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「anone」はドラマ脚本家・坂元裕二の集大成。あのセリフが意味するものとは

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【「anone」のセリフを読み解く 第7~最終話】

◆多数決で多数派になれない人たち

「anone」が3月21日に最終回を迎えた。放送終了後、脚本の坂元裕二がInstagramで連ドラはしばらく書かないことを報告していたが、はからずも本作は、ここ数年の坂元ドラマの集大成のような余韻を残して幕を閉じたと思う。

偽札が繋いだ数奇な縁によって、共同生活を送ることになったハリカ(広瀬すず)、亜乃音(田中裕子)、舵(阿部サダヲ)、るい子(小林聡美)の4人。彼らは赤の他人同士だが、やがて擬似家族として連帯し、大切な帰る居場所を形成していく。

彼らの共通点は、世間の設定する「普通」や「幸せ」からはじき出された、ある種の生きづらさを抱えた人たちであるということだ。7話には、「多数決で多数派になったこと一度もありません」というるい子のセリフがあるが、これと似たセリフが、同じ坂元脚本による’16年のドラマ「いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう」にも出てきた。

都会の世知辛さに傷つきながらも純真さを失わずに生きる杉原音(有村架純)が、「私、たぶん多数決があったら毎回ダメなほうです」と語るのだ。それに対して、彼女の想い人である曽田練(高良健吾)は、「ダメなほうはダメなほうで、そこで一緒にいればいいじゃないですか」「多数決が何回あっても、俺は杉原さんのところにいます」と慎ましく愛を告白する。

こうした虐げられた者同士の連帯を、恋愛でも家族でもない共同体として描いたのが、’17年の「カルテット」だ。この作品では、それぞれ欠陥を抱えた主要登場人物4人を穴の空いたドーナツにたとえ、別府司(松田龍平)が「僕はみなさんの、ちゃんとしてないところが好きなんです。たとえ世界中から責められたとしても、僕は全力でみなさんを甘やかしますから」と肯定するシーンがあった。

本作「anone」は明らかにその延長線上にある作品だが、ひとつ違うのは、暖かく優しい疑似家族的な4人のコミュニティに、中世古理市(瑛太)という“5人目の不穏分子”が投入されたことだろう。

◆中世古はもう一人のハリカだったかもしれない

かつてベンチャー企業の社長としてIT長者と言われていた中世古は、インサイダー取引で1年服役していた過去があるという。そして、自らが足元をすくわれた資本主義社会に復讐するかのように、偽札製造にとりつかれていく。

中世古「僕はね、これを犯罪だと思ってない。金を稼いでる人は誰だって、違うルールで生きてるんだ」

7話でそう語る通り、彼の行動原理は世間のルールとはかけ離れている。亜乃音に近づくために玲(江口のりこ)と付き合い、その息子・陽人(守永伊吹)が幼い頃に起こした火事をネタに揺すって、亜乃音を偽札製造に加担させるなど、目的遂行のためなら他人を道具に使うようなところが彼にはある。偽札の製造工程を説明するときだけ生き生きと雄弁で、彼自身の感情がほとんど見えてこないのも、不気味で冷淡な印象を与える。

ただ、ひとつだけわかるのは、彼もまたハリカや陽人と同じように、「みんなと同じにできない」生きづらさを抱えた人物である、ということだ。

9話で、偽札を使ったことがバレて警察に追われることになったとき、妻の結季(鈴木杏)が子供を親戚に預けて中世古のもとを去ろうとしても、彼は偽札製造の正当性を訴えるばかりで、妻が何に怒り、悲しみ、怯えているのかを意に介することができない。

最終回では、ハリカが「自首したほうが刑が軽くなるって」と出頭を勧めると、彼は「なんで?」と返す。反発やポジショントークではなく、おそらく彼は「罪は罪なのに、自首したかどうかでその重さが変わるのはどうしてか」が本当に純粋に理解できないのだと思う。

彼を「サイコパス」といった言葉で切って捨てるのは簡単だ。だが、他人の心情に共感したり、世間の空気を読んで同調したりすることが何よりも必須の能力として求められる社会では、中世古のような人はさぞ生きるのが苦しいに違いない。

中世古「生きてんの辛くないの? どうやって息してんの?」

ハリカ「辛いですよ。息しづらいですよ」

という最終回のやりとりからもわかるように、中世古は、ハリカや陽人が落ちていたかもしれないダークサイドの姿でもあるのだ。

この世界に生きている以上、私たちは傷つける側にも傷つけられる側にもなり得るし、それはコインの裏表のようにふとしたきっかけで反転する、一人の人間の持つ両面性にすぎない。そんな一貫した世界観は、4話で拳銃事件を起こして自殺した西海(川瀬陽太)について語る、舵のセリフにも表れている。

舵「俺もあいつも、同じ道歩いてて、一人だけ穴に落ちたんだ。どっちが落ちても不思議じゃなかった。あいつがしたことは、俺がするはずだったことかもしれないんだ」

坂元裕二の描く物語は、人を安易に“こちら側”と“あちら側”に分断しない。どんなに悲しい境遇も、醜い行いも、それは自分の身にも起きていたかもしれない地続きのできごとなのだ。

◆ニセモノがホンモノになるとき

それでも、ハリカを“こちら側”に踏みとどまらせ、中世古を紙切れ一枚分“あちら側”に連れて行ってしまった、2人を分かつものとは何だったのか。「息のしづらい人間には、この世界を恨む権利がある」という中世古に、ハリカはこう反論する。

ハリカ「亜乃音さんもそうだけど、青羽さんも持本さんもそうだけど、誰も誰かを恨んだりなんかしてない。辛いからって、辛い人が辛い人傷つけるの、そんなの一番くだらない。バカみたい!」

ハリカがこのような考えに至ることができたのは、紛れもなく亜乃音やるい子、舵らと出会ったからだろう。彼らの絆の根拠となるのは、血の繋がりではなく、毎日同じ食卓を囲んだり、揃って歯磨きをしたり、「ただいま」「おかえり」と言い合ったり、セミ柄のパジャマを気味悪がったり、ケーキフィルムについたクリームを舐めたり……といった、取るに足らない会話や、日常の些細な暮らしの作業だ。言い換えれば、“人が人を思う気持ちの積み重ね”である。

中世古「願いごとってさ、星に願えば叶うと思う? 願いごとは泥の中だ。泥に手を突っ込まないと叶わないんだよ」

中世古はそう言うが、たとえ「星に願う」ことが絵空事のフィクションにすぎなくても、そこに人を思う気持ちがあれば、「流れ星をまた一緒に見る」というハリカの約束は、彦星(清水尋也)の心を実際に動かしたではないか。

9話では、自分の好意のせいで治療を断ろうとしている彦星のために「君のこと、めんどくさくなっちゃった」と別れを告げるハリカ、自分の死期を悟らせないためにわざとるい子を迷惑だと退ける舵、一人で罪をかぶるためにハリカのことを「知らない子です」と突き放す亜乃音、という三者三様の“嘘”が描かれた。しかし、その真意はちゃんと相手に届き、思いは正しく伝わる。

そして、中世古も最後は、“人を欺くための偽札”ではなく、“人のためにつく嘘”を選んだ。火事の記憶を思い出してしまった陽人に対して、やったのは自分だと嘘をつき、彼の心を守ったのだ。このドラマにおいては、人が人を思うとき、“ニセモノ”は“ホンモノ”になるのである。

◆忘れっぽい郵便屋さんは何を届けるか

7話で、陽人から「大人になったら何になりたい?」と聞かれたハリカが「郵便屋さんかな」と答えるシーンがある。一見、唐突に聞こえる回答だが、私は思わずニヤリとしてしまった。坂元作品では、「手紙」がいつも重要なアイテムになり、何かを届ける/届けようとする行為(つまり「郵便」だ)が、よく象徴的に描かれるからだ。

思想家の東浩紀は、郵便配達における誤配(配達の遅延や失敗)に喩えて、予期しないコミュニケーションの可能性を「郵便的」と表したが、これってまさに、坂元裕二が「手紙」や「郵便」に象徴して描こうとしていることそのものではないだろうか。

最終回では、彦星からの手紙が鑑別所に届くたびに、郵便配達のバイクがいちいち映し出される。「僕は、この手紙をどこに出せばいいのかわかりません」「それではまず、この手紙の送り先が無事見つかることを祈っていてください」と書かれた彦星からの手紙は、「残念ですが、届くことを祈る前に手紙が届いてしまいました」というハリカのユーモラスな返信とともに、手紙というものが、送り手と受け取り手の間に、必ずタイムラグ(到着の遅延やズレ)をもたらすメディアであることを表す。しかし、そのズレが、2人のやりとりをより豊かなものにしているとも言えるだろう。

坂元作品の中で、手紙(コミュニケーション)はしばしば投函されなかったり、遅れて届いたり、時を隔てて読み返されたりと、意図的に「誤配」される。だが、こうしたズレや失敗や回り道や誤解やすれ違いが、予期せぬコミュニケーションをもたらす。何かを届ける/届けようとする行為そのものが、言葉にならない豊かな思いを伝える。

たとえば最終回で、服役中の亜乃音に面会しにきた玲は、「お母さん……」と呼びかけるのが精一杯で、「忘れちゃった、何話すのか」と言葉をつむぎ出すことができない。しかし、クリーニングのタグを“外し忘れ”ていることを亜乃音に指摘され、その失敗にようやく2人は笑顔を取り戻す。忘れ物というコミュニケーションの誤配が、止まっていた2人の関係を解きほぐし、ちょっとだけ前に進めたのだ。

ハリカは「大きくなったら、郵便屋さんになりたい」と答えた。忘れ物の多いハリカが郵便屋さんになったら、きっと届け忘れや、届け間違いといった「誤配」がしょっちゅう起きるに違いない。しかし、それはなんて素敵なことだろうか。亜乃音は、かつて陽人に「探し物したら、もっと面白いもの見つかるかも」と言った。人が人を思うとき、忘れ物は、もっと面白いものを見つけさせてくれる。偽物は、本物になる。メロンパンは、メロンになる。ハズレは、アタリになるのだ。

<TEXT/福田フクスケ>


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