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玉木正之のスポーツ内憂内患「貴乃花親方に目指してほしい“角界改革”」

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「言葉」とは、使われすぎると意味がわからなくなってしまうものらしい。

スポーツの世界では「感動」という言葉がそうだ。最近は「感動」だらけで、本当に素晴らしい感動がどんなものか、わからなくなったような気がする。

フィギュアスケートで盛んに使われている「世界観」という言葉も、私にはまったく意味がわからない。

ドイツの大哲学者カントが最初に使ったとされるこの言葉は、「個人にとっての人生に対する感想」を表す「人生観」よりも大きな意味を持つ言葉として、「この世の中は人間にとってどんな意味があり、人間はどんな役割を果たすべきか」という問いかけに答える考えを示すものだという。

平昌五輪での羽生結弦やザギトワの演技が見事だったのは認めるが、そこに彼らの「世界観」が表れていたと言うのは少々オーバーすぎる表現というほかない。

スポーツ界に留まらず、あらゆる場所で(特に政治家たちに)使われている言葉で理解できないのが「改革」という言葉だ。

最近では角界の貴乃花親方が「改革派」と言われ、日馬富士の暴行事件の事後処理の不備などを主張。公益財団法人日本相撲協会の認定機関である総務省に告発状を出すなど、「改革」を推進する姿勢を見せていた。

ところが、同部屋の十両力士の貴公俊が春場所の控え室で付け人に暴力を振るったことから、告発状を取り下げ、「一兵卒として出直す」ことを宣言した。

確かに角界に横行する暴力沙汰に強く反対していた親方の部屋の関取が、他の力士などが大勢いる本場所の控え室で出血させるほどの暴力を振るったのは、貴乃花親方の「暴力根絶」の主張を無意味にするほどの出来事だったと言える。

しかし横綱二人(白鵬、鶴竜)が見守る中で、もう一人の横綱(日馬富士)が他の部屋の力士(本場所で戦う相手)を暴行し、頭に9針も縫うキズを負わせた事件と、今回の事件とは根本的に内容が異なるはず。その事後処理に不備があり、自らに科された処分も不当だと主張して告発状を提出したのなら、その告発は角界の「改革」推進のために、取り下げるべきではなかっただろう。

もっとも、貴乃花親方の行動にも問題があり、自分の主張が正しいと信じるあまりか、他の親方衆とのコミュニケーションを欠いて孤立してしまったうえ、相撲ファンの支持も今一つ得られなかった。これは貴乃花親方の人間的未熟さゆえの戦術的失敗と言えよう。

貴乃花親方もその点に気づいたのか、「一兵卒宣言」のあとは協会とも足並みを揃え、マスコミの取材にも快く応じるようになった。

が、そこで問題として残るのは、角界の「改革派」と言われる貴乃花親方が、「どんな改革」を目指しているのか、ということだ。

いくつかのメディアが伝えるところによれば、本場所の取組時間を遅らせ、テレビのゴールデンタイムにするとか、新弟子希望者の減少を食い止めるため、相撲学校を設立するとか、和服は若者に受け入れられ難いのでジャージーにする‥‥といったことが貴乃花親方の「改革案」として取りあげられている。

私個人の意見としては、考慮して面白いと思うものもあれば、絶対反対と言いたいもの(和服の否定)もある。が、もっと根本的な(例えば相撲協会の理事長は個別の部屋の運営から離れるといった)「改革」を口にしてほしいものだ。

「改革」といえば、なぜか「正しい」もののように理解する風潮が(角界にも政界にも)あるが、角界の基本は日本の伝統文化を保守することのはず。だから角界の「改革」は(政界の憲法改正案と同様)、雰囲気で語るのではなく、具体案を個別に吟味したいものだ。

玉木正之

外部リンク(アサ芸プラス)

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