「義母がくれたのは、3万1000円のガスレンジだけ」訛りの強い東北で、四面楚歌の結婚生活


 『わが子に会えない』(PHP研究所)で、離婚や別居により子どもと離れ、会えなくなってしまった男性の声を集めた西牟田靖が、その女性側の声――夫と別居して子どもと暮らす女性の声を聞くシリーズ。彼女たちは、なぜ別れを選んだのか? どんな暮らしを送り、どうやって子どもを育てているのか? 別れた夫に、子どもを会わせているのか? それとも会わせていないのか――?

第14回 山本裕子さん(仮名・40代)の話(前編)

「今考えると彼は、研究所で試験管を持ってたときの方が人間くさかった。少なくとも今のような冷酷さはなかった――」

そう話すのは、看護師の山本裕子さん。彼女には23歳の息子と20歳の娘がいる。そんな彼女は、夫と同居しながら離婚裁判を戦ったという体験の持ち主。3年にわたる家庭内別居、離婚後のシングルマザー生活について話を伺った。

■付き合い始めて3カ月もしないうちに、結婚の話が

――旦那さんと知り合ったきっかけを教えてください。

東京の医療系の短大を卒業して、都内の大学病院に勤務していたとき、そこに、夫となる男性が入院してきました。彼は7つ年上の理系で、当時、民間企業の研究所で働いていました。

――入院した理由は?

視力が、かなり失われていたんです。それで数カ月入院しました。私が担当だったんですが、良い意味で粘り強い、悪く言えばねちっこい性格。枯れ木みたいに細くて背の高い人でした。

入院中に、「(視力が悪くなった)原因を知りたいから、医学書を貸してほしい」と頼まれて、ナースステーションにある本を貸したら、必死にずっと読んでいました。落ち込んだそぶりは一切なくて、調べることに没頭してるんです。「この人は真面目な人だな。問題から逃げない人なんだな」と思って好意を抱きました。

――お付き合いを始めたきっかけは?

目が回復して退院した彼が、病院に挨拶に来たんです。「その節はありがとうございます」って。立ち話をしてるうちに、「じゃあ1回外で会いましょうか」ってなったんです。それで毎週とか会ってたのかな。

――お付き合いしてるうちに接近していったということですか?

3カ月もしないうちに結婚の話が出ました。そのときは「東京で」という話だったのに、いつの間にか「Uターン就職する」って言い始めた。「親戚付き合いはしなくていい。俺、オマエを守るから」って言うんです。

――ずいぶん急な展開ですね。

東北の小さな町で育って、理系の大学を出た研究者ですから、それまでは順風満帆。ところが目をやられて挫折して、故郷に帰りたくなったみたいです。

結婚について私が九州の実家に電話したら、両親に強硬に反対されました。私は一人娘で、うちの両親は気が強いので、電話でケンカになっちゃって、最後は「勝手にするったい!(勝手にしなさい!)」と電話口で怒鳴られました。2人して挨拶に行けばよかったんですが、ずいぶん怒ってるし、展開が急だったってこともあって、行かずじまいとなってしまいした。

彼の新しい職場は、大手保険会社の地元支社。勝手に話が進んでて“あれ?”って思ったけど、私は昭和の女だから、男の仕事には口を挟みたくない。それに私、看護師だから、どこでも仕事ができると思ってたし。ついていくことにしました。

――どこに住み始めたんですか?

彼の実家から車で30分ほど離れた、隣町のアパート。まずは看護の仕事を探そうとしました。だけど、こちらの訛りが予想以上に強いので、ひとまず断念。そんなとき、妊娠がわかりました。それで就職はいったん諦めて、無理くり籍を入れたんです。彼の両親から私の両親への挨拶もなし。長男の結婚なのに、結婚式はしてくれないし、新婚旅行も行かずじまい。なんにもない。義母がくれたのは、3万1000円のガスレンジだけ。

――親戚付き合いは、しなくてよかったんですか?

いえ。話はまったく違ってました。親戚付き合いの連続です。籍を入れてから1カ月後には、夫の妹の結婚式がありました。300人ほどが出席する盛大な式。私は留袖を着せられて、親戚の1人として手伝いをさせられました。だけど、その場で誰も私のことを知りません。だから会う人会う人、「○男(夫)の妻です」と挨拶して回りました。ご祝儀は10万円。夫が勝手に包んでいました。私ら、義妹から何ももらってないのにね。

――義理の妹さんとの待遇差はひどいですね。

しかも義妹は、たった4カ月で離婚して、実家に帰ってきたんです。あれだけ盛大な結婚式をやったのに。その後、義妹は実家の近くで1人暮らしを始めました。だけど実家には入り浸ってましたね。ご飯は自分で作らずに、親に作らせて持ってきてもらってたようです。両親や夫、そのほかの親戚たちに「働かなくていいよ」って言われて、みんなに守られた、甘えた生活を送ってるわけ。私は大いに不満でしたが、気がついたら彼女も妊娠してた。しかも私よりも先に、結婚した年のうちに産んじゃってました。

――一方で、山本さんのお子さんはどうなったんですか?

年明けには臨月。だけど、生まれる前が大変だった。何が大変かって? 冬の雪かきですよ。普通は父親がやるんだけど、夫は一切やらないんです。

――では、雪かきは誰が?

私がやるしかなかった。前年の春に妊娠がわかったとき、慣れない雪かきを、まさか臨月ですることになるとは思ってもみなかった。

――流産したら大変ですよ。

いえ。夫はそんなこと、まったく気にしない人なんです。2月にいよいよ出産ってときだって、立ち会うはずがない。産んだのは病院です。会陰切開で生みました。夫や夫の親戚のお見舞いは、結局なかった。

――病院から帰った後は、どのような生活でしたか?

息子を出産後、1週間ぐらいで病院からアパートに戻ったんですが、家の中はコーヒーとかの空き缶があちこちに転がってる状態。彼が一向に動こうとしないので、赤子を抱いたまま掃除し始めたんです。すると夫は、「あー焼き鳥食べたい。焼き鳥買ってきて」って言うんです。

それで私、結局買いに行かされましたよ。車の免許を持ってなかったし、雪もなかったから自転車。痛くてサドルに座れなかったから、立ちこぎ。なんでこんな人と結婚しちゃったんだろって後悔しましたよ。だけど、子どももできちゃったからね……。

――でも、その後、家を建てたんですよね。それはなぜですか?

家を建てて責任感が増せば、自然と変わってくれるんじゃないかって思ったからです。22年前かな。夫が「生まれ故郷の町に、どうしても帰りたい」と言ったのが発端で、息子が1歳になったときでした。土地の購入には私が独身のときに貯めた1000万円弱を使いました。上物(建物)は2500万円。彼の名義でローンを組んで建てました。

――それで、旦那さんは変わりましたか?

いえ、一向に変わりませんでした。子育てひとつ取ってもそうです。彼は「おむつ換えしてる」と胸を張ってましたが、とてもとても。おむつを「はい」といって手渡ししてくれるだけ。インフルエンザで私が約40度の熱を出していたときなんて「裕子さん、(赤ちゃんが)うんちしてるみたい」と言っておろおろするだけ。絶対、自分は手を出さないんです。

――その分、義父母が面倒を見てくれたのではないのですか? 実家がそばですよね。

それもなかった。面倒を見てくれたり、かわいがってくれることは、ほとんどなかったです。その一方、4カ月で離婚して戻ってきた義妹の子は、親戚みんなからかわいがられてました。

――旦那さんは長男ですよね。跡継ぎだってことで大事にされるのでは?

こちらでは、そういう感覚はまったくないのです。私の子どもたちなんて、親戚からクリスマスプレゼントをもらったことすらない。一方、義妹の息子(義理の甥)は、毎日小遣い1000円をもらってた。よそ者が産んだ子どもも、よそ者だっていうわけです。

――義理の妹さんは、別れた夫から養育費をもらわなかったんですか?

そうなんです。別れた夫から養育費とかもらったらいいはずなのに、見栄を張って、それはしないわけ。その分、私たちの方に降りかかってきた。「結婚式に行く自分たちの洋服を買ってくれ」とか言って、何かあるたびに、義母や義妹から10万円を要求されました。そのたびに私が「不公平だからダメ。無理」と夫に言って断ると、夫は「うちのやつがダメっていうから」って申し訳なさそうに電話で報告してるんです。

――自分の家族よりも、実家が大事なんですね。

娘が生まれるときもそう。よりによって、予定日に親戚の結婚式の受付を引き受けてたんです。それを聞いて私、「私に何かあったらどうするの!?」って問い詰めたんです。すると彼、「じゃ息子(当時3歳)を連れて行けばいいだろ! オマエは勝手に産んだらいいじゃないか!」って。

――家族として大事にされていないんですね。とすると、家にお金を入れないとか、そんな仕打ちもありましたか?

それはなかったです。生活費として、毎月25~26万円は入れてくれていました。

――その後は、専業主婦だったんですか?

息子が生まれた後は、養鶏場でバイトしていました。方言が理解できなかったので、看護師は難しかった。だけど娘が生まれてしばらくたった頃には、方言が理解できるようになっていました。それで、娘が学校に入るタイミングで看護師に復帰しました。子どもが2人になって、家計のやりくりに不安を感じるようになってたし。夫に「復帰したら、家のことを少し手伝ってもらうけどいい?」って聞いたら、なんて言ったと思います? 「いいんじゃないの。オマエの仕事が増えるだけだから」って言うんですよ。

――九州にいたご両親との関係は、どうなりましたか?

それが、結婚して6~7年後(2000年頃)、九州で経営していた店を畳んで、こっちに引っ越してきたんです。私の家と目と鼻の先の、道路向かいの家。私、一人っ子なんで、老後の面倒を見てもらいたかったみたい。それで今度は、両親からも責められるようになりました。「オマエがうまくいっとるごと信じとったたいね。ほんなこつこのザマは何ね?(オマエがうまくいっていると信じていたのに。本当にこのざまは何だ?)」って。

――山本さんのご両親と旦那さんの関係はどうでしたか?

両親はこっちの家族観が理解できなくて、夫や彼の実家に対して怒ってました。とはいっても、直接、彼らに言えるわけでもない。だから、私に文句ばかり言うんです。「オマエの夫はおかしか」って。すぐそばに住んでるのに、ギクシャクして、両方の家族の間に会話はまったくなかった。

――四面楚歌ですね。

ほんとそう。しかも、義父母や義妹からはお金の無心をされてばかり。どこにも頼ることができなくて、私、精神安定剤を飲んで、「別れたい」って独り言を言いながら、毎日泣いてました。
(後編へつづく)

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