千原ジュニアが聞いてきた被災地の「すべらない話」泣くのは嫌だ笑っちゃおう

エキレビ!

2018/3/10 09:45

「(津波で)ウチの玄関にドン!ってタクシーが突っ込んできて、中に入っていったんですよ。で、家の中をぐるっと一周して、また波に押されてタクシー出てきたんです(笑)」
「マジで!? 嘘やろ~!」
「ホントですって!」

昨年12月17日に放送された『千原ジュニアがゆく 聞いてけろ おもしぇ~話』(NHK総合)の一コマである。千原ジュニアが話を聞いているのは、岩手県釜石市の石材会社の専務。東日本大震災で街が津波に襲われたあと、社長が行方不明になったという。社長死んじゃったのかな……。あれ、ということは……?

「周りにいた人達が『今日から社長だ!がんばれよ!』って言うわけですよ。『社長!バールとって来て!』『はい!』なんてやったりして。そしたら午後になって社長が杖つきながら『おぁい帰ってきたぞ!』と……(笑) 2時間舞い上がっていた自分に、思いっきり釘刺された感じで、すごい凹みました(笑)」

東日本大震災から7年。被災地の人々は四六時中悲しんでいるわけではない。避難生活で生まれた笑い話や爆笑エピソードは、むしろ何度も人に話すことにで磨きがかかっているのだ。千原ジュニアが被災地で聞いた「すべらない話」を振り返る。


避難生活でウニやアワビが食卓に
東日本大震災発生後、千原ジュニアは後輩芸人と被災地を訪れていたという。被災地を元気づけよう……と思うも、ジュニアは自分に「芸が無い」ことを痛感した。「昨日○○があって~」としゃべってる場合じゃない。

「後輩芸人がモノマネやってドーン!ってウケてるのみたら、すごいなぁと思いましたね。普段あんなにオモロないのに……って」

ジュニアが訪れたのは岩手県大船渡市と釜石市。漁師たちの集まりや、お母さんたちの茶飲み話の輪に入り、お酒や魚介類をいただきながらワイワイと被災体験で盛り上がる。

避難生活が始まった当時、しばらく電気が止まっていた。漁師町なので各家に大型冷蔵庫があるのだが、このままだと食材が腐ってしまうので早く食べないといけない。中には、お母さんたちが遠方の孫に送ろうと思っていた魚介類もあり……。

お母さん「アワビ、ウニ、イクラ……全部出して食べてたんですよ。ぜいたくでしたね」
ジュニア「もう正月やん!」
お母さん「松茸もあってね、料理に使ってたら……松茸って匂うでしょ? 自衛隊の人たちがね、うらやましそうに見てて(笑) せっかくお手伝いに来てくれたのに、こっちは松茸食べてる(笑)申し訳ないなって」

一方、おじさんたちは瓦礫の中からお酒を「発掘」していたという。遠洋漁業が盛んなので、漁師達は行く先々の港で洋酒やウイスキーなど高級酒を買って帰ってくる。それが家と一緒に津波で流されてしまった。

「あっちこっちにレミーマルタンとか落ちてるから。夕方になるとね、若いのがスコップとツルハシもって『酒掘り』に行ってたんですよ。もうみんな舌が肥えちゃって、焼酎なんて手を出す人がいない(笑)」

遺体安置所に紛れ込んだ「心臓」の正体
被災地にはいろんな支援物資も届いた。同じチェックのベストがたくさん届き、街中の人がみんなペアルックになったりした。ハングルが書かれた段ボールに謎の白い粉が入っていて、後からそれがプロテインだとわかったりした。どうりで料理に使えないわけだ。

亡くなった人もたくさんいる。80人ほどが亡くなった町で、遺体安置所の「おくりびと」をしていた男性の話。遺体を一体一体納棺するなか、ゴミ袋に入った遺体の一部を見つけた。どうやら心臓らしい。部分遺体は他にもあったが、心臓だけというのは珍しい。

その何ヶ月か後、「心臓」の持ち主が見つかったらしいと聞く。葬儀屋に「よく見つかったね」と話しかけると、お茶を噴いた。「あれ実は夕飯のおかずで」と言う。おかず!?

「地元の人が、漁師さんからもらったイルカの心臓だったんです。二心房二心室だから人間と同じなんですよ。おかずにしようと冷蔵庫に入れてたら、家も冷蔵庫も流されて出てきちゃってたんです」

内縁の妻が津波に流されてしまった漁師さんもいた。遺体が見つかったのは一ヶ月後。それまでの間、新聞に載っている身元不明の遺体の情報(服装など)をくまなく確認していた。「見つからないなぁ」「まだ瓦礫の中にいるのかなぁ」と思っていた、ある日のこと。

漁師さん「ジーパンに……ピンクと黒の下着。これでピンときたんですよ。あいつの格好だって」
ジュニア「見覚えのある下着が」
漁師さん「そう、結構年いってる人なんだけど、勝負下着なんだよね(笑) 連絡したらビンゴだった」

無理矢理でも、現実逃避でも
東日本大震災が起きた当時、世間には自粛ムードが漂い、「笑顔」や「楽しい」は不謹慎な存在だった。そんな状況下で「被災地の人がお酒を飲んで笑っている」という姿は、とてもメディアで取り上げられるものではなかっただろう。

ただ、被災地の人々は心底楽しくて笑っていたわけではない。『聞いてけろ おもしぇ~話』では「笑ってないともたない」「無理矢理面白いものを探していた」という声を拾う。釜石市の女性は「(避難生活で)炭水化物ばかり食べて20kg増」と笑いながらも、当時の笑いを「現実逃避です」と語る。

「余震でゆっくり寝られないし、なんなら靴履いたまま寝てるし、朝になったら嫌でも起きなくちゃいけない。(震災を)忘れるわけないんだけど、今日のことは、夜に消して」

たとえ無理矢理でも、現実逃避でも、たった一瞬でも、笑いにはツラさを忘れる力がある。それは7年が経った東日本大震災だけでなく、熊本や草津などの被災地でも同様だろう。現実に目を向けることも、笑い飛ばすことも、両方必要なのだ。

ちなみに。先ほどの釜石市の女性によると、当時は「笑いのレベルが下がってて、すごいつまんないことで笑える」状況だったらしい。「ちょっとコケただけで数日笑ってた」とも。と、いうことは……。

スタッフ「ジュニアさんが最初に言ってた、後輩がすごいウケてたというのは……」
ジュニア「……! 謎が解けました。あいつの笑い、レベル低いねんな!(笑)」

(井上マサキ)

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