初代ロードスターの開発で乗り上げたいくつかの暗礁とは?【マツダのレジェンドに学ぶ・第3回】

clicccar

2018/4/15 10:45


「クルマ塾」ふたりめのトークは、マツダデザインの責任者を長らくつとめた福田成徳さんの登場です。

学生時代の仲間がトヨタや日産を志望するなか、ロータリーに惚れ込んだ福田さんは東洋工業(現マツダ)一択。面接の担当者は、きしくも山本健一さんだったそうです。直接「ロータリーエンジンのクルマをデザインしたいんです!」と猛アピールしてから幾星霜、関連会社も含めると47年以上もお世話になったそうです。

社長や副社長が気軽にデザイン室に顔をのぞかせるような、中小企業的な風通しのいいところがあったといいます。

あるとき、ファミリアのクーペ版を思いつき、壁に自分の空想のスケッチを貼っていたところ、それが上司の目にとまり、2年後くらいに量産が始まったというフットワークの軽さも思い出に残っているとのことです。

カリフォルニアにいた時代は「マツダは小さな会社なので、自動車デザインだけに凝り固まっていてはいけない」と思い、「ロマンチック・エンジニアリング」という感性に訴える思想を提案しました。

エンドユーザーの皆さんが「これいいね!」と感じてもらえる、時代の要求するココロをカタチにしていく「ときめきのデザイン」を当時から心がけていたそうです。

現場に出て、エンドユーザーが何を求めているか、つねにリサーチしていました。初代NAロードスターもそのなかから産声を上げました。ブリティッシュ・スポーツが生産中止になったころですね。

ただ、当時アメリカでヒットしていたホンダCR-Xをサンプルにマーケットリサーチをしていると「RX-7という本格的スポーツカーがあるのに、もう1台はいらないよ」という声もあったのも事実だそうです。

ブリティッシュ・スポーツの跡を継ぐ役割は、どこかのメーカーがやらなければけいけないと感じていたそうです。

デザイン部門は、ボブ・フォール、チャック・ジョーダン、日本人なら俣野さんなど、多国籍なメンバーで構成されていました。

狙ったのは「セクレタリーカー」(秘書の乗るクルマ)でした。当時は女性の社会進出の機運が高まっていたころで、はたらく活気のある女性へ向けてライトウェイトスポーツを作ろう、という狙いがロードスターにはありました。

とりあえず走れる試作車を作り、オープンカーがきれいに見える気候の地域・サンタバーバラで実際に走らせました。ユーザーがどんな反応をするのか確かめるためです。試作が1台しかないのに走らせるなんて当時は無謀でした(笑)。ところが、それを見たとあるジャーナリストから電話がかかってきたのです。

発表前の試作車のスクープを世間に出すぞ、というような脅迫めいた内容だったのですが、これには「あなたが公開すると、この魅力あるスポーツカーが世に出なくなりますよ」と返し、制したそうです。

福田さんはFD型RX-7のデザインも手掛けていて、じつはフロントとリヤは、別のデザイン案をミックスさせたものだそうです。フロントは日本案、リヤはドイツの案です。それを陳さんというデザイナーにうまくまとめてもらいました。

会場には、みずからしたためた水彩画を何十枚も持ち込んで展示されていた福田さん。その味わいのあるタッチに釘づけになっているマツダファンも多数いらっしゃいました。



(Kaizee)

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