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性転換の僧侶・母子の不仲・Pの死…『ザ・ノンフィクション』で再び異色作

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●憎しみの消えない母を介護
話題の作品が続くフジテレビのドキュメンタリー枠『ザ・ノンフィクション』(毎週日曜14:00~ ※関東ローカル)で、また異色の密着取材が行われていた。4日に放送される『わかりあえない食卓』の主人公は、高野山始まって以来という女性に性転換した僧侶。40年間半絶縁状態だった母親の介護をすることになってケンカを繰り返しながら、性的マイノリティのための新しいお寺の建立という夢に向かって奔走している。

そんな中、放送を前に番組のプロデューサーが急死するという事態も発生。演出を手がけたテレパックの山本裕也氏に、今回の取材の裏側に加え、企画実現に尽力してくれたという故・村上研一郎プロデューサーについても話を伺った――。

○自分の実家を「呪いの場所」

柴谷宗叔(そうしゅく)さん(63歳)は、空海が高野山真言宗を開いて以来初めて、性転換手術を受け、女性に生まれ変わった僧侶。「当事者の自分だからこそ」という思いから、性的マイノリティの人のための駆け込み寺の建立を目指しているが、跡を継ぐお寺はなく、お金もない。さらには、LGBTに対する世間の現実に加え、もう1つの大きな壁が立ちはだかっていた。

それが、87歳になる母・良子さん。宗叔さんは、幼少期から自分の心が女性だということを認識し、母の長襦袢(ながじゅばん)をこっそり着たこともあったが、それが気づかれると父親に暴力を振るわれ、良子さんも助けてくれなかったという。そうした経験から、大学進学を機に家を飛び出し、約40年間にわたって半絶縁状態に。しかし、身寄りをなくした良子さんが要介護認定を受けたため、宗叔さんは「呪いの場所」とまで表現する実家で、憎しみの消えない母を介護することになった。

今回の番組で描かれる象徴的なシーンは、そんな2人が向かい合う"食卓"。去年の5月から約半年にわたって密着してきたが、取材開始当初の2人の印象について、山本氏は「仲が悪いとは聞いていましたが、実際にお会いしてもピリピリした雰囲気が伝わってきました」と振り返る。宗叔さんは気さくな性格なため、普段は饒舌だそうだが、母と2人になった途端に沈黙。山本氏が会話を促しても、カメラに向かって話しかけてしまい、宗叔さんから何度も「食卓はやめましょうよ」と頼まれたという。
○ついに禁断のひと言を…

山本裕也1974年生まれ、山口県出身。上智大学卒業後、99年にテレパック入社。ドラマの助監督やアシスタントプロデューサー、時代劇専門チャンネルの舞台中継などを担当し、近年は『八代亜紀 ブルース、魂の叫び』(BSフジ)、『ノンフィクションW "テヘランダービー"イランが最も熱狂する日』(WOWOW)など、主にドキュメンタリー番組を制作。

しかし、そこは譲れなかった山本氏。もともと今回は、真言宗初の性的マイノリティの僧侶が新しいお寺を作るという姿を描くことを主眼に企画されたが、『ザ・ノンフィクション』のフジテレビ・張江泰之チーフプロデューサー(NHK出身)から「それだと毛色としてはNHKだよね。うちはそこだけじゃなくて、家族の大切さを描く番組なんだ」とアドバイスを受け、食卓を中心に描くことを決めていた。

だが、長期の取材でも、母は息子が女性になった事実を認めない。おまけに宗教嫌いで、僧侶になったこともよく思っていないそうだ。ジブリ映画に登場する老婆のような風ぼうから、心にグサグサ刺さる言葉を平気で浴び続けた宗叔さんは、ついに"禁断のひと言"で反論してしまう――。

その瞬間を、山本氏は「お母さんとしては、そんなに響いてない感じだったんです」といい、宗叔さんについては「後になって確認したら、発言したことに後悔はしてなかったですね」。一方で、宗叔さんは取材中に「親には死んでほしくない」とも話していたそうで、「その表面の憎しみの裏に、絆というものがあるんだなと思いました。自分でも感じていない心のどこかに、放っておけない部分があるんでしょうね。そこに、親子の切っても切れない縁みたいなものを感じました」と解釈していた。

ナレーションを務めるのは、女装家のミッツ・マングローブで、「今回は第一人称のナレーションなので、ミッツさんならより深く、宗叔さんの気持ちを表現できるんじゃないかなと思いました」とオファー。また、宗叔さんは、高学歴に新聞記者という経歴で、「取材をしてきて、話すワードの選択、フレーズ1つ1つに知性を感じました。四国遍路において日本有数の方でもあるそうで、落ち着いた言動で知性を感じるミッツさんがマッチすると考えました」と、決め手になったそうだ。

果たして、宗叔さんは夢を実現することができるのか。そして、冷え切った母子の関係は…。山本氏は「この作品を通して、何歳になっても夢は追い求めていけるということを感じてほしいと思っています。宗叔さんの夢はまだ始まったばかりですからね」と、今後も取材を継続することに意欲を示した。

●突然のプロデューサーの死

山本氏(左)と村上研一郎さん=テレパック提供

こうして放送に向けて取材・編集を行う直前に、突然の訃報が制作チームを襲った。プロデューサーを務めていたテレパックの村上研一郎さんが急死したのだ。

村上さんと言えば、いつもニコニコ、そして100キロを超える巨漢がトレードマークで、制作スタッフから出演者まで広く愛される名物プロデューサーだったという。「打ち合わせの時、いつも張江さんと村上さんは、健康話で盛り上がっていました。張江さんは『村上さん、やせたほうがいいよ。お互い若くないんだから』と笑いながら2人で話していたのを今も鮮明に覚えています」(山本氏)。

しかし、去年の12月25日。村上さんは連絡もなく出社せず、自宅で亡くなっているのを発見された。死因は、虚血性心疾患。49歳という早すぎる死だった。

村上さんは、ドキュメンタリードラマ『幸せなら手をたたこう』(NHK)で2016年のギャラクシー賞奨励賞を受賞し、17年は南果歩主演の連続ドラマ『定年女子』(同)を制作。さらに、今夏放送予定のNHKのスペシャルドラマと、次々に企画が採択され、社内では「ノリにノッている」と大きな期待が寄せられていたという。

1月に行われた「偲ぶ会」には、予想を上回る約200人が出席し、会場の中華料理屋はギュウギュウ詰めに。山本氏は「皆さんが口々に『仕事熱心な人じゃなかった』と(笑)。だから、悲しくて涙が出るという感じじゃないんですよ。悲しいけど涙が出ない、笑顔が絶えない偲ぶ会でした」と、その人柄を教えてくれた。張江氏も、泣いてはいけないと涙をこらえながら、送る言葉で会場の笑いをとっていたそうだ。
○村上さんの遺志を継いで…

そんな性格もあって、「村上さんは人付き合いがすごく良くて、"雑談の帝王"のような方。だから誰にも壁を作らず、隔たりなく話せるっていうのが魅力なんですよ」といい、「『ザ・ノンフィクション』で今回の企画が通ったのは、村上さんの力が大きいと思っています。後輩思いの心優しい先輩で、『好きなようにしていい』と思うようにやらせてくれました。それでいて、締めるところは締めるというスタイル。僕にとってはすごく大切な先輩でした」と、あらためて惜しんだ。

テレパックは、ドラマを得意とする制作会社だが、村上さんは生前「ドラマだけでなく、情報番組や、ドキュメンタリー番組など他ジャンルにも力を入れたい」と、さまざまな企画をテレビ局にプレゼンしていたそう。山本氏は「その村上さん情熱が結実した、ドラマ以外で最初の作品が、今回の『わかりあえない食卓』です」と力説し、偉大な先輩の遺志を受け継ぐ決意を語っている。

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