「良い朝だなぁ」と思える日が来た…心の病を患う私が “救われた言葉”

ananweb

2018/1/30 18:00



私は多くの精神疾患を抱えています。病気が原因で困ったこともたくさんありました。たくさんの偏見も肌で感じてきました。そんななか、数か月前に症状が重たくなり、ベッドから起き上がれなくなってしまったのです。働くことはおろか、外出することもできなくなりました。でも、こういった状態になったのは初めてではありません。以前の苦しみがまたよみがえるかもしれない。そういった恐怖感でいっぱいになった私を唯一救ってくれたのが、愛ある言葉でした。

文・七海

■ 毎日泣くことしかできなかった。毎日謝ることしかできなかった

数年前にも、鬱状態が酷くなり、起き上がれることができなくなった時期があります。それが原因で、私は会社を退職しました。その頃にも精神科に通っていましたが、薬を飲んで症状を緩和し、しんどい日も出勤していました。その会社に在籍している数年間、1日も休んだ日はありません。そうした無理が祟ったのでしょう。ある朝突然、前触れもなく起き上がれなくなってしまったのです。

退職した後に再就職しましたが、常に不安が付きまといました。「また動けなくなったらどうしよう」「また働けなくなったらどうしよう」と。以来、長い期間症状が重たくなったことはなかったのですが、数か月前に悪夢がよみがえりました。私はまた動けなくなり、また働けなくなったのです。再びたくさんの人に迷惑をかけながら仕事を辞め、ベッドで過ごす日々が始まりました。

以前動けなくなったときにも同棲していましたが、今回も、違う男性と同棲していました。同棲していると相手にも迷惑をかけてしまいます。しかし、実家の両親とは折り合いが悪く、逃げるようにして同棲し続けていた私。実家に帰ると症状が悪化することがよくあるのを彼は知っていたので、実家に帰ることを提案した私に「俺と一緒にいよう」と言いました。実家に帰らなければ迷惑をかける、でも実家にいたくない、彼に申し訳ない。そういった感情がたくさん沸き上がりました。

私は彼が仕事に行っている間も、仕事から帰ったときも、泣いて謝っていました。何度「ごめんなさい」と言っても、足りないような気がしました。

■ 私が救われた言葉。快方に向かったのは”愛” があったからだった

私は毎日、何度も謝りました。しかし彼は、「謝ることじゃない」と繰り返し言いました。「風邪を引いたら俺だって休むんだから。体調が悪いときは休まないといけない」。そう言ってくれたもの、私は罪悪感から逃れることができませんでした。

特に罪悪感を覚えたのは、”働けない” という事実です。以前働けなくなったとき、「義務感で動けなくなったら終わりだ」と感じてしまいました。働かなければならないのに働けないという事実が、悔しくて仕方なかったのです。収入源は毎月彼の給与のみでした。私には収入がありません。支え合って同棲したかったのに、情けなく感じました。私は動けないにもかかわらず、求人情報をスマホで検索するように。働き続けた業界での経験もあります。その業界での夢もありました。だけど、”働けない” という事実が焦りに変わり、「早く働かなくては」と思うようになっていたのです。

今まで働いてきた業界で復帰できる気がしませんでした。長年の夢もよくわからなくなってしまいました。私は全く未経験の業界の求人を眺め続けました。外出すらできないのに。焦りが積もったとき、彼に打ち明けました。「働けなくて申し訳ないから、雇ってくれるところで働きたい」と。彼は否定も肯定もしませんでした。「やりたいことはゆっくり見つけたら良い。今答えが出ないことに対して、無理に答えを出す必要はない」と言い、「体調が悪くなるのは誰にでもあることだから、申し訳ないと思う必要もない。無理に働かなくても良いし、無理に働いて身体や心を壊したら本末転倒だよ」と付け加えました。「やりたいことが見つかったときに、やりたいことをして楽しいと思ってもらえるのが嬉しい」。そうした言葉をかけてくれる人は、今まで誰1人としていませんでした。

私は少しだけ楽な気持ちになりました。罪悪感が全て拭われたわけではないけれど、なんだか救われたような気がしたのです。それでもどうしても焦ってしまい、求人情報誌を持って帰ってもらうこともありました。ベッドでそれを眺める私を見て、「やりたいことは見つかった?」といつも聞いてくれました。否定も肯定もせず、ゆっくり私のペースに合わせてくれたのが、私を温かい気持ちにさせました。私は徐々に自分の心と向き合うことができるようになりました。”やりたいこと” も ”夢” もよくわからなくなってしまっていたけれど、だんだんそれを取り戻せるようになっていきました。

毎日朝が来ると憂鬱な気分が増していたけれど、「良い朝だなぁ」と思える日が出てきました。「良い朝だなぁ」と私が言うと、「良い朝だと感じられるのは良いことだね」と彼が言いました。”良い朝” は少しずつ増えてきて、暗闇で泣いてばかりいた私に、光が差したような気がしました。

彼の言葉には全て ”愛” がこもっていたように思います。”愛” があったからこそ、自分自身を見失っていた私に寄り添えたのではないかと。私が今同業種で社会に復帰できているのは、彼の ”愛” があったからこそだと感謝しています。

■ ”寄り添うこと” と ”腫れ物に触るようにすること” は違います

私は精神疾患者です。病気があるからできないこともあるし、症状が悪化するから一時的にできなくなることもあります。”健常者” に比べるとできないことが多く、迷惑をかけることも多いのではないかと思います。

当事者として思うことがあります。私は動けなくなったとき、彼に寄り添ってもらえました。それが一番良かったのだと思います。精神疾患を抱えていると言うと、色眼鏡で見られているような気になることが多々あります。根強い偏見を感じてきたため、理解が広まってほしいという思いは確かにあります。しかし、決して ”特別視” してほしいとは思っていないのです。精神疾患は ”触れてはいけないもの” でも ”タブー” でもありません。私含め精神疾患を抱える人がいる以上、助け合い、共生できる社会が理想です。

私は彼と入籍しました。入籍すると、「子どもは?」と聞かれることもあります。しかし、私が持っている病気の中には遺伝性だといわれているものも。病気のために感じた風当たりの強さは、誰にも感じてほしくないと思っています。遺伝の可能性がある以上、この社会が変わらない限り、私は怖くて子どもを生むことを考えられません。

身近に精神疾患を抱える人がいるという方、どのように接していますか? どう接して良いのかわからないから、あまり触れないようにしているという方もいるのでは。罵声を浴びせたりするのはもちろん、腫れ物に触るようにする扱いも、少し違和感を覚えます。万人に ”愛” を持って接することができる人は少ないかと思いますが、心を持って寄り添うことはできるのではないでしょうか。そうした歩み寄りが、共生へとつながるのだと信じています。

そして最後に。配偶者など身近な人が精神疾患を抱えている方へ。私はパートナーの ”愛” に救われました。言葉や表現の仕方は人それぞれだと思いますが、”愛” を持って見守り、”愛” を持ってともに歩むといった考えで、あなたなりの優しさを伝えてみてください。きっと、あなたのパートナーは、あなたの ”愛”、そして ”救いの言葉” を求めているのではないかと思います。

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