JALを支える「2人の女性」


 日本航空(JAL)は4月1日、整備部門出身の赤坂祐二・新社長体制が発足した。植木義晴前社長は代表権のある会長に就いた。

大川順子前専務は、6月開催の定時株主総会で取締役も外れ、同氏のために新設された副会長専任となる。総会後に津田塾大学学長特命補佐の八丁地園子氏が社外取締役に就任する。

“ガラスの天井”を突き破った輝かしいキャリアの2人がすれ違う格好となる。

●男社会を突き破ってきた大川順子氏

かつて、「東京オリンピックに外国人観光客を迎える航空会社の社長に、大川氏を起用するのではないか」との観測があった。女性社長が誕生すれば、日本は女性の主要なポストへの起用が少ないという海外の評価を払拭できる絶好のチャンスだった。女性社長の誕生は「女性が活躍する社会」の実現を訴える安倍晋三政権へのアピールにもなる。安倍首相とANAホールディングス(片野坂真哉社長)が“蜜月関係”にあることは有名だ。

だが、パイロットだった植木氏とCA(客室乗務員)出身の大川氏は、いわば“身内”だ。そのため、大川氏の社長起用は見送られたといわれている。今後の大川氏の仕事は植木氏の補佐で、これまでのブランド担当の延長線上で「SDGs(サステイナブル・デベロップメント・ゴールズ=持続可能な開発目標)」を受け持つ。

大川氏は華やかな存在だった。颯爽とした雰囲気そのままに、女性社員の先頭に立ってキャリアを切り拓いてきた。東京理科大学薬学部4年の時、JALが客室乗務員を500人採用するという募集広告を見て試しに受けてみたら、競争率20倍の超難関をくぐり抜けて合格した。

1977年、東京理科大学を卒業しJALに入社。国際線のCAとしてキャリアをスタートさせた。十数年間はほとんど空の人で、この間に結婚、出産、離婚を経験した。

『PRESIDENT WOMAN(プレジデントウーマン)』(プレジデント社/2015年12月号)のインタビューで、こう語っている。

「当時、乗務員で入社したら、97年に私が就任したチーフパーサー(現チーフキャビンアテンダント)がほとんどの乗務員のゴールでした。その後、私が歩んだような地上職に移って間接部門の部長になったり、役員になるという将来は、まず考えられませんでした」

JALは2010年1月に経営が破綻。その翌月、大川氏は執行役員(客室本部長)に抜擢されたが、ここから修羅場が訪れた。

JALを復活させるためにはリストラを進め、あらゆる制度を見直す必要があった。当然、社員にはつらい思いをさせることになるが、銀行に借金を棒引きしてもらい、株主が保有する株券が紙切れになった。社外の多くの人に迷惑をかけた手前、役員として毅然とした態度で改革を推進しなければならなかった。その一方で、CAの接客サービスの技術を磨いて顧客離れを一定程度、食い止めた。

逆風に立ち向ったことで大川氏はリーダーとしての素質に磨きがかかったようだ。13年6月、女性初の取締役に選任された。マネジメント能力でも定評がある大川氏を経営陣の一角に加えることで、JALは反転攻勢に出る考えだった。大川氏は新生JALのシンボルであった。

退任が正式に発表される前、大川氏は成田空港で米大リーグのロサンゼルス・エンゼルスに入団する大谷翔平選手を見送った。

「米大リーグ、エンゼルスの大谷翔平選手(23)の記者会見が1日、キャンプで米国に出発する前に成田空港で行われ、約100人の報道陣の他、居合わせた乗客ら約200人に公開される異例の形式となった。

大谷選手とサポート契約を結んだ日本航空の広報部が『一般のお客さまも応援している。こちらから(大谷選手に)お願いした』という経緯で実現した。出発カウンター内に会見用のステージを特設した。ここまで大々的に行うのはJAL初という。大川順子専務執行役員(63)は『憧れの漫画の世界でしか存在しないようなスーパースター。メジャーでも活躍してもらいたい』とエールを送った」(2月1日付共同通信より)

男社会の航空会社の中で“ガラスの天井”を突き破ってきた大川氏が、取締役を退任する。

●興銀ウーマンからJAL社外取締役に就任する八丁地園子氏

JALは2月28日、6月の株主総会後の新役員体制を発表した。社外取締役に八丁地園子氏が就任する。八丁地氏もまた、“ガラスの天井”を突き破ってきた女性だ。女性リーダーのロールモデル(お手本)といわれている。

津田塾大学学芸学部数学科を卒業し1972年、日本興業銀行(現みずほ銀行)に入行。プログラマーとしてシステム開発に携った。当時の銀行業界では女性は5年程度で寿退社するのが普通だったが、興銀は男女を問わず意欲ある人材にはどんどん仕事を任せる社風だった。

1986年、男女雇用機会均等法の施行を機に、上司からの勧めで総合職に転換した。金融商品の開発や営業部門ではコーポレートファイナンス業務でキャリアを積み、30代後半には管理職に就いた。子どもが小学校~中学生の間に3年間、英ロンドンへ単身赴任した。

その後、子会社のIBJ International副社長、興銀リース執行役員を経て、興銀グループのリスクコンサルティング会社、共立リスクマネジメントのシニアコンサルタントになった。

05年、明治大学大学院に入学し、MBA(経営学修士)を取得した。時に55歳。仕事(ワーキング)と家庭(ママ)を両立させながらMBAに挑戦したことから、“ワーママ”としてメディアの注目を浴びたが、その後、父母の介護で一時、職を離れた。

しかし、向上心旺盛な興銀ウーマンだった彼女を経済界は放っておかなかった。

八丁地氏は09年4月、「ホテル椿山荘」「箱根ホテル小涌園」「ワシントンホテル」などを運営する藤田観光に執行役員として迎えられ、経営企画を担当した。

藤田観光が打ち出す再生計画の発表を、常務取締役企画本部長になった八丁地氏が行った。東京・新宿歌舞伎町の新宿コマ劇場および東宝会館の跡地に建設する複合商業施設「新宿東宝ビル」の発表の席には、藤田観光からは八丁地氏が出た。都内最大級のシネマコンプレックス「TOHOシネマズ新宿」と藤田観光が運営する1030室のホテル「グレイスリー新宿」が入居している。

藤田観光が経営する外資系の「フォーシーズンズホテル椿山荘東京」を、和をアピールする「ホテル椿山荘東京」にブランドを変更する会見も八丁地氏が仕切った。

藤田観光顧問に退いた八丁地氏は17年4月、母校の津田塾大学学長特命補佐(戦略推進本部長)に就いた。

八面六臂の大活躍をする八丁地氏をJALは社外取締役に迎える。

JALの新規投資や路線開設には国土交通省の厳しい目が光ってきたが、その足かせが外れ、戦略の選択の自由度が格段に増した。そこでどんな成長戦略を打ち出すか。銀行にいたこともあり、金融に明るい戦略アドバイザー役に期待がかかる。両親の介護もしており、女性のライフイベントを多く経験しているのも強みだ。時代の要請で、要介護者にも楽しく旅行してもらうといった弱者の視点がエアラインに求められている。
(文=編集部)

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