震災7年|復興レポート②南三陸町の今

日直予報士

2018/3/11 08:29

『復興レポート』東日本大震災からきょうで7年。被災地の復興状況をお伝えするこのレポート。第2回は、宮城県南三陸町の今をお届けします。

先日、宮城県名取市閖上(ゆりあげ)地区の今をお伝えしましたが、今回は、宮城県南三陸町を、2014年と2018年の2回にわたって取材したようすをお伝えします。
南三陸町は、宮城県北東部にある町です。リアス式海岸である三陸海岸に位置するこの町は、過去にも何度も津波による被害を受けてきました。
リアス式海岸では、V字型で置くに行くほど狭くなるため、幅が狭くなる分、波が一箇所に集まって高くなりやすい性質があります。
昭和35年にはチリ地震による津波で被害が出るなど、海外の地震による津波被害も発生しており、数十年に一度は津波による影響を受けてきた地域でした。
それゆえ、津波に対する防災意識も非常に高い町でした。
しかし、そのような意識をもっていた町でも、東日本大震災では、想定をはるかに超えた自然の猛威に襲われました。
浸水高は15.9mにまで達していたと推定され、人口約1万7000人の町で、620人(2018年2月現在)の方が亡くなりました。また、約70%の住宅がほぼ全滅しました。

こちらが2011年当時のようす。ほとんどの家が流され、ビルは鉄骨はむき出しになっており、街ごとなくなってしまいました。
(写真:東日本大震災アーカイブ宮城「南三陸町 東日本大震災の記録」より)

●あの日から7年・今も続く大規模な工事

私がはじめて南三陸町を訪ねたのは、震災から3年後の2014年。
周辺でかさ上げ工事が進み、ダンプカーが行き交い、当時の印象は「まるで大規模な工事現場にいるよう」でした。ただ、「ここに街があったことが想像できない」というあ然とした感覚は、先日レポートした名取市閖上地区と同じ印象でした。
唯一、街があったことを気づかせてくれたのは、道を走っていると突然消える景色でした。
入り組んだ海岸沿いを走っていると、途中「津波浸水区間 ここから」という看板が出てきます。すると、それまであった建物や木が突然なくなり、広く平らな土地に行き着きます。
津波によって流されてしまったことを証明する、なんとも言いがたい光景でした。

そして、今年2018年。河川周辺や橋の整備が進んでいますが、引き続き大規模な工事が続いている状況です。
南三陸町の志津川地区では、過去や東日本大震災の津波の高さをもとに、約10mのかさ上げを行っています。
今も、すれ違う車はほとんどが工事関係の車で、4年前と同様、「工事現場のよう」という印象が強く残りました。

また南三陸町といえば、「防災対策庁舎」を思い浮かべる方も多いのではないでしょうか。
この場所では、町民を守ろうと町職員の方々が、津波が押し寄せる最後まで避難を呼びかけ続けましたが、3階建て(高さ13m)の建物を超える高さの津波に襲われ、43名が亡くなりました。
2014年、初めてこの跡地に足を運びましたが、当時は平らな土地の中にぽつんとたたずんでいた建物は、周辺の整備とかさ上げ工事が進み、今は近づくことができません。
すぐ横を流れる八幡川の堤防は、建物がすっぽり隠れてしまうほど高さに作られました。その高さに驚きましたが、これが、実際にここまで津波がきたということの証明なのです。
なお、この防災対策庁舎は、保存か取り壊しか未だ結論が出ておらず、宮城県が2031年3月まで維持管理することになっています。

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