新しきサウンドトラック≒カテドラル、そしてむかしむかし、ミライミライへ。

BOOKSTAND

2018/4/11 17:00

 小説は紙やディスプレイ(ページ)に印字≒表示された文字を読むものだから、視覚で認識する芸術だと言える。それを声に出して読んでみると聴覚で認識されるものになる。言葉は読まれるし、声に出されることでわたしたちの中に入ってくる。
 古川日出男は五感に強く訴えかけてくる小説を書いている作家で、特にその中でも視覚と聴覚による読者への「小説」の可能性を描き続けている数少ない小説家(プレイヤー)だ。

1998年のデビュー作『13』ではキリスト教をモチーフにしながら、左目が色弱でありながらも驚異的な色彩能力を持つ響一がハリウッドの映画制作現場で神を映像に収めるという内容で、言葉と色彩が怒涛に誕生する、いや溢れ出す小説だった。
 2008年のデビュー10周年の記念作でありメガノベル『聖家族』は、東北六県を舞台にしたある狗塚一族の兄弟妹たちを軸にし、時間と空間を描く中上健次作品におけるサーガの流れを継ぐ大聖堂(カテドラル)のような作品だった。歴史、家族、故郷、異能の者、排除され移動し続ける兄弟と、新しい命を孕んだ妹たちの「生」の呪縛と解放、鳴らされる言葉がたどりつくものを描いた超大作だった。
 そして、デビュー20周年の2018年に一冊に綴られたのが、この『ミライミライ』である。

最初に古川日出男という作家がどういう作家なのかと言ってしまうと、「見えないものを見て、聞こえないものを聞く」ことをこのわたしたちの現実の世界とパラフレーズさせ、あるいは重ねていくことで、多層的に現実や世界を浮かび上がらすことができる稀有な小説家であるということだろう。
 古川日出男は「幻視者」としての小説家でもある。それはアメリカの小説家、スティーヴ・エリクソンと兄弟や従兄弟のようでもある。彼らは同時多発的に異なる場所から現れて、この時間軸の「現在」を見つめることによって、「幻視者」の視線で「小説」というジャンルで表現をしているという共通項が挙げられる。だからこそ、彼らの小説にはいくつもの層(レイヤー)が存在している。現実と虚像が混ざり合いながら、響き合って物語が生まれてくる。輪郭が溶け合いながらどちらにも侵食していく。それはどこかまどろむような境界線の狭間に読者を連れていくものでもある。

例えば、歴史と呼ばれるものは「正史」だけではない。勝者が作ったそれだけではなく、敗者の歴史は時の権力者によって消されてしまうのが世に常であり、残されなかった歴史にいた人々の声や言葉や想いはなかったことにされる。それを時には「偽史」として、ぶつけることによって、「見えないものを見て、聞こえないものを聞く」ことができる物語を築き上げていく。それが「幻視者」の小説であり、古川日出男作品だとわたしは読むたびに感じる。
 ガルシア・マルケスをはじめとしたラテンアメリカ作家たちが書いた小説の後継者であり、更新者と言えるのではないだろうか。そこに宿るものは、今この同じ世界にいる人たちへ、いなくなってしまった人々へ、これからやってくる人々へ、「想像力」であり、自分ではない何かや誰かへの「他者性」であるはずだ。
 失われてしまった20年はとうの昔に流れ去って、30年へとなって、もはや失うことが当たり前になってしまっている時代に、最も失われてしまったのはこの「想像力」と「他者性」だった。だからこそ、この先へ向けて、同時に過去を見据えたものとして『ミライミライ』は描かれている。

第二次世界大戦後北海道はソ連に占領、鱒淵いづるを指揮官とする抗ソ組織はしぶとく闘いを続ける。やがて連邦国家インディアニッポンとなった日本で若者四人がヒップホップグループ「最新"」(サイジン)を結成。だがツアー中にMCジュンチが誘拐、犯人の要求は「日本の核武装」――歴史を撃ち抜き、音楽が火花を散らす、前人未到の長編(新潮社サイトより)。

『ミライミライ』はこれほどまでに凝縮されているのか、という驚きがある。パっと見はメガノベル『聖家族』よりも薄いのに、コットンを触るとあふれんばかりの水分が内包されているような、触ると瞬間に溢れでてくる。サンプリングして音を鳴らして繋いでいる「最新"」のDJ産土こそが作家の古川さん自身の投影のようだ。産土には妹がいて、その兄と妹というラインも『聖家族』にも通じる、宮沢賢治に通じる古川作品のラインを感じるものがあった。
 日常の、映画の、ここから前にある過去の、ここから後にある未来の、ある意味では世界の「サウンドトラック」である産土のDJが鳴らす音、それが照射されたものに、同時に重なるような3MCである野狐とジュンチとザ・デブ Tha Devがリリックを書いて鳴らしながら言葉にしていく音楽小説だった。

そう、『ミライミライ』は音楽小説である。同時にもう一つの現実を鳴らす。

物語は戦後から始まるが、鱒淵いづるの出生を初めと考えれば、「最新"」たちの時代までほぼ一世紀近くが描かれている。いくつもの歴史が交差し繋がると同時に存在すらする、いや鳴り響いて反響していく。
 蜷川幸雄演出のために古川さんが書いた戯曲『冬眠する熊に添い寝してごらん』から引き継がれたモチーフをいくつも感じる、キーになる「羆」は聖獣のように彼らを守り導いていく。この戯曲の中で核になる言葉「百年の想像力を持たない人間は、二十年と生きられない」は今作にも繋がっている。これは偽史的想像力を用いながら、もうひとつの「現実」として書かれている小説になっている。
 歴史に翻弄されながらも、その時代を生きていくために名を変えるものもいる。例えば、澤太伊知が「野狐」と名乗るように、いくつかの名が変わることで世界がスライドして重なっていく、刻まれた名を忘れることはないままいくつもの人生がディレイしていく。
 古川日出男の新しい代表作、言葉が響いて現在、過去、未来。むかしむかし、そして、ミライミライ。今ここに。

文/碇本学
https://twitter.com/manaview?lang=ja

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