『快楽ヒストリエ』マンガ家・火鳥《楽しい日々》へのささやかな恩返し

日刊サイゾー

2018/3/5 14:00


 昨年、希代の革命家である外山恒一を取材した。話題は必然的に、やがて訪れる「革命」の具体的なイメージになった。「革命は、人の力でどうにかして起こせるものじゃない。革命様が降臨されるぞと、待ち望んでいる宗教みたいなもの……いくら信仰していても、いざ革命の時には使ってもらえないかもしれないですよね」。

遠大な人類の歴史を顧みると、人が一人、何かができる時間は、刹那に過ぎない。さまざまな説があるが、人類がアフリカを出発してからだけで14万年あまり。日本の歴史も、2700年目が手の届くところまで来ている。その中で、人の営みはわずかに70年程度。何かの書類に年齢を書いたりした時、あるいは、朝夕の身体の疲れに、人生の黄昏を予感して歩みを止める者は尽きない。自分の限界を感じ、どうしようもない時間の流れの中で、無力さを冷ややかに笑いながら、ただ身を任すのだ。

でも、絶望の中で生ける屍となる者は少ない。ふとした思いがけないことが、限られたさまざまな枷の中で、それに抗おうとする機会を与えてくれる。日々、世に送り出される文章やマンガ、音楽などには、そうした力があると思っている。

歴史家のハーバート・ノーマンは、歴史の女神の容貌を奈良中宮寺の弥勒菩薩に仮託した。

「彼女は人間の営み――その愚かしさ偉大さを、この世の情熱や功名心を、無関心や尊大さではなしに限りない忍耐と同情の面もちで見まもっている。私はその顔があざけりにくもらないユーモアにかがやくのを心に描くことができる。多くの月並みな仏像とちがって、この姿には冷ややかな近づきたいものが少しもない。むしろ温か味と共感を、私の印象ではギリシアの像よりも多く、ただよわせている」(『クリオの顔』岩波文庫)

平成という年号の終わりが、刻一刻と近づいている。耳を澄ませば、その足音が聞こえるようになってきた。人は、いつの世も新しい時代の幕開けよりも、時代の変化への不安に包まれていた。それは、今でも変わらない。

火鳥『快楽ヒストリエ』という、1点のマンガが単行本になったのは、そんな足音について言及されるようになった、年の暮れだった。コンビニでも販売されている雑誌「快楽天ビースト」(ワニマガジン)の巻末に掲載されているギャグマンガ。いわゆる「エロマンガ」が掲載されている雑誌の中で、このマンガは、ちょっとしたお色気を添える程度。性別や年齢にかかわらず、誰もが気軽に読むことのできる、純粋なギャグマンガである。

雑誌の中では、明らかに異色の作品の単行本化。それを多くの人が待ち構えていた。雑誌の読者は「待ってました」と買い求めた。その面白さは、SNSなどを通して拡散していった。あたかも、火薬や紙の製法が世界へ広まっていったかのごとく。

それは、出版元のワニマガジン社にも予想外のことだったのだろう。発売から1カ月あまりを経た現在、初版の在庫は払底し重版の出荷が待たれている。

この作品がテーマとしているのは、歴史。

そこでは、失われていた「歴史の真実」が次々と明らかにされていく。

白亜紀の地層から書物を抱いた人間の化石が発見された。

8,000万年前……人類は既に購読していたのだ。エロマンガ(快楽天ビースト)を!!

一揆の総大将・四郎。その知名度に反して謎多き人物である。

しかし経済的に恵まれており学問に親しんでいたこと……また当時16歳という年齢から、少なくとも女子高生であったことは疑いようがない。

古代エジプトには、神や王を語るための神聖文字「ヒエログリフ」が存在し、エロマンガは、その対極「ドエログリフ」と呼ばれていた。

読者の教科書程度の歴史知識を背景に、火鳥は<真実の歴史の探究>を記していく。ともすれば「出落ち」。第1話を頂点に、あとは次第にテンションは下降してしまう危険もある。けれども、連載の開始以来、勢いは途切れることはない。むしろ、回を重ねるごとに描かれる登場人物たちは、生き生きと動いている。

ギャグマンガゆえに、文字や会話で、その面白さを説明するのは困難である。でも、どうしてもそれをしたくなる衝動と熱が、この作品には確かにある。人類の歴史の中では、わずかに過ぎない人間の一生。その貴重な時間で、この作品にいくばくかの時間を費やしてよかった。ネットで『快楽ヒストリエ』を検索すれば、そんな読者の思いが、画面の向こうから送られてくる。

火鳥(ヒトリ) 今日、ここに来る時に考えてたんです。さぞ歴史への深いなにかがあって描かれたと期待されてるかも知れないけど、どうしよう、面白い答えなんてなにもない……。そうは言っても何か話さないと、読んでくれる人に申し訳ないなって……。

『快楽ヒストリエ』の連載が始まったのは2016年の4月から。「快楽天ビースト」の表紙が変わり、新装刊することになったからと編集さんが声をかけてくれて。このワニマガジンの編集さんはぼくのデビュー以来の付き合いで、連載の話は何年か前にもあったんですよ。その時は一度お断りしたんです。でも、今回は気が変わったというか……首都圏に引っ越すことを決めたタイミングでもあって、連載を持っておこうと思ったんです。

それで悩みました。ぼくは、何を描いたら、いいんだろうか。

もともと自分は、直球で18禁そのものは描けないんです。まだ20歳くらいの頃には興味があったんですが、結局描かずじまいで……。一言で言えば、恥ずかしかったんです。照れくささという壁を越えられるほど、エロというジャンルへの情熱がなかった。思うに、ぼくという作家はギャグ、つまり「スケベ」や「変態」が大好きなんであって、エッチなシーンそのものが描きたいわけでは全然ないんです。これが根幹です。一度お誘いを断った理由もそれでした。

なので、連載を引き受けると決めてからは、ずいぶんと考えました。毎月描き続けることができそうなテーマで、「快楽天ビースト」という雑誌にふさわしい、読者が楽しんでくれるのは、どんな作品なんだろうか……。

最初の案は、まったく別の作品でした。いわば、四畳半押しかけSFものみたいな内容です。マンガ家のアパートに異星人の女の子たちが集まって、地球人の読んでいるエロマンガをあれやこれやと指摘するような物語です。

ただ、あまりネームが膨らまずに困ってしまって……。ほら、その手の物語はすでに激戦区というか、相当工夫しないと他の作品に埋もれてしまいますし。

その時、同時に頭の隅にあったアイディアが『快楽ヒストリエ』でした。ただ、これはぼくにとって「できればやりたくない」腹案だったんです。何しろ、最初に与えられていたページは、8ページ。今は10ページに増えましたけど……その限られたページ数で、毎回さまざまな時代を描いていくのは、絶対に大変だろうと。歴史上の事件をバックボーンにすれば題材には困らないかもしれませんが、1回1回のコストが割に合わないだろう……そう恐れていたんです。

じゃ、なぜ『快楽ヒストリエ』にしたかというと、ほかに思いつかなかったんです。

ジリジリと〆切の日が近づいてきて、そろそろネームを描かないとまずいですよって時になって、とうとう観念して編集さんに連絡しました。

《すみません、宇宙人のはやめて、歴史物にします》

だから、最初に考えていたのは、原始編の物語……原始の地層から快楽天ビーストが見つかったというネタだけだったんですよね。

* * *

連載が始まったのは「快楽天ビースト」2016年5月号。単行本の巻末には、雑誌掲載時の号数が記されている。単行本では、原始編以降、日本の歴史をテーマにした作品を時代順に追った上で、世界の歴史をテーマにした作品へと並べられているが、実際の掲載順とは異なる。だから、改めて雑誌掲載順に読んでいくと、新しい発見がある。回を追うごとに、丁寧に描かれた歴史物語のようにキャラクターが生き生きとしていく。とりわけ、生き生きさが増すのは、デフォルメされたモブたちの様子。新撰組に強襲される池田屋に集う尊王攘夷派の志士ならぬエロマンガ家たちであったり、民衆たち。そうした有象無象たちの存在が「真実の歴史」のような錯覚を読者に与えているのだ。

「エロマンガをみんなで読むためだけに集団・定住化したワシらに稲作など無理じゃて」
「これ高床式倉庫。虫やカーチャンたちからエロマンガを守るために片手間でつくった」
(単行本収録・古代編)

火鳥 物語の方向性が固まり始めたのは、モブを描くようになってからかもしれないですね。

第1回の「原始篇」を今振り返ると、主人公やヒロインは「エロマンガに夢中な変人」という感じ。でも、回を重ねていくうちにエロマンガに熱狂するモブたちが出しゃばってきて、描いている自分も何かをつかんだんです。「全世界エロマンガ第一主義」という素敵な世界観をしっかり示すのが、『快楽ヒストリエ』という作品なのだと。

その上で、馬鹿馬鹿しい作品を支える一番大事なことは、マジメな資料集めだと思います。とは言っても、たった10ページの連載ですから、赤字にならない程度にね。図書館が最大の味方です。ネットも大いに役立ててはいますけど……、専門書に比べると、ネットには、かいつまんだ情報が多いし、ウソかホントかわからない話も多いので、やっぱり本を読んでおくと安心します。Wikipediaの記事なら、参考文献から主要なものを選んで、自分も目を通しておくとか。もともと歴史の知識はさっぱりなんですよ。なので、連載前に懸念していた通り、そこが毎月の苦労です。

その点で言えば、編集さんのほうが学があるので、毎回相談しています。単行本ではアオリ文の類は消えちゃってますけど、戦国編の雑誌掲載時、ハシラに「月さびよ明智が人妻の咄せむ…末期のエロス特集号」という句が突然増えていて感心しました。知的だなあって。ぼくも対抗するように翌月、小早川秀秋の持つエロマンガに「三条河原で晒し乳首」と書きました。以来、作中に登場するエロマンガでの歴史ネタは恒例になっているので、これらの言葉遊びも『快楽ヒストリエ』の世界観を支えているのかもしれませんね。

* * *

現在、火鳥は31歳。一昨年、千葉に居を構えるまで、ずっと札幌の実家で暮らしてきた。父母と祖父母、それに姉一人。高校生の頃は曾祖母もおり、7人家族だった。マンガ家を目指すまでの人生を聞いた時、火鳥は内気だった幼い頃からの自分のことを、克明に語り始めた。

「おいしいけど……みんなで行ったバーミヤンのほうが、あたたかかったな……」
「カァーーッやっぱ、うめーもんはうめえ!! 仲間なんてただの飾りだな!!」
(「東京火鳥旅」2009年3月14日 pixivに投稿)

火鳥 祖父は若い頃、樺太に住んでいて……。戦争で命からがら脱出したあと、まだ炭鉱で栄えていた夕張に流れて、教師の職を得たそうです。それから、つてをたどって運良く札幌に。

だから、ぼくは札幌しか知らないんです。でも、それも偶然のなせることだなって思いますね、祖父の話を聞いていると。もしかしたら夕張に生まれていたかもしれない。あるいは、祖父が海の藻屑に消えて、ぼくは生まれなかったかも知れない……。

幸い、こうしてマンガ家になれた今、思い出すのは子どもの頃の記憶です。物心付く頃には、もう絵を描くのが好きでしたね。

でも、その頃はマンガ家よりも「画家」になりたかった。なぜかっていえば、画家のほうがカッコイイ気がするから。それだけ。みんなお姫様とかロボットとかを描いている中で、ぼくだけすまし顔で風景画を描いていたら、すげえカッコイイじゃん……みたいな。早すぎる中二病ですよ。

中身がない憧れですから、ぜんぜん、うまいわけじゃなかったです。でも、運動は苦手で内遊びが好きでした。いつも姉の後ろに隠れていたせいなのかな。とにかく内向的でした。小学校1年の通知箋に、先生がこう書いていたのを覚えています。「グラウンドに遊びにいかないの? と声をかけても、ボール遊びは嫌いなんだと寂しそうに言うので少し心配です」。

そんな子どもだったから、両親は心配したんでしょうね。苦手なものも少しくらいはできるようにって、子ども向けのスポーツクラブや水泳、それに、音楽の授業でいつも苦労していたので、ピアノ教室にも通わせてくれました。水泳は嫌だったな。習い始めるのが遅かったから、周りの子より年上だったのに、なかなか上達しなくて……。

でも、曲がりなりにも泳げるようになったから、両親には感謝しています。

ピアノの先生には淡い恋心を抱いていて、絵を描いてプレゼントした記憶があります。先生が結婚しているって知った時は、ショックでしたね……。6年生まで習いましたが、ピアノそのものには最後まで興味が湧きませんでした。

マンガは幼稚園ぐらいから読んでいたのかな。ぼくは「ボンボン」(コミックボンボン、講談社)派だったんだけど、祖父が間違えて買ってくることもあって「コロコロ」(月刊コロコロコミック、小学館)も読んでいた。姉が買っていた「なかよし」や「りぼん」も読んでましたね。姉の後ろでアニメの『美少女戦士セーラームーン』(講談社)も……。本当は見たかったけど、女の子のものを見るのが恥ずかしいじゃないですか。だから、チラチラと。うん、最初に興奮したのは、やっぱりセーラームーンだったんじゃないかな。

でもね、本当に自分の根になっているものを選ぶとしたら、小学2年生くらいから買い始めた「月刊少年ガンガン」(スクウェア・エニックス)だと思います。

それこそ、すべてのページを暗誦できるくらいに読んでいましたね。『魔法陣グルグル』とか『南国少年パプワくん』、そうそう、梶原あや先生が描いていた『けんけん猫間軒』は特に好きで……自分の描く猫みたいな小さなキャラクターも、あのマンガがあったからなんですよね。

その頃、自分の内面にも変化がありました。転機と言っていいかもしれない。

小学校で、札幌雪祭りの時に、市が主催する絵のコンクールがあったんです。それで、特賞をもらったんです。表彰された時は、ちょっとうれしいなと思ったくらい……でも、クラスメイトたちが話しかけてくるようになって。ぼくの絵を見てくれるんです。それまで、絵というのは自分の世界に閉じこもるための道具だと思っていたんですよ。周りは自分と違うから、一人で自分の世界で遊ぶ。ところが、まったく正反対の力があると気付かされたんです。自分の描いている絵を、もし外に向かって見せたら、人とつながることができるんだと。それからですね、マンガ家という職業を考えたのは。

* * *

「小学校の頃は、一度はマンガ家になりたいと思ったことがある」街を歩いて10人に声をかければ、8人か9人くらいは、そう語る。それくらいに凡庸。だけれども、その夢を叶えられる人は、一握りにも満たない。だから、人は興味を持つ。なぜ、この人は夢を維持し叶えることができたのだろうか、と。

同人誌即売会があるのでバイトを休みたい。そう頼むと、店長は言うんです。

Q「どんなマンガ描いてるの?」
A「女の子がパンツモリモリ食べるマンガですよ」
……なんて、正直に答えられるわけが無い。
(「東方裏日誌 裏表紙」2008年10月7日pixivに投稿)

火鳥 これ、自分で口に出していうと恥ずかしいんですけど……ぼくは、マンガ家になれないと思ったことがないんですよ。悪い意味でも、なれないという可能性を考えたことがなかった。だから、何も具体的なことをしないままに大人になっちゃったんです。

高校を卒業するくらいに、やっと気づいたんです。もしかしたら、マンガ家になれない可能性があるんじゃないか……。

高校の時は、絵は描いていたけれども、ストーリーものは、まったく描いていなかったんです。厨二病というか……設定ばかりつくっては満足する、作品を完成させられないパターンにハマっていました。というのも、それを仲間同士でやるのが楽しくて。

そう、高校に入学してから、放送部に入ったんです。そこは、オタクの集まりで……クラスの仲間4人くらいで集まっていたんです。濃いヤツらが集まると、観る作品の幅も広がりますよね。

絵のスキルも、そこでワンステージ上がりました。自分が中学生くらいの頃から、家庭でのインターネットはもう一般的になってきてたんですけど、いわゆる美少女系のイラストを初めて見て。すごいな、うまいな、ちょっと真似して描かなきゃいけないぞと思って模写したりして。それまで、二頭身キャラばかりだった自分の絵が、より人間らしいものになったんです。

『東方Project』にハマったのも、その頃。友達と行った札幌のメロンブックスでデモ映像が流れていて、友達が「面白いよ」と。初めて弾幕系シューティングってものを知ったので、すげーなあ、きれいだけど、こんなのクリアできるのかよって眺めてました。

まあ、買ってしまったんですよね。買ったのは『東方永夜抄』。当時は「永新参」なんて揶揄されてたらしいですけど、そんなこと知りませんから、ただただプレイしていた。家にネットはあったけれども、不思議と当時、東方のことは調べた覚えがないですね。ただ普通に遊んでたんです。

キャラ関係だってそうですよ。『東方紅魔郷』とかをプレイしていないから、ぜんぜんわからなくて。あ、咲夜とレミリアだけはわかりやすかった。メイド姿で、お嬢様って呼んでたので。

ニコニコ動画が流行ってから、ようやくですよね。東方が同人で盛り上がっているのを知ったのは。

じゃあ、ぼくも描こうかなと思って、描き始めました。ノートに鉛筆で……。

そのまま、マンガも描かず、同人誌もつくらないまま卒業して大学へ。ここでもオタクレベルがひとつ上がりました。いい場所にあるんですよ。校舎の2駅となり、地下鉄大通駅で降りて35番出口(注:現在閉鎖中)から出る。するとすぐ前が、メロンブックスと、とらのあな。それに、アニメイトと、らしんばんと、ゲーマーズがあるんです。当時はゲーマーズは別の場所でしたけど。「35番出口」といえば札幌のオタクには通じます。大学で得たものはあったとも思うんですが、真面目に勉強するよりは、そこに通い詰めていました。

飲食系のバイトも始めたんですが、バイト代はみんなコミックスと同人誌に消えました。それでも自分では同人誌の1冊も出していなかったんです。考えるばかりでした。『らき☆すた』とか『ぱにぽに』の同人誌とか、どうかな……と。考えるだけで、そこから踏み出せなかったんです。そしてついに、大学4年生になりました。

* * *

大学4年生になった2008年のことだった。高校の放送部のメンバーが、再び同じ目的の下に集った。目指すは10月の同人誌即売会、サンシャインクリエイション41。買う側ではない、描く側になるのだ。こうして、初めての同人誌『東方裏日誌』を携えて、火鳥と仲間たちは東京へと向かった。

始めまして。
杞憂煉獄と申します。
週刊日進月歩にようこそ。

このサイトは、高校時代の馬鹿四人が、数年の時を経て何故か再結集して結成されたサークル「vok41」の拠点サイトです。

「サークル作るんだから、ホームページくらい無いとね」

……とかいう軽はずみな発言により、ホームページを作成する事になったのは良いのですが。今現在僕以外のメンバ三人は同人誌の締め切りに向けての修羅場真っ最中でして、ホームページ作成の件は殆ど僕に丸投げ状態です。
(2008年9月29日の投稿)

火鳥 感謝しています。放送部の仲間たちは、ぼくがなかなか動かず、思い切ったことをしないから、放り込んでやらなきゃという気持ちだったんでしょうね。同人をやろう。〆切はここだ。申し込んだから描こう……と。

そうして、描いたのが東方の4コマ。最初は、少ない部数しか持っていかなかったんです。でも、ジャンルが爆発していた時期だったからというのもあるんでしょう。完売したんですよね。

それが自信になりました。もちろん、北海道から出てきているわけだから利益なんかないですよ。それでも、みんなで喜んで打ち上げをして、ほくほくしながら、次は何を描こうかと話しつつ帰ったんです。それからはもう、同人誌を描くのが楽しくって……。東方だけでなくボーカロイドも好きで描きましたが、特に東方はずっと続いています。長くジャンルにいる人はみんな言うけど、10年も描くとは思わなかったですよね。

サンクリが終わってからは、pixivでも作品を投稿するようになりました。pixivは描き手のモチベーションを上げる設計が本当によくできていて、閲覧数やコメントが増えるようにがんばりました。それから、コミケに初参加するまでの間にも2冊、同人誌を出して……。

そう、実は最初はサンクリではなく、コミケで初同人誌を出すつもりだったんですよ。それも、ボカロマンガのネタにしたんですけど、申し込み時期が半年前っていうのを誰も知らなかったんです。最初は「夏コミはつらいって聞いているけど、俺たち北海道民は冬コミなら大丈夫だ」なんて話して、いざ申し込もうとしたら、とっくに〆切は過ぎてる。だから、10月のサンクリに参加することになりました。それも幸いしたのかな。サンクリがきっかけでpixivでも活動を始めて、そこから次のコミケまでの間に、自分を知ってくれる人が増えたから。

* * *

初めてのコミケは、二泊三日の旅だった。朝、仲間と共に新千歳空港から飛行機に乗った。サークルの仲間との合同誌とは別に『魔理沙がぢになる話』を持ち込んだ。幾人もに素通りされる寂しさの後にやってくる「1冊ください」という、たった一度の言葉のうれしさを感じたかった。

「あちこち力注ぎすぎでしょうw爆笑させていただきましたw」
「完売の時に並んでましたが完売すんのはえぇとか思いながら拍手しましたよwww」
(2009年9月30日pixivに投稿した「【C76レポート】東京火鳥旅2【その3】」に寄せられたコメント)

火鳥 就職活動はしていないし、する気もなかったんです。卒業はできるかと思っていたら単位が足りなくてフェードアウト……中退してました。普通だったら将来について焦るところですけど、もう同人活動を始めてから楽しくて楽しくて、楽しさ以外吹っ飛んでいたんです。そんな中での、初めてのコミケだったんです。

偶然、隣が『デンキ街の本屋さん』(KADOKAWA)の水あさと先生のサークルで、場所を間違えて段ボールを開けて設営しちゃったり、見本誌票を忘れちゃったり、土下座モンの迷惑をおかけしました。

そんなドタバタしながらの参加だったんですけど、すごい早さで完売して……号泣してしまったんです。

こんなに自分を認めてくれる人がいるんだと思って。

そうしたら、うれしいような申し訳ないような気持ちになって……。結局、無意識下では、ぼくもそこまで楽観的じゃなかったってことですよね。楽しさで吹っ飛んだように見えても、いざ作品を携えて机に並べる、本当に売れるだろうかと待つ。どこかで怖かったんです。自分は、何になれるのだろうか。これからの人生はどうなるんだろうか。そんな自分の気持ちを受け止めてもらえた気がして。そうしたら、涙が止まらなくなって……本当に、ボロボロと泣いてしまったんです。後からレポマンガでは「皆さんから頂いたものは、本当にたくさんありました。それは、売上でした」と、茶化して描いたんだけど……そこにも、たくさんの人がコメントをくれて……「ハハハ正直だ」「お金は大事ですよね、火鳥さんらしい」とかね。日頃の行いのせいか、照れ隠しには誰も気付きませんでした。

本当に、コミケは……あんないい場所ってないですよね。今でも人生のもっとも楽しい場所はコミケですよ。

* * *

同人誌を描き、即売会に参加することは楽しかった。そして、楽しさと共に火鳥は東方の同人で活動する人気作家となっていった。さまざまな雑誌の編集者が、火鳥に名刺を切り、仕事を依頼した。中には、自衛隊の広報マンガという一風変わった仕事もあった。作品を描くことは楽しかった。楽しいけれども、マンガ家には、なりきれていない感覚もあった。マンガ家が一人前として認められる一つのハードルが、月刊誌や週刊誌など、出版社から定期刊行される媒体で連載を持つこと。

「えっ!? メイド長のパンツの串揚げは」「大阪では二度づけ禁止!?」
(2016年10月開催の同人誌即売会「東方紅楼夢12」のためのサークルカット)

火鳥 人生に不安はありました。けれど、駄目人間なので、なんとかなるだろうとも思っていました。

東京に出てきた理由の一つは、結婚したことです。ぼくの性格では、それくらいのきっかけがないと東京には出てこなかったでしょうから、よいタイミングだったと思います。これを機に全てをプラスの方向に動かしていきたいですね。経済的なことを考えても、ページ数の少ない『快楽ヒストリエ』だけでヒイヒイ言ってる場合ではないですから。

考えることは、いっぱいあるけれど『快楽ヒストリエ』を描くのは楽しいです。やっぱり、歴史はいろいろと思いを馳せることができるから、面白いんですよね。単行本にする時に、解説ページをつくったんですけど、調べていると描きたくなるネタはいっぱいあります。読んでくれている方にも、毎号「次の作品を読みたい」と、思ってもらえたらうれしいです。

でもね……何巻も続くような作品ではないとも思っています。次第にネタはかぶってくるだろうし……だから、どうやって終わるかも、ある程度は考えてあります。

それから、次の作品の構想も。

こういう作品を描いたので、次は下ネタは封印しようかなと思っています。下ネタのインパクトの強さで目立っていますけど、それだけで読んでもらっているわけではないはず。以前、ある編集さんにも「下ネタを封印したら、よい変化が起こるかもしれない」とアドバイスされたことがあるんです。難しいことですが、それはあるかもなと思って。自衛隊の広報マンガでは、もちろん下ネタは封印して、気を使って描いたんですが、いつもとは違う匂いのする作品が出来上がりました。いや、むしろノリは同じかもしれませんが、自分らしい作風のまま、読者層を新しく広げることはできるかなと。自分は、衝動のままで描くよりも、着地点を決めて描くタイプだと思っています。今は掲載誌が「快楽天ビースト」だから、エロマンガの読者に親しみやすい作品を狙う。そういう小器用さはあるつもりです。

自分は、どうしても描いて伝えたいというものは、あまりないんです。それよりも、ギャグマンガを描きたい。よくTwitterでエゴサーチをしているんですけれど……ぼくの同人誌の感想で「鬱になった時に、火鳥さんのマンガだけは笑えた」というツイートを見つけたことがあって。それを、大事にしなきゃと思っています。

だから、昔はTwitterでも、思ったことをなんでもつぶやいてましたが、今は、自分がマンガでやろうとしていることに逆行する弱音なんかは言わないようにしようと。明日も立ち向かわなきゃいけない人が、一時の笑いを得てくれればいいんです。ぼくのマンガに人生を導かれる人はいないでしょうけど……一時の元気を与えることはできるかもしれない。負の感情があったら、ぼくがせき止めて、世界に笑顔を増やさなきゃいけないと、それが自分の持てる矜持です。だから、結石になった時も、マンガにしたんです。その時も喜んでもらえたから……石ができてよかったありがとうと思ったんですよね。

若い頃に漠然と憧れていた、名作や大作というものからは離れているかもしれませんが……いい意味で、自分の居場所を見つけて、長くマンガを描き続けることが大切かな……描かないとね!

* * *

その日の東京は数年ぶりの大雪だった。

長いインタビューの後、喫茶店から外に出ると、すでに地面は真っ白に化粧していた。繁華街の目抜き通りには、人の姿の少なく、しんとした風景の中に雪だけが舞っていた。

《北海道の出身ですから、寒くはないのではありませんか?》
《懐かしいですけど……やっぱり寒いのは寒いですよ》

最寄りの地下鉄の駅までのわずかな道のり。上を見上げると、雪と靄にすっかり包まれた高層ビルが見えた。

《霧が晴れたら、塔は高いんですよね》

答えようがなかった。

《プロになろうと思っていたけど、いざ声をかけられたら、怖かったんです》

でも、あなたはマンガ家になる夢を叶えて、一躍人気作家になったではないか、と思った。

《プロになった時に、目指す頂きがとても高いのが見えたから……》

地下鉄の入口まで火鳥を見送ったあと、雪の中の静まりかえった道を歩いた。なぜか、雪を避けて駅に入る気にはならなくて、数駅も歩いた。どうして歴史の女神は、いま私が一時を共に旅したような人生へと火鳥を導いたのだろうかと思った。

《でも、今までたくさんの人に、いろんなものをもらってきたから……》

雪の町に人の姿は少なかった。誰も歩いた跡のない真っ白な道が、まっすぐに続いていた。

《だから……》

と、火鳥はいった。

《すこしでも返さないといけないと思っているんです》

(文=昼間たかし)

Twitter:@minatohitori

pixiv:火鳥(ヒトリ)
https://www.pixiv.net/member.php?id=194211

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