「努力」ではなく「博打」で優勝カップをゲットした昭和の子供たち

まいじつ

2018/3/11 16:00


平昌冬季オリンピックも無事に閉幕。日本勢の活躍は目覚ましく、メダル獲得数が計13個と過去最多となったのは喜ばしい限りです。

メダルを手にした選手たちを見て思い出したのは、私が子供時代を過ごした1960年代後半から70年代前半にかけて、居間の茶ダンスの上に飾ってあった、いくつかの優勝カップやトロフィーなどです。それらは父が麻雀大会で獲得してきたものでした。

よその家に遊びに行ったときも、よく優勝カップなどが飾ってあったのを見掛けました。ボウリング大会、釣り大会、のど自慢コンテスト…種類はさまざまですが、誇らしげに飾ってあって、私も早くああいうモノをもらいたいなぁ、などと憧れていました。

そんな子供の密かな欲望さえも、目ざとい駄菓子屋業界は見逃しません。こちらは1970年代ごろのクジ引き『カップ当』(王冠印)の景品です。





8等までの景品がカップで、一等賞は一番大きく豪華な優勝カップ。とはいっても金メッキを施したプラスチック製で、実に軽くて簡素なものです。



9等から13等はイーグルが刻まれた小ぶりな楯です。



それ以下のほとんどの人が持って帰ることになるのは、こちらのチープトイです。



子供たちは優勝カップ欲しさに、なけなしのお小遣いをつぎ込んだのでしょう。

優勝カップやトロフィーに憧れる要因はテレビのスポーツ番組の影響も大きかったと思います。当時、流行していたプロボウリングやプロレスの中継で、一番最後に勝者がピカピカの優勝カップを手にする瞬間、ものすごいカタルシスがありました。

あの、選手たちの高揚した気分が駄菓子屋で努力もせずに味わえるなら、多少の無駄遣いも安いものかもしれません。

もちろん、優勝カップは自分の努力の結果としてもらえるものであって、決してバクチで手に入れるものではないのは言うまでもありませんが(笑)。

そういえば、昔は大きな町にはカップやバッジなどを受注生産する徽章屋さんがあったものですが、最近はめっきり少なくなりました。実利主義一点張りの世の中になり、実用性のないものより、金券や日用品の方がいい、などの理由で優勝カップやトロフィーを贈ることが減ったことも原因だと思います。

世の中が明るくなり、みんなの心も豊かになって、またそういった無駄なものを慈しむ風習が復活することを願わずにはいられません。

(写真・文/おおこしたかのぶ)

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