【今週はこれを読め! ミステリー編】えええっと声が出るミステリー『そしてミランダを殺す』

BOOKSTAND

2018/3/9 21:29

 第二部を読み始めた瞬間に、ええええっ、と声を上げてしまう小説に何か上手い名前をつけられないものか。
 と、ピーター・スワンソン『そしてミランダを殺す』(創元推理文庫)を読みながら思った。もちろん、ええええっ、と言ってしまったからである。
 毎年1冊は必ずこういうミステリーが出版される。2017年の〈えええミステリー〉(と仮に命名)は、エリザベス・ウェイン『コードネーム・ヴェリティ』(創元推理文庫)だった。あれをお読みになった方は今、なに、『そしてミランダを殺す』もそういう話なのか、と身を乗り出されているはずである。その通り。これもすばらしい〈えええミステリー〉である。ネタばらしにならないよう、内容を簡単に説明する。
 本書は二部構成の長篇小説であり、複数の人物が交互に語り手を務める。最初にその役を担うのはテッド・セヴァーソン、まだ若いがすでに十分な成功を収めた実業家で、もう死ぬまで働かなくていいほどの財産を持っている。その彼がロンドンのヒースロー空港で女性に声を掛けられるところから小説は始まる。声をかけたのはリリー・キントナー、大学で文書保管員の職に就いている女性である。場所を正確に言えば、ヒースロー空港のバーだ。テッドが飲んでいたヘンドリックスのマティーニを頼んで、リリーは隣に腰を下ろす。二人はグラスを掲げ、テッドが言う----「外国旅行向けの予防接種に乾杯」と。
 ちょっと気の利いた出だしだ。見知らぬ同士の男女がカクテルの酔いに背中を押されるようにして親しくなり、二人の間には行きずりの恋が生まれ......というようにはこの小説は進んでいかない。テッドがリリーに、自分の胸を支配して止まない、ある問題を吐き出してみせるからである。妻が、浮気をしているのだ。
 ミランダ・セヴァーソンがその名前である。テッドと彼女は二人が住む家を新築していたが、ミランダはアート&ソーシャル・アクションという専攻で修士号を取得しており、建築業者と一緒に設計することを希望した。その作業にずっとかかりきりになっているとテッドは考えていたが、ある日、建築業者のブラッド・ダゲットという男と彼女が寝ている現場を見てしまった。
 酔いと、そのとき読んでいたパトリシア・ハイスミスのサスペンスの力がテッドに、妻を殺したい、という願望を口走らせる。驚いたことにリリーは、その言葉を聞いても腰が引けたりはしなかったのである。それどころか彼女はテッドの行為を肯定しさえする。

「正直に言うと、わたしは、殺人というのは必ずしも世間で言われているほど悪いことじゃないと思っている。人は誰だって死ぬのよ。少数の腐った林檎を神の意志より少し早めに排除したところで、どうってことないでしょう? あなたの奥さんは、たとえばの話、殺されて当然の人間に思えるわ」

空港のバーで、そして大西洋上の飛行機の中で二人はこの話題を続け、一週間後に再会する約束をして別れる。もしテッドに本気でミランダを殺す意志があるのならリリーがその手助けをする。その検討のために必要なのが一週間というわけだ。そして土曜日の午後三時、マサチューセッツの〈コンコード・リバー・イン〉で再び時は動き始める。
 予備知識として書けることはここまで。気になった人はもう小説を読み始めたほうがいいだろう。中心にあるのはミランダ・セヴァートンの殺人計画であり、テッドの語りでは、それについての心の動きが描かれる。彼はいかにしてミランダと出会ったか。そして今、彼女が寝ているのはどういう男か。いったん芽生えた殺意はどのように育っていくのか。妻殺しを企む夫の話はスリラーとして珍しくないし、愛人がそれに手を貸すというパターンもたくさん書かれている。ただ本書の場合、それが見ず知らずの他人なのである。不思議な共犯者は何を考えているのか、という興味が読者を牽引していく。
 リリーが語り手を務めるパートが秀逸で、私は魅了された。作者はまず、彼女を過去に遡らせる。初対面の相手の気持ちを揺り動かし、妻殺しを考えさせることができるような女性が、平凡な内面を持っているはずがない。作者は、それを知りたいという欲求を人質にとって読者を誘導していくのである。リリー・キントナーに視線釘付け、一瞬たりとも目が離せない、と誰もが思った瞬間にあることが起きる。
 この手綱さばきが本書の最大の美点だろう。悍馬のように躍動する物語を、それを見つめる読者の目を、作者は巧みに制御していく。めまぐるしく動き回る話なのに、少しの不安もなくそこに身を委ねていられる。どこに連れて行かれても決して時間の無駄にはならないと確信が持てるからだ。できれば裏表紙の内容紹介や巻末の文庫解説にも目を通さず、今ここでご紹介した情報だけを信じて本書を読み始めていただきたい。ええええっ、だけじゃなくて、おおおおっ、もある。思う存分声を上げてもらってかまわないのだ。
(杉江松恋)

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