邪魔なプライドは25歳で捨ててきた…“with B”こと芸人【ブリリアン】の今どきの成功のツカミ方


2017年に大ブレイクしたお笑い芸人ブルゾンちえみ“with B”こと芸人コンビ“ブリリアン”。ブルゾンちえみの後ろに常にぴったりくっついた2人の大男は、お茶の間の話題をさらうことになった。法政大学アメフト部主将だった金髪でマッチョのコージと、黒髪で幼い頃から塾やピアノなど習い事だらけの英才教育を受けたお坊ちゃん育ちのダイキは、ともに30歳。まるで真逆ともいえる境遇で育った2人は、いかにしてコンビを組み、今に至ったか。「2017年、日本一、幸運だったのは僕たちです」と語る、ブリリアンのこれまでの軌跡とは。
左:コージ 右:ダイキ 自分の可能性に賭けてみよう、何かことを起こしてみよう

――コージさんは、法政大学アメフト部のキャプテンで、卒業後の就職先として大手企業への内々定も決まっていたと聞いています。ダイキさんは、工学院大学を3年で中退されてしまいます。どうしてあえて、芸人という先の見えにくい世界に踏み出されたのでしょうか?

コージ:芸人になろうと決めていたわけではないんです。アメフトで甲子園ボウルという最高の舞台に立てたとき、こんな思いが果たして再びできるのかな、と思ってしまって。そのときの自分に勝つにはどうすればいいか、と考えたんです。そうでないと過去の栄光に憧れ続けることになる。それで、就職じゃなくて自分の可能性に賭けてみよう、何か「こと」を起こしてみようと思ったんです。

ダイキ:父親が医者をしていて、とにかく大学に行け、というので、なんとなく行ったんですが、このまま卒業してどうなるのかな、と思ってしまって。父親以上のことはできないなぁ、と。そんなことを思い始めたとき、突然浮かんだのが、役者になることでした。やるからには、中退して、こっちにシフトチェンジしようと。

――まずは、何から始められたんですか? もちろんデビューまで何年もかかり、最初からうまくいったわけではないわけですが、どんなことが大変でしたか?

コージ:お金がないと何もできないだろうと、まずはフリーターになりました。それこそ最初はコンビニのアルバイトですよ。ただ、お金は貯まらないし、そもそもお金がない。食パンだけでしのいだこともありましたね。でも、そんなことよりも辛かったのは精神面です。まわりの同級生たちは、ネクタイ締めてピカピカな社会人になっていくわけですよ。そんな中で、自分は何をやっているのかと。一番辛かったのは、友人の結婚式でした。親友に思うような御祝儀が包めない。こんな状況が6、7年、つい最近まで続いていました。

ダイキ:仕送りがなくなって、とりあえず飲食店のアルバイトですね。それで有名な俳優を輩出している事務所のオーディションを受け続けました。募集欄は25歳まで未経験者OKと書いてありましたので。でも、実際には実技審査もあるんです。結局、ぜんぜん受からず。そんな中で、25歳になってしまったんです。
どういうわけだか、いけそうな気がしていた



――芸能界もお笑いも、うまくいく保証などまったくない世界です。何が支えになっていたんでしょうか。

ダイキ:僕は、とにかく就職が合わないと思っていて、自由になりたかったんです。自由になって夢を追いかけられたらいいなぁ、と。なれるかどうかなんて、わかんない。まわりからは絶対に無理だと言われていました。でも、どういうわけだか、いけそうな気がしていたんです。

コージ:これが同じなんです。僕は25歳で一度、別の外国人の相方とコンビを組んでいたんですが、彼が国に帰っちゃったんですね。ゼロどころか、マイナスの状況。お笑いには向いてないんじゃないか、と2年間、途方に暮れました。そんな間も、かつての同級生たちはますますピカピカになっていって、もう部活にも顔を出せない。実家にも帰れない状況になって。

僕は殻に閉じこもってブレまくりの日々でした。でも、なぜか絶対なんとかなると思っていたんです。ダイキと同じです。しかも、まったく根拠のない自信(笑)。理由はないんです。だから、バカなんですよ(笑)。僕の場合は、まわりも「大丈夫、大丈夫」と言ってくれる意地悪な人ばかりだったことも大きかったですが(笑)。

――そこから転機はどんなふうに訪れるんですか?

ダイキ:当時、オイスターバーでバイトしていたんですが、そこの常連さんが事務所を立ち上げるので役者を探している、と言われて。それで所属して舞台のオーディションを受けに行ったら受かっちゃったんです。しかも主役で。ところが、セリフは覚えられないし、やったことないから本当に何もできずに怒られっぱなしで。なのに、その劇団の人に別の舞台に呼ばれたんですよね。そこで、相方のコージに出会ったんです。

コージ:僕は何が向いているのかわからず、ブレブレの時代で、舞台にも出るようになっていて。そこでダイキに会うんです。

ダイキ:27歳で同い年で、しゃべっていると同じような状況で、すごく安心してしまって(笑)。

コージ:傷のナメ合いしてたね(笑)。

ダイキ:法政のアメフト部のキャプテン、すげぇ、と思って。でも、なんで俺と同じ状況なんだろう、と思って(笑)。

コージ:僕は同じような境遇の人間には初めて会ったんです。それにしても、自分よりノーテンキなヤツがいたんだ、と驚きましたけど(笑)。

ダイキ:それで、すぐ仲良くなって、バイト先も同じにして。
自分たち“らしさ”はこうして生まれた



――こうしてコンビを組まれるんですね。お笑いの道というのは、最初から決まっていたんですか?

コージ:1年くらいしてコンビを組んだんですが、ほとんど僕が言いくるめた感じですね(笑)。一緒にいて楽しかったし、なんか2人でやれるんじゃないかと思ったんです。2人とも早く“居場所”を作らなければ、年齢的に後がないという気持ちもあって。

ただ、ダイキはお笑いに興味がなさそうだったので、ワタナベエンターテイメントに所属できるかもしれない養成所があるよ、と声をかけ始めたら、かぶせ気味くらいに即答で、やろう、と言われて(笑)。

ダイキ:お笑いは、ほぼ見たことがなかったんです。有名なお笑い番組とか、何が面白いのかわからなくて(笑)。漫才のボケとツッコミもよくわからない。でも、ワタナベエンターテイメントに入れるかもしれない、というのがとにかく魅力で。これなら両親も安心してくれる、と(笑)。

――養成所は同期200人、最後まで残って所属できるのは1割、2割と聞きますが、養成所時代はどんな状況だったんでしょうか?

コージ:僕らは最年長だったので、リーダー的な立場でした。まぁ、体育会でキャプテンやってましたから、仕切るのは得意です(笑)。ときどきダイキにも任せたりして。

ダイキ:僕は他の同期とからむのが苦手で。休憩中も、面白いことをみんなが言い合うわけです。ボケたり、ツッコんだり。でも、僕はできないんですよね。そうしたら、全然おもろないやん、とか言われて。なので、いつも忙しいフリをしていました(笑)。

コージ:そういえば、しょっちゅう、おらんかったよなぁ(笑)。

ダイキ:面白くないので、いないほうが、コージのためかな、と。天然ボケと言われますけど、自分ではコントロールできないんです(笑)。

コージ:そうなんです。だから、普通に漫才やコントやっても勝てないと思いました。じゃあ何やろうか、と考えてリズムネタが生まれるんですね。「肉食系草食系ネタ」とかも、養成所時代に生まれてるんです。これが、あいつらしかできないネタだ、と言われるようになってハマった。評価もそれなりに得られて。下手にしゃべれていたら、漫才をやって埋もれていたかもしれません。

ダイキ:僕は睡眠欲が強いんですが、養成所時代は人生で一番、睡眠時間が短かった。朝までバイトしてネタ合わせして9時から講義。丸一年、フラフラでしたね。とにかく遅刻をしないぞ、と思いましたが、一回遅刻しました(笑)。
30歳までに世に出よう、と目標を決めた



――養成所時代、うまくいった理由は何だったんでしょう?

コージ:入る前に、2人で目標を決めたんです。30歳までに世に出よう、と。そのためには、やらないといけないことがある、と小さな目標も決めて。養成所のライブで何位に入る。卒業ライブで何位に入る。日本テレビ「ぐるナイ!」の『おもしろ荘』に出る……。それが着実にクリアできた。20代前半なら、無鉄砲に行ったかもしれませんが、後がありませんから目標を決めてやってみようと。でも、小さな目標がかなうと、これ案外いけるかも、と自信になるんですよ。目標がはっきりしていると、やるべきこともはっきりする。今回は友人に声をかけて動員を頑張るぞ、とか。

ダイキ:めちゃめちゃ身体の大きな人が見に来てたりしました。ああ、アメフトの先輩だろうな、と。椅子を1.5人分使ってたりして(笑)。僕も昔の仲間に声をかけて。100人声かけて5人来てくれるか、という世界ですけど。

コージ:それで卒業ライブを見たブルゾンさんのマネージャーさんから声がかかったんです。後ろに2人つけるというネタがあるんだけど、会えませんか、と。実はこのときまだ、ワタナベエンターテインメントに所属できるかどうか、聞いていなかったんですよね。でも、これで所属できるのかな、と思って。その後、正式に所属できるという連絡をもらって。

ダイキ:うれしかったです。すぐに親に電話しました。ツイッターでもつぶやいて。

コージ:ワタナベエンターテインメントだぜい、いよいよ芸人だぜい、って感じでしたね。28歳で、ようやく社会人になれたかな、と。応援してくれてるみんなが喜んでくれて。



――実はブルゾンさんは3歳年下だったわけですが、単語以外、話すことができないなど、芸としても、わだかまりなど、なかったんでしょうか。

コージ:ブルゾンさんの名前はちょっと聞いたことがあるくらいだったんです。だから、無名の3人が一緒にやる、というノリでしたよね。ただ、with Bを考えたのはブルゾンさんですから、すべてブルゾンさんの世界観。彼女の指示に従う。僕は体育会でしたから、年上、年下の上下関係には厳しい中で育ってきたので、正直、一度も何とも思わなかったといえば、ウソになりますけど(笑)。でも、そんなことは言ってられない。

ダイキ:僕は25歳くらいで全部プライドは失っていましたので(笑)。誰に対しても敬語でしたし。それより、いつか自分でしゃべらないといけなくなることのほうが恐怖でした。

コージ:ビクビク怯えてたもんなぁ、できるだけこのままでいてくれ、と(笑)。

ダイキ:しゃべらないのに緊張してる。これでしゃべることになったら、どうなっちゃうんだ、と(笑)。

コージ:僕は、なんて優遇されてるんだ、ととにかく思ってました。ゴールデンタイムの番組に出ても、しゃべらないで勉強させてもらえるわけです。ありえない。ブルゾンさんは運が良かった、なんて言う人もいましたが、2017年に日本で最も運が良かったのは、間違いなく僕たちです(笑)。日本一、運が良かったんです。その自信はあります(笑)。
自分が幸せになることが、まわりも一番幸せ



――フリートークも始まって、ブリリアンとして活動することも増えてきました。今、超絶に忙しいと思いますが、どんなことをお考えですか。

コージ:とにかくテングになったら終わりやと思ってます。運って、人が持ってきてくださったものですから。こういうことをまわりに言ってくださる人がいるのも大きいです。勘違いするなよ、と。

ダイキ:とにかくサボらないことかと。

コージ:もっと忙しくなっていいし、もっと忙しくなってほしい。もっと働きたい。

フリートークが解禁になって、改めて思ったのは、僕らには武器が足りない、ということです。年が明けて、微妙に焦りが出ましたよね。それで立ち戻ったのが、リズムネタだったんです。そうしたら、これを触ってもらえるようになって。

ダイキ:とにかく一生懸命やってきたので。それだけだったんです。

コージ:これ以外ない、というタイミングでブルゾンさんのプロジェクトに加われて、ちょうど世の中も親しみやすさが求められていたりもして、いや本当に幸運だったんです。

――そんな幸運を手に入れるための、ヒントはありますか?

コージ:思い切ったことをする、というのはひとつの選択だと思います。だって、日本に生まれたんですもん。なんとかなります。生きていけます。それを若いときに知りましたよね。もし今、芸人でいられなくなったとしても、生きていく自信、ありますもん(笑)。

ダイキ:うん、どうとでもなるよね。

コージ:目の前にあるものが奪われると人生が終わっちゃう、と思っている人もいるかもしれないですが、そんなことはないと思います。実は自由に生きられるんじゃないか、と。もちろん大変なこともあるかもしれません。振り返ったら、僕はずっと映画の主人公みたいなつもりで生きてた。でも今、悲壮なことがあっても、映画は簡単には終わらないんですよ。

ダイキ:僕は、誰かのために頑張るのがいいのかと思ってる。

コージ:うん。でも、最後は自分のために、というのが一番強いんじゃないかな。自分が幸せになることが、まわりも一番幸せ。それが、なんたって一番強いと思う。

文:上阪 徹 写真:平山 諭

編集:丸山香奈枝

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