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石崎ひゅーい「ピリオド」、桜の花びらから漂う悲しいまでに香る優しさとは?

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石崎ひゅーいはデビューして約5年半のシンガーソングライターだ。「ひゅーい」という名前は本名で、由来はお母さんがデヴィッド・ボウイのファンで、その息子が「ゾーイ」という名前だったから。音楽を奏でるために生まれてきたかのような名前だ。

今回リリースするのは、ひゅーいが初めてファン投票を募ったベストアルバム。デビュー曲である「第三惑星交響曲」や、「ファンタジックレディオ」「夜間飛行」、松居大悟が短編映画化し、Music Videoには蒼井優、尾崎世界観も出演した「花瓶の花」など代表曲が星屑のように並んでいる。
そして「ピノとアメリ」のMusic Videoは、ストーリー性の強い展開に、優しいギターの音色にかぶさるひゅーいの淡い水色を連想させる柔らかな歌声が印象的で、時に感情ゆたかに重なってとても心地よい。

ひゅーいは今回のアルバムについて、「石崎ひゅーいの第一章はこの「HuwieBest」で終わりにします。「ピリオド」という新曲をアルバムの最後に入れて。もうすぐ春が来る、僕はまた新しい旅に出かける気持ちでいます。第二章も楽しみにしていてください。」と語っている。「ピリオド」について、少し触れていこう。

石崎ひゅーい「ピリオド」





「ピリオド」はこんな歌い出しから始まる。「悲しい歌にならないように」と祈りをこめて「本当の恋」を歌おうとしている。きっともうその恋は終わっているのに、「誰もが羨むような素敵な結末を探し」て、その「本当の恋」にピリオドを打とうとしているのだろう。人に歌って聞かせることで自分を癒そうとしているのかもしれない。何度も繰り返し歌えれば、きっと本当に「夢を見ているみたい」な恋が昇華されていくに違いない。恋が終わったあとの虚無感が、どうか優しい歌になりますように。そんな祈りだ。

けれど続く歌詞にはこうある。。薄ピンク色の桜が咲く通りを賑わす人の群れを、「ゾンビ」と言ってしまうのはなんだか苦しみを感じる。しかもそのゾンビを想像させたきっかけは「二人で見てた」ドラマだというのだからよけいに苦しい。桜の下に本当にゾンビが立っていたら、それこそ「夢みたい」な光景だろう。



その歌詞の続きはこうなっている。「情けない夢」はきっと、復縁や再会のことかもしれない。なんだか女々しいのだ。「忘れることさえも忘れられるように」という言葉に、どこか人をはっとさせるものがないだろうか。忘れることすら忘れてしまうということは、完璧に無にするということだ。記憶の中から消えてしまえば、なかったことになってしまう。「悲しい歌にならないように」と祈りを捧げていたのに、なんだかこれでは悲しすぎる。「本当の恋」をなかったことにしてしまったらもったいない。悲しい歌詞なのに、ひゅーいの歌声は優しい。聴いているとなぜかほっとするのは、その歌声のおかげかもしれない。

春という季節に隠された文学的な恋の感傷





結びの歌詞はこうなっている。「どうせ最後は」という文字列にはどこか諦めのようなものが見える。「しわくちゃな未来」ってどんな未来だろう。何度も思い描いては消し去っていく未来なのかもしれない。

「ピリオド」は春がテーマになっている。この曲の背後では常に桜が舞い散っている。桜というと多くの曲が春を出会いと結びつけるのに対し、ここでは徹底的に別れが結び付けられている。春という季節に隠されている、どこか物悲しい気持ちや、恋の感傷が、文学的とも呼べる言葉づかいで表されている。ひゅーいの高音域の歌声も最大限活かされており、やわらかい綿毛で包み込まれるような優しさを感じることができる。
桜が舞う中を、淡い恋の感傷に、力強く「ピリオド」を打つような、一瞬の輝きが強く光っている曲だ。

→石崎ひゅーい「ピリオド」の全歌詞はこちら

TEXT:辻瞼

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