音楽とテクノロジーを掛け合わせた「実験作」は賛否両論

TABILABO

2018/3/13 06:00

ジェフの勝手にカルチャー論 Vol.51 
「YMO -Vol.2-」



ジェフの勝手にカルチャー論(通称、ジェフカル)をいつも、読んでくれてありがとう!

今週は、日本が世界に誇る「YMO」特集。

彼らの音楽、歴史、魅力をシリーズでお届け中。では、第2回目!!



YMO結成から3年後の1981年は大きな転換期となった。

3月に『BGM』というアルバムを発表するが、かなり実験的な試みだったんだよね。

当時、開発されたばかりのデジタルのMTR(マルチトラックレコーダー)を駆使したエレクトリック・サウンドは、それまでのスタイルから一転して、重くて暗い印象となったんだ。

音楽とテクノロジー。2つの新たな可能性をとことん追求したアルバムは、それまでYMOに興味を持たなかった評論家などから非常に高い評価を得た。

でも、その一方で『ライディーン』的なサウンドを期待していたファンからは大ブーイング。「失敗作」「駄作」などと酷評され、セールス面では大きく落ち込んでしまう。

同年11月、先出の試みとは趣向の異なる実験的アルバム『テクノデリック』を発表。

当時、テクノロジー最先端であったサンプリングマシンを駆使して、金属音や人間の声などをサンプリング。加工して使われたサウンドは、世界中のミュージシャンに多大なる影響を与えることになった。

リリースされた2枚のアルバムに続いて、国内ツアーがスタート。しかし、12月27日の新宿ツバキハウスでの公演を最後にYMOの音楽活動は一旦休止状態となってしまったのだ。

「ある意味で、僕が“細野晴臣”というミュージシャンを仮想の敵としている以上に、細野さんは僕を敵としてとらえて、自らとYMOをパワーアップしている」

これは、音楽雑誌『ロッキンf』に坂本が語った言葉。

この時期の坂本と細野の関係はかなり険悪な状態でね。まさに不協和音が発生していた。2人の間にいた高橋はとても神経をすり減らしていたようだ。

すでにメンバー間では、1981年末でYMOの活動にピリオドを打つという考えがあったみたい。

けど、当時所属していたレコード会社だったアルファレコードの意向によるビジネス面での要求から、解散はひとまず先延ばしとなった。

ちなみに、1981年までのYMOのレコードの世界での売上は、シングルにおいてはアメリカで100万枚、イギリスで20万枚。アルバムは、アメリカとイギリスを合わせて20万枚

全世界でのレコード売上は500万枚に達していると伝えられている。(つづく)

「YMO -VOL.1-」の記事は、コチラ

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