「火垂るの墓」原作との違いを改めて検証、改めて高畑勲恐るべし

エキレビ!

2018/4/13 09:45

4月5日に亡くなったアニメーション映画監督の高畑勲を追悼して、その代表作のひとつ「火垂るの墓」が、今夜9時からの日本テレビ・金曜ロードSHOW!で急遽放送されることになった。ちょうど今月は、「火垂るの墓」が、宮崎駿監督の「となりのトトロ」とともに公開されてから30年の節目でもある。なお、原作は、作家の野坂昭如が自らの戦争体験をもとに書いた同名小説で、こちらはちょうど50年前の1968年に直木賞を受賞している(発表は前年)。


正直にいえば、私は高畑勲の「火垂るの墓」をこれまで何となく敬遠してきた。これは原作者である野坂昭如への思い入れがそうさせてきたのかもしれない。少年時代の自分にとって野坂は、ときにCMで畳の被り物をして歌う愉快なおじさんであり、あるいは放言、暴言も辞さずあらゆることを斬る論客だった。また、長じて最初に読んだ彼の小説が『エロ事師たち』だったことも大きい。同作といい、愛聴していた「マリリン・モンロー・ノー・リターン」などの野坂の歌といい、戦災孤児を描いた『火垂るの墓』とはイメージも内容もことごとく遠いものに思われた。ましてやアニメ映画化された「火垂るの墓」のイメージは、この作家が持つ猥雑な雰囲気とはなはだしい齟齬を感じさせた。

それが今回、ほぼ初めて映画版「火垂るの墓」をDVDで観たところ、胸に迫るものがあり、いままで避けてきたことを反省した。それとあわせて、原作小説もあらためて読んでみたのだが、話の筋は同じとはいえ、やはり映画とは別物という感想を持った。

『火垂るの墓』の原作と映画の違いについては、日本文学者の越前谷宏(龍谷大学教授)が「野坂昭如「火垂るの墓」と高畑勲『火垂るの墓』」という論文(『日本文学』2005年4月号、日本文学協会)でくわしく検証している。ここでもそれを踏まえながら、見ていきたい。

清太とおばさんは具体的にどんな関係だったのか
越前谷の論文では、原作もアニメも「幼い兄妹が実母と死別し、他人の冷遇に耐えきれず、逃亡漂白する継子譚の定型」を踏んでいるとしたうえで、《だが、原作にはあったはずの幾つかのノイズが、アニメでは消されてしまっている》と指摘している。

たとえば、主人公の清太と未亡人である「小母さん」の血縁の距離。清太と妹の節子が母親を神戸大空襲で亡くしたあと、身を寄せるこの小母さんは、劇中では「遠い親戚」としか語られず、具体的に兄妹とどのような関係であったのかには触れられていない。これに対し原作では、「父の従弟(いとこ)の嫁の実家」とはっきり書かれている。つまり、小母さんから見れば清太は、娘の夫の従兄の息子であり、まったく血のつながりのない、かなり遠い関係なのだ。

しかし映画ではそれについての説明はない。しかも音声で聞く「小母さん」(よその年配の女性を指す場合、表記はこうなる)は、親戚の「伯母さん」「叔母さん」と区別がつかない。したがって、原作を読まずに観る人たちは、「小母さん」がなぜここまで兄妹につらく当たるのか、よくわからないのではないか。ちなみに原作では、小母さんが兄妹の食事は別々にすると言い放つ場面で、《さすがすぐ出ろとはいわなかったが、いいたい放題いいはなち、それもまた無理ではない、ずるずるべったりにいついたけれど、もともと父の従弟(いとこ)の嫁の実家なので》と、清太が彼女に厄介者扱いされる事情が説明されている(以下、原作からの引用は新潮文庫版『アメリカひじき・火垂るの墓』より)。

越前谷論文はこのほか、海軍大尉の息子という特権的な立場にあった清太が、母の死後、小母さんとの力関係において逆転するという皮肉な視点が、映画からは消し去られているとも指摘する。具体的には、原作における《遠足の時のラムネ菓子、グリコしかもってえへん貧乏な子に林檎わけたった》という一文や、あるいは《四年前、父の従弟の結婚について、候補者の身もと調べるためこのあたりを母と歩き、遠くあの未亡人の家をながめた》といったくだりは、映画には出てこない。後者についていえば、ほんの4年前(太平洋戦争の始まる直前か)には、未亡人=小母さんは清太たち家族から値踏みされる立場にあったことを意味し、その後の残酷なまでの立場の逆転を強調している。

「火垂るの墓」は反戦映画を意図したものではなかった
越前谷論文は、以上のような例をあげたうえで、《高畑は、原作にあったノイズを丁寧に除去することによって、純粋な〈悲劇〉に仕立て上げてしまったようだ》と書き、また《観客の側にも、アニメをお馴染みの継子物語のフレームに沿って解釈・受容しようとする姿勢があったのではないか》と指摘する。

ただし、そもそも高畑はこの映画について《決して単なる反戦映画ではなく、お涙頂戴のかわいそうな戦争の犠牲者の物語でもなく、戦争の時代に生きた、ごく普通の子供がたどった悲劇の物語を描いた》と強調している(『スタジオジブリ作品関連資料集II』スタジオジブリ)。野坂もまた、自分の作品が《もし、かわいそうな戦争の犠牲者の物語に仕立て上げられたら、なおぼく自身、いたたまれない》と語っていた(「アニメ恐るべし」、スタジオジブリ・文春文庫編『ジブリの教科書4 火垂るの墓』文春ジブリ文庫)。

しかし観た人たちの受けとめ方は、高畑と野坂の意図とは違った。ふたをあけてみれば、観客の圧倒的多数がこの作品を「反戦映画」と受け取ったのだ。これに対し高畑は、《私はあらためて、それはそれで当然なのだ、と反省させられたわけです》と、映画公開後の講演で述べている(「映画を作りながら考えたこと」、高畑勲『映画を作りながら考えたこと』徳間書店)。

観客がそう受けとめたのは、空襲のシーンなど戦争の描写を高畑ができるかぎりリアルに描こうと努めたことも大きいのだろう。たとえば、空襲時、米軍の戦闘機B29から次々と投下されたM69、「モロトフのパン籠」と呼ばれた焼夷弾がどのようにして落とされ、火の雨となって降り注がれたのか、そのメカニズムを調べるため、高畑は自衛隊にまで演出助手を取材に行かせたほどだった(「「モロトフのパン籠」の謎」、『映画を作りながら考えたこと』)。

清太は戦時中にタイムスリップした現代少年だった?
とはいえ、高畑にとって戦争はあくまで物語の背景にすぎない。それ以上に彼が描きたかったのは、泥沼のような人間関係から逃れ、二人だけで生きようとした幼い兄妹の姿であった。高畑は、《清太のとったこのような行動や心のうごきは、物質的に恵まれ、快・不快を対人関係や存在の大きな基準とし、わずらわしい人間関係をいとう現代の青年や子供たちとどこか似てはいないだろうか》と、この映画の意図が現代社会への問題提起にあったことを示唆している(「「火垂るの墓」と現代の子供たち」、『映画を作りながら考えたこと』)。

高畑は原作を読んだとき、清太少年について《まるで現代の少年がタイムスリップして、あの不幸な時代にまぎれこんでしまったように思えてならな》かったという(「「火垂るの墓」と現代の子供たち」)。とすれば、映画「火垂るの墓」は、もし現代の子供が戦時中にまぎれこんだら? という仮定にもとづく一種のシミュレーションともいえるかもしれない。

こうした意図から、高畑は清太と節子の兄妹を徹底的に世間から隔絶した存在として描いている。そこには原作から設定を変更している部分すらある。たとえば、原作では、清太が終戦を知ったのは8月15日当日だが、高畑はこれを1週間後に変えている。兄妹が世間から隔絶された生活を送っていたことを強調するためだろう。

あるいは、節子が死んで清太が自ら火葬する場面も、原作では《市役所へ頼むと、火葬場は満員で、一週間前のがまだ始末できんといわれ》と、そうせざるをえなかった事情が説明されている。ひるがえって映画ではこのくだりが省かれているため、清太が自分一人だけで節子を見送ろうと決めたという印象を受ける。

原作者に「アニメ恐るべし」と言わしめる
高畑は映画制作にあたり、《原作の語り口そのものを生かせないかなと思うわけです。あれは、明らかに清太からみている話だと思うんですよね。客観的に書いてある部分でも、やはり清太の気持ちを通してみているんです。そういう意味で、その語り口を何か生かす方法はないかと……》と、野坂との対談で語っていた(高畑勲・野坂昭如「清太と節子の見た“八月十五日”の空と海はこの上なくきれいだった」、『映画を作りながら考えたこと』)。

実際、できあがった映画は「昭和20年9月21日夜 ぼくは死んだ」という清太のモノローグから始まるとおり、彼の視点から物語が描かれている。だが、これについて前出の越前谷論文は、《アニメは、見つめる清太の物語ではなく、清太によって見つめられる節子の物語として受容されてきたようだ》と指摘する。ここでもつくり手の意図と観客の受け取り方にズレが生じたというわけだ。

それも無理からぬことで、映画に登場する節子は、そのあどけなさを見事に視覚化したキャラクターに加え、声優に起用した当時5歳の白石綾乃のリアルな演技もあいまって強烈な印象を私たちに与えた。いまや新潮文庫版『火垂るの墓』のカバーにも、洗面器をヘルメット代わりにかぶった節子が敬礼している画(スタジオジブリのスタッフだった近藤喜文・山本二三・保田道世による)が用いられ、そこに清太の姿はない。

小説、映画にかぎらず、強い力を持った作品は、ときに作者の意図を超えて人々に受け入れられることがある。高畑勲の「火垂るの墓」はその最たる例といえそうだ。

なお、原作者の野坂には終戦時1歳と、4歳という設定の節子よりも幼い妹がいた。小説『火垂るの墓』は彼女との実体験をもとに書かれている。だが、現実と小説は必ずしも同じではない。現実の野坂少年(終戦時14歳)は、妹(実際には彼の養父母の娘で、血のつながりはなかったようだが)の食べ物を盗み食いしたり、頭を殴ったりすることもしばしばであったという。後年、「舞台再訪 私の小説から」というエッセイで彼は、《ぼくはせめて、小説「火垂るの墓」にでてくる兄ほどに、妹をかわいがってやればよかったと、今になって、その無残な骨と皮の死にざまを、今になってくやむ気持が強く、小説中の清太に、その想いを発したのだ、ぼくはあんなにやさしくはなかった》とつづっている(『朝日新聞』1969年2月27日付)。

野坂はかつて『火垂るの墓』を映像化することは絶対に不可能だと思っていたが、映画の制作が決まり、高畑らスタッフと一緒に舞台を歩き、ラフスケッチを見せてもらううち、その思いが吹っ切れたという。彼がこのことを告白した文章は、《しみじみアニメ恐るべし》との言葉で締められていた(「アニメ恐るべし」)。

はたしてできあがった映画では、清太が原作以上に、自分を犠牲にしてでも妹を守ろうとする姿が印象に残り、涙を誘う。それは戦争というものがもたらす悲惨さを、私たちに実感させてあまりある。野坂ならずとも、「アニメ恐るべし」「高畑勲恐るべし」と言わずにはいられない。
(近藤正高)

「火垂るの墓」キャスト、スタッフ、主題歌
清太: 辰巳努
節子: 白石綾乃
母: 志乃原良子
未亡人: 山口朱美

企画・製作: 佐藤亮一
プロデューサー: 原徹
脚本・監督: 高畑勲
原作: 野坂昭如(新潮文庫版)
音楽: 間宮芳生
キャラクターデザイン・作画監督: 近藤喜文
レイアウト・作画監督補佐: 百瀬義行
美術監督: 山本二三
色彩設定: 保田道世
音響監督: 浦上靖夫
編集: 瀬山武司
制作: スタジオジブリ

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