見てるだけで痛い! 無数の針を体に突き刺すヒンズー祭「タイプーサム」に行ってみた

Excite Bit コネタ

2018/2/8 17:30



マレーシアには、見ているだけでも「痛い」祭りがある。行者が無数の針を体に刺して一人用の飾りみこしをかつぐ、ヒンズー教の伝統的なお祭り「タイプーサム」だ。

この祭りは、神からの加護、そして神への忠誠、感謝をささげるため、クアラルンプール市内チャイナタウンにあるスリ・マハ・マリアマン寺院から、北へ約20km先にある岩山の天然洞窟バトゥケイブまでを、9時間かけてカラフルな出で立ちで練り歩くというもの。バトゥケイブとは、インド系マレーシア人が信仰するヒンズー教随一の聖地で、時期を問わずたくさんの人々が参拝に訪れる観光客にも人気のスポットだ。針を体に刺す行為は、この一環として行われる。

そんなマレーシアを代表する奇祭に行ってみた。


なぜ祭りが行われるようになったのか?
ヒンズー教には重要な祭りが2つある。ディパバリというヒンズー教の新年を祝うための祭りとこのタイプーサムである。南インドのタミル族にはタミル暦という暦があるが、その暦の中で「タイ」とは「幸運の月」を意味し、「プーサム」とは「幸福の星」を意味する。つまり、幸運の星プーサムが天頂に達する幸運の月、満月の日に祭りが行われるから、タイプーサムと呼ばれている。月の運行によるため開催日は毎年異なり、今年は1月31日の開催だった。

ヒンズー教において、もっとも重要視される神は創造者ブラフマー、維持者ビシュヌ、破壊者シバの3者。タイプーサムでは、シバの息子であり戦いの神ムルガンを祝う。ヒンズー教の神話の中で、シバの妻にあたる女神パールバティーが息子の軍神ムルガンに特別な槍を与え魔王に打ち勝った、という話が登場する。そのことにあやかり、強い神のご加護を受けて悪運を払おうと行うのが、タイプーサムなのだ。

タイプーサムの時期は、首都クアラルンプール、特別行政区プトラジャヤ、セランゴール州、ジョホール州、ペナン州、ペラ州では祝日になる(マレーシアでは州ごとに祝日が異なる)。そして同時期のバトゥケイブは、マレーシア国内のヒンズー教徒をはじめ、インドなど近隣の国々からも多数の信者が参加する。その数はマレーシアのニュー・ストレーツ・タイムズ紙によれば150万人に上る。


祭りの前から祭りは始まっている
タイプーサムでもっとも注目を集めるのが、カバディと呼ばれる一人用の飾りみこしを、行者が体にたくさん針を刺して支える行為だ。行者は毎年信者の中(主に男性)から選ばれる。花やクジャクの羽などで飾られた、大きくて重い金属製のカバディにつながった槍を、体、舌、頬に突き刺す。祈りをささげる人が痛みに耐えている姿を神様に見てもらい、感謝の気持ちを伝え、願いをかなえてもらえるようアピールすることが目的だ。こう書いているだけでも痛そうだが、参加者はトランス状態になり、恐れや痛みを感じないと言われている。

行者は身を清めるため、お祭り本番の数カ月または数週間の間、肉類を絶って菜食をして準備を整える。48時間前からはお酒などの欲を断ち、身を清め、断髪し、床で寝る。食事も1日1食になる。24時間前になるとさらに断食も行って、心身を整え、当日の行に備える。

タイプーサムは、行者にとって厳格に菜食主義を守り精神面での準備を整えてきた、1カ月のクライマックスとなる行事だ。麻酔もなしに体に太い針を刺すため、端から見ているだけでも本当に痛そうだ。

体に刺した針でみこしを支えるため、みこしを引く針によって、背中は皮膚が浮くほどに強く引っ張られる。しかし心と体を整えて臨めば決して痛くはない……のだとか。針の数が多いと一見より痛みも増えそうだが、少ないと逆に重さで皮膚が破れることもあるという。「カバディ」はタミル語で「あらゆる段階で犠牲になる」という意味。この言葉を十分に実感できる。


カバディが見られるのはマレーシアとシンガポールだけ
タイプーサムという祭り自体は、インドの他、シンガポール、マレーシア、モーリシャスなど、タミル系インド人移民の多い国でも行われている。しかしカバディを担ぐ苦行は、インドでは危険を伴うため禁止され、現在はマレーシアとシンガポールでしか見ることができない。

一方で、女性の場合は痛みを伴う装飾はせずに、ヒンズー教で豊かさと子宝を象徴するミルクの入ったつぼを持って行進し、お供えするだけでも良い。歩いていると、前の方には神様にささげるミルクが入ったつぼを頭の上にのせて進む女性信者や、時折立ち止まって踊りを披露する信者がいた。


他にも祈りのささげ方があり、駅前にオープンしている即席の散髪屋で、信仰の深さを表し祈願を成就させるために髪をそり、清めてからお参りする信者(男性だけでなく女性も)もいる。頭をそった後には、直射日光から頭皮を守るための黄色い液体の日焼け止めを塗る。


周囲の屋台では金のアクセサリー販売、マッサージの屋台、ベジタリアンバーガーやカレー、塩ラッシーを無料で配る屋台もあり、それら振る舞われるランチを待つ人々が長蛇の列を作り、混沌とした雰囲気が漂っていた。


さて、カバディを行う行者にとって、最後の難関となるのがバトゥケイブにある272段の階段。ここを登りきった洞窟内にほこらがあり、信者たちの最終目的地となる。神へのささげものであるミルクを運んで来た女性たちも、ここに奉納する。お参りが終わると、行者たちはここで今までの重荷を下ろす。ほっとした表情の者もいれば、倒れ込んで動けなくなる者もいた。

ヒンズー教徒でなくても参拝できる
マレーシアのヒンズー教のお寺は、服装さえ規範にのっとっていれば、どこも異教徒を歓迎してくれる。信者と同じように寺院に入ることができ、信者と同じように扱ってくれる。寺院に入ると、信者と同じ列に並んでいれば赤い粉のようなものをもらえるので、それを額につける。次に聖水を手にいただき、それを飲むと頭に銀色のカップのようなものを被せてお祈りをもらえる。手首にお守りのようなひもを巻いてくれる場所もある。


寺院の中は土足厳禁だ、皆、入り口で靴を脱いで素足で入る。正直あまり地面はきれいではないが、神聖な祭りなのできちんと敬意をはらう必要がある。帰りは出口のそばに水道があるので、汚れた足は洗えばいい(本来は日本の神社で手と口をゆすぐのと同じように、寺院に入る際にも洗う)。

なぜそんな苦しいことをするのか?
実際にタイプーサムを見るまでは、なぜこんな痛いことをするのか全く理解できなかった。しかし家族の幸せのために苦行を続けるお父さんの姿、それを支える家族や友達の姿、信じるものがあるから最後までやり通せる強さ、彼らを応援する参加者との一体感、これら熱気に間近で触れてみると、そこには限りなく純粋で強い祈りを感じられた。

奇抜な祭りとして捉えられがちだが、苦行という形をとった人々の純粋な祈りがタイプーサムにはあるのだ。
(さっきー)

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