「メガロボクス」が成功するには何を描くべきか 「あしたのジョー」50周年アニメ

エキレビ!

2018/4/5 09:45

高森朝雄(梶原一騎)原作、ちばてつや画による不朽の名作漫画『あしたのジョー』が今年、連載開始から50周年を迎えた。関連して、さまざまなイベントなどの開催が予定されている。

その目玉とも言えるのが、今夜スタートする『あしたのジョー』を“原案”とした新作アニメ『メガロボクス』だ。アニメの冒頭には堂々と「『あしたのジョー』連載開始50周年企画」と銘打たれている。

昭和のドヤ街を舞台にした『あしたのジョー』とは違い、『メガロボクス』の設定は近未来だ。主人公のジャンクドッグ(演:細谷佳正)が挑むのは、ボクシングではなく、肉体とギア・テクノロジーを融合させた究極の格闘技・メガロボクス。

隻眼の男・南部贋作(演:斎藤志郎)と組んで、非合法の賭け試合で八百長をして生計を立てていたジャンクドッグの前に、ある日、白都コンツェルンの後継者・白都ゆき子(演:森なな子)と勇利(演:安元洋貴)が現れる。ゆき子はメガロボクスのトーナメント“メガロニア”を行おうとしており、勇利はメガロボクスの絶対王者だった――。

無論、ジャンクドッグは矢吹丈、南部は丹下段平、白都は白木葉子、勇利は力石徹をモチーフにしたキャラクターだ。


『あしたのジョー』のリメイクじゃない
正直、最初に話を聞いたときは「やめておけばいいのに」と思った。なにせ、『あしたのジョー』は原作が素晴らしいだけでなく、出崎統監督による二度のアニメ化(1970年、80年)も素晴らしかった。それに伍する作品を作るのは、並大抵のことではない。事実、2011年の実写化は無残だった。

「『あしたのジョー』の再アニメ化」というオファーを受けた森山洋監督(なんと本作が監督デビュー作)も同じことを考えたに違いない。「タイトルがタイトルですし、その時点では自分には合わないというか、できない仕事なのではないかと思いお断りしつつありました」と振り返っている。しかし、その後、脚本家の真辺克彦氏らとともに様々な切り口を模索し、「舞台を近未来に置き換える」「オリジナルでテーマ的なものを引き継ぐ」形で『メガロボクス』の設定が生まれた。

『メガロボクス』は『あしたのジョー』の“リメイク”でもなければ“リブート”でもない、元の作品を一回分解した後、再構築してまったく新しい作品を生み出したものだと考えていいだろう。勇利を演じる安元洋貴は「本作は『あしたのジョー』のリメイクではなく、『ジョー』を愛している人達が作った作品」と表現している。近未来でオリジナルの世界観は、『進撃の巨人』のビジュアルコンセプトや『甲鉄城のカバネリ』のコンセプトアートを手がけてきた森山監督にとって、まさに自分の庭のようなものだ。

「真っ白な灰」を追い求める人間ドラマ
夕陽の中、手負いの野良犬が荒野をさまよう『メガロボクス』のオープニング映像は、出崎監督の『あしたのジョー2』を彷彿とさせる。「参照元は原作漫画ですが、アニメ版も忘れることはできない」と語る森山監督は、「『メガロボクス』の主人公の精神構造は、力石が死んで旅から戻ってきた『ジョー2』のものに近い」ともコメントしている。

泥臭さ、ケレン味、ロマン、挫折、孤独、友情、やりきれなさ、青春の一瞬のきらめき、大人の態度……。原作漫画とアニメ版を通して『あしたのジョー』が表現していたものは数多い。はたして『メガロボクス』では何が表現されるのだろうか?

『あしたのジョー』の名場面として、ドサ回り時代にカーロス・リベラの試合をテレビで見ながら苛立つジョーの姿(原作より)を挙げる森山監督と、チャンピオンに敗れておでん屋の親父になった村上のエピソードと正月に段平が丈のために雑煮をつくって「おきらたくえ」とメモを残すエピソード(いずれも『あしたのジョー2』より)を挙げる脚本の真辺氏のことは信頼できると思う。

そして、やっぱりこの部分だ。

「あとに真っ白な灰しか残らないくらい、一途に何かを追い求める。どれだけ時代を経ても色あせない人間ドラマがあるとすれば、そんな姿勢にこそ共感が宿るんじゃないかな、と思います」(原作者・ちばてつや氏のコメント)

「真っ白な灰」になるまで燃え尽きたいと思う人間の姿は、時代を超えて人の心を揺さぶるだろう。『あしたのジョー』を“原案”とする『メガロボクス』が『ジョー』を感じさせるとしたら、この一点を描けているか、描けていないかに尽きる。『ジョー』ファンの一人として、楽しみに放送を待ちたい。
(大山くまお)

参考:『メガロボクス』オフィシャルサイト
   V-STORAGE「ガチンコ!メガロボクス道 第1回 監督:森山洋」
   V-STORAGE「羽原信義監督 森山洋監督 スペシャル対談」

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