“ポスト奥崎謙三”を探し続けた原一男監督の24年ぶりのドキュメンタリー『ニッポン国VS泉南石綿村』

日刊サイゾー

2018/3/9 14:00


 奥崎謙三が主演した『ゆきゆきて、神軍』(87)を観ていない人は、映画の面白さをまだ半分しか知らないと言っても過言ではないだろう。そのくらい『ゆきゆきて、神軍』は爆裂的に面白い映画だった。世間の法に背いても、自分なりの正義を貫こうとする奥崎謙三の強烈すぎるキャラクター、そんな奥崎を煽るように追い掛ける原一男監督のカメラ、そして予期せぬ展開、暴かれる第二次世界大戦時の深い闇……。その後の多くの映像作家たちに多大な影響を与えたドキュメンタリー映画『ゆきゆきて、神軍』だが、この映画が大ヒットしたことで、原監督自身の人生も大きな影響を受けることになる。奥崎謙三より面白い人間はいないかと探し回り、新作が発表できない日々が続いた。『神軍』の後に撮影した『全身小説家』(94)では、被写体となった作家・井上光晴から「私は奥崎謙三じゃない」とダメ出しを喰らっている。そんな原監督が“ポスト神軍”“ポスト奥崎謙三”として撮り上げた24年ぶりの新作ドキュメンタリー映画が『ニッポン国VS泉南石綿村』だ。

原監督が取材に8年、編集に2年を費やして完成させた『ニッポン国VS泉南石綿村』は上映時間215分という大長編ドキュメンタリー。2006年に始まった「泉南アスベスト国賠訴訟」の行方を追ったもの。石綿=アスベストは耐火性・耐熱性にすぐれていることから、戦時中は軍事目的、戦後は化学工場などの設備に活用されてきた。だが、アスベストは“静かなる時限爆弾”とも呼ばれ、大量に吸い込むと長い潜伏時間を経て、中皮腫や肺ガンなどを発症する。石綿工場が密集していた大阪府泉南地区はアスベストによって健康を害された元労働者とその家族、周辺住民が非常に多い。危険を伴う仕事であるため、離島出身者や在日朝鮮人の労働者が多く従事していたことも特徴だった。アスベストの害悪を知りながら、経済成長を優先して放置してきた国を相手に訴訟を起こした原告団をカメラは追うと共に、彼ら一人ひとりの生活を丹念に掘り下げていく。

大阪の下町というロケーションもあって、大阪弁で語られる原告団のそれぞれの人生が実に味わい深い。酸素ボンベを傍らに置き、青春時代の思い出、家族と過ごした記憶、やんちゃだった過去が語られていく。一方の裁判は遅々として進まず、その間にも原告団のメンバーは1人、また1人と他界していく。“静かなる時限爆弾”のタイムリミットが次々と迫っていた。不謹慎なのだが、『泉南石綿村』の前半パートにはスラップスティックコメディを観ているかのようなおかしみがある。戦後、そして高度成長期の日本を支えるために懸命に働き、家族を養い、そして遊びもした泉南地区の人々の生活はそれぞれが愛おしいものだった。石綿工場で働くことで彼らは生き、そして死へと追い詰められていった。『ALWAYS 三丁目の夕日』(05)では描かれなかったリアルな戦後・高度成長期の日本社会の縮図がそこにはある。おもろうて、やがて哀しき世界をカメラは映し出していく。

休憩をはさんだ後半は、原監督が動く。国側ののらりくらりした対応に対し、呑気に構える人の善い原告団に業を煮やした原監督は映画の中の登場キャラクターの一員と化して、「このままでいいんですか?」と煽り始める。原監督自身は「決して映画を盛り上げるために煽ったわけではありません。泉南地区にずっと通い続けるうちに原告団に対して連帯意識を感じるようになり、自然と口を挟むようになっただけなんです」と語っているが、原監督の向けたカメラに触発されたかのように原告団の1人である柚岡一禎さんは弁護団の指示とは異なる独断行動をとるようになる。裁判の非情さを訴えた建白書を手に、柚岡さんは警備が厳重な総理官邸へと突入する。

このシーンを観て、『ゆきゆきて、神軍』の奥崎謙三と原監督の関係を思い出す人も多いはずだ。カメラがあることを意識して、奥崎はよりエキセントリックに暴走した。撮る側と撮られる側との共犯関係が『神軍』にはあった。だが、今回の『泉南石綿村』はそこから先が違う。奥崎がどこまでも常規を逸した行動をとったのに対し、柚岡さんは国家の冷徹さに怒りを爆発させるも、振り切った狂気には至らない。弁護団に諭され、原告団の仲間のもとへと戻っていく姿をカメラは収めることになる。

国家と名もなき人々との闘いを描いた『泉南石綿村』だが、メインテーマとは異なる裏テーマがここに浮かびあがる。奥崎謙三がいた昭和という時代はすでに終わり、今はもう平成の世の中だということを今さらながら知らされる。奥崎のような奇人変人は、現代社会には存在できないのだという事実が、スクリーンの向こう側に透けて見えてくるのだ。

公開を直前に控えた原監督に会う機会があった。ドキュメンタリー監督として、奥崎謙三という存在は最高の被写体であったことを原監督は認め、奥崎からは『ゆきゆきて、神軍』の続編を撮ってほしいと懇願されていたことを話してくれた。

原一男「奥崎さんのような人物は他にはいないか、ずいぶん探しました。一時期は金嬉老はどうだろうと考え、金嬉老のお母さんに会いに行ったりもしました。でも、金嬉老でドキュメンタリー映画を撮ろうという高揚感にまでは至らなかったんです。奥崎さんからは死ぬ間際まで、『神軍』の続きを撮ってほしいと頼まれましたが、僕はそれを断りました。もし、『神軍2』を撮っていたら、奥崎さんは殺人未遂だけでは済まず、さらに2人3人と襲っていたでしょう。ドキュメンタリーは世間の倫理から外れた世界を描くこともありますが、あまりにも外れすぎると観る側が引いてしまい、表現力を失速させてしまう。それで、『神軍2』は断ったんです。奥崎さんは僕への恨みつらみを持ってあの世へ逝きました。奥崎さんのようなキャラクターはもうどこにも存在しない。そのことに気づくのに、ずいぶん時間を要しました。そんなときに出会ったのが、国を相手に訴訟を起こした泉南の人たちだったんです。奥崎さんとは180度違い、節度を守る善良な人たちでした。これまでの方法論を一度棄て、ドキュメンタリーの基本に立ち返ったのが『泉南石綿村』なんです」

原監督にとって、ドキュメンタリーの基本=取材対象への愛を持って、時間を惜しむことなく関係を築き、向き合っていくこと(by大島渚)だった。原監督は1945年山口県宇部市生まれだ。炭坑&セメント業で栄えた労働者の町で生まれ育った原監督の、石綿工場で長年働いてきた人々へのシンパシーが『泉南石綿村』からは伝わってくる。さらに言えば、終戦の年に生まれた原監督が、戦後の日本史をドキュメンタリーという形で総括しようとしているようにも感じられる。

原一男「僕もそこに含まれるわけですが、庶民という日本の最下層の人たちにとって、戦後の民主主義がどのように結実化、結肉化しているのかに向き合ってみたかったんです。どんな作品に仕上がるのか見当もつかずに撮影を始めたのですが、この作品をこのタイミングで撮れたことは自分にとっても非常によかった。ドキュメンタリー監督としてぐるりと1周して、2周目のスタートをこの作品で切ることができたように思えるんです。さて2周目はどうすると考えているところです」

最後にもうひとつ。原監督の『ゆきゆきて、神軍』『全身小説家』は原監督にとって父親世代にあたる奥崎謙三、井上光晴を取材対象にしていた。私生児として生まれた原監督は、戦争で出征したまま消息の途絶えた父親の記憶をいっさい持っていない。これまでの原監督のカメラは、父性的な存在を追い求めているような印象を受けたが……。

原一男「確かに僕は父性コンプレックスというものをずっと持っていました。父親の名前も、素性も知らないまま、この年齢になりました。2本だけですが、今村昌平監督の現場に付いたこともあります。父親世代の人を見ると、擦り寄ってしまいたくなる衝動があるんです(笑)。父性的な人に教え導いてほしいという想いがあるんでしょうね。あの奥崎さんに対してさえ、父性的な親近感を瞬間的に感じることがありましたから。この映画を完成させたことで、父性コンプレックスから解き放たれたか? それはどうでしょう。本当に解き放たれたのかどうかは、長い時間を経ないと分からないでしょうね。でも、『泉南石綿村』を撮り終えたことで、新しいスタート地点に立てたという実感はあります。『神軍』が公開されて昭和が終わり、『泉南石綿村』が完成して平成が終わろうとしている。因縁めいたものを感じますね」

最高の被写体だった奥崎謙三がこの世を去り、父性を感じさせる映画監督も稀になった。時代は変わった。それでも、まだ昭和時代から残された問題は少なくない。原監督が『泉南石綿村』の撮影よりも前から取材を始めていた水俣病問題もそのひとつだ。カメラを手にした原監督の闘いは、これから2周目に突入しようとしている
(文=長野辰次)

『ニッポン国VS泉南石綿村』
監督・撮影/原一男 製作・構成/小林佐智子
編集/秦岳志 整音/小川武 音楽/柳下美恵 制作/島野千尋
製作・配給/疾走プロダクション 3月10日(土)より渋谷ユーロスペースほか全国順次公開
(c)疾走プロダクション
http://docudocu.jp/ishiwata

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