろいろなものをおもしろいと思えるようになりました。

平原:僕は、ラクになったというより、コンテンポラリーをやりたくて、やるようになったので。自分が好きな踊りは1つだけじゃないから、それを全部、1つのお皿に盛り付けられる、という意味で楽しいですね。

ーーVol.3のタイトルもどう読んでもいいし、『談ス』シリーズはどう捉えてもらってもいい、とよくおっしゃいますが、ご自身がコンテンポラリーに自由さを感じているように、観る人の固定観念をぶち壊したい、といった思いはありますか?

大植:終わった後に、何か自分たちの中に残るものがちゃんとあって、それが浸透していくような、ジワジワと染み込んでいくような感覚になってもらえたらなとは思います。僕は、観ている最中に考える作品をおもしろいと思わないんですよ。何も考えずに、浴びるように何かを受けて、魅了されている状態になって、劇場を離れたときに、スライムのようなタッチができたらなと。抽象的ですけど、そういう作品になればいいなと思います。あ、今、そういう話でよかったっけ?(と、2人に聞く)

森山・平原:まぁ……、うん……、いいかな(笑)。

平原:なんか大植さんの言葉が全然入ってこなくて。

森山:基本的に大植さんの言葉は、咀嚼する意志を持たないと咀嚼できないことが多々あるよね(笑)。

平原:そうそう。だから今すごい考え事してた。僕らが言いたいことはなんなのか、って。今、それを創作で探しているところなので。
(左から)大植真太郎、平原慎太郎、森山未來
(左から)大植真太郎、平原慎太郎、森山未來

ーーやはり、言いたいことを1つ決めて、創作していくんですね?

平原:そうですね。人と話しているときのほうが見つかったりするパターンがあるじゃないですか。会話が進んで、喋っているときに、もうひとりの自分が違う部屋から続きの話をするという感覚はあると思うので、お客さんに観てもらっている最中も、3人の中で作品の成長はあると思いますし、お客さんから伝わってくる雰囲気とかもキャッチしながら、作品を育てていくツアーになるのかなと思っています。

ーー身体を動かして創る時間より、喋っている時間のほうが数十倍多そうですね。

3人:いやいや!数十倍ってことはないですよ!(笑)

大植:でも10倍くらい?(笑)合宿中はなるべく動くようにしています。でもスタジオがあるのに入らずに喋っていた、ということはありましたね。

森山:「境界線」というのはテーマとして使えるよね、となってから、僕らなりの答えとしてはどういう答えになったらいいのかな、というのを考えていたんですけど。お互いの境界線を決める、受け入れるためには、対話が必要なんですよ。その対話の作業を僕らは延々やっているような気がするんですよね。3人で喋るなり、身体動かすなりして。その労力を惜しむことはない。しんどいからええやん、って、強引にやってしまうと結局歪むから。忖度して逃げるんじゃなくて、お互いに妥協せずに、ちゃんと対話を続けていく。それがとても大事なんじゃないかと思います。

平原:季節でも、夏になっちゃったら暑いだけだけど、秋になり始めたなというときに気持ちが動いたりするじゃないですか。つなぎ目のときにフワッと動く。とすれば、まさしく未來が言っていたみたいに、誰の発言でもない、ここ(3人の前)の何かに推移したときに、3人でやった感動みたいなのが出ると思うんです。ということでいいですか?

大植:うん。今、ちょっと目を開けて5分くらい寝てましたけど。

森山:ハハハハ。
(左から)大植真太郎、平原慎太郎、森山未來
(左から)大植真太郎、平原慎太郎、森山未來

「抽象的になっちゃいますが」と断りながら、膨大なワード数で語ってくれる、大植さん。それじゃ伝わらないのでは? と通訳を買って出るかのように、身振り手振りを加えて話してくれる森山さんもまた、ワード数は膨大。真ん中でじっと耳を傾けている時間が多かった平原さんは、パンチラインを繰り出す役割になっているように思える。3人が創作時にどれほどたっぷりと喋っているのか、想像してしまうほどだ。

3人の人柄、関係性が表出している『談ス』シリーズ、「ダンス」はわからないかも? と思う方も、「談ス」はきっと楽しめるはずだ。

取材・文=みよしみか 撮影=中田智章

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