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メタラーによるジャパメタ蔑視を打ち破ったX JAPAN――「紅」とYOSHIKIの突破力

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<文/山野車輪 連載第19回>

◆YOSHIKIのTV出演での振る舞いに各方面から感嘆の声

2017年~2018年の年末年始にかけて、X JAPANのリーダーYOSHIKIは、ドキュメンタリー映画『WE ARE X』のプロモーションとして、TVのバラエティ番組などに出演した。

前年12月に『しゃべくり007』や『第68回NHK紅白歌合戦』に出演し、後者では「ENDLESS RAIN」でのピアノ演奏から曲が「紅」に変わると、ドラムセットに座り、手術後初のドラム演奏を披露した。

元旦に放送された『芸能人格付けチェック』では、ワインの格付けの際の配慮ある発言が素晴らしかったと、ネットでニュースになるほど話題になり、好印象を与えた。

また、『マツコの知らない世界』や『ダウンタウンなう』にも出演し、YOSHIKIおよびX JAPANの壮絶な歴史の数々が紹介され、お茶の間に感動を与えた。前者は、「自称YOSHIKIのすべてを知っている」という女性プレゼンターのさかいさんにも賞賛が集まった。

NHK紅白歌合戦』を除くYOSHIKIが出演したバラエティ番組はいずれも、YOSHIKI出演中に異例の高視聴率を記録した。YOSHIKIが見せた共演者などへの細やかな気遣いや、おかきをポリポリ食べる意外な姿は、Xファン以外の視聴者のハートをも掴んだことだろう。気品、周囲への配慮、天然キャラが同居するYOSHIKIに、各所から感嘆の声が上がっている。

YOSHIKIは、音楽的才能と努力でもって、自力で這い上がってきた本物のスターだ。筆者は、1989年のメジャー・デビューからのファンだったりする。

X JAPANは、V系(ヴィジュアル系)の始祖として有名だが、デビュー前は、もっとも熱かった80年代後半期の関東インディーズメタル・シーンで揉まれ、這い上がってきたバンドだ。

今回は、X JAPANの代表曲「紅」を核に、インディーズ時代の彼らについて、語ってみたい。

◆メタラーからバカにされていた“歌謡メタル”

2017年末の『第68回NHK紅白歌合戦』でも演奏されたX JAPANの代表曲「紅」は、彼らがメジャー・デビューした1989年、デビューアルバム『BLUE BLOOD』からリカットされた1stシングル曲である。当時さまざまな音楽番組で演奏され、同年の日本有線大賞の最優秀新人賞受賞曲となった。また甲子園応援曲としても演奏されているなど、もはや日本人なら誰でも知っている定番曲でもある。

同楽曲は、インディーズ時代の初期から存在しているが、実は「ボツ曲扱い」となっていた時期もあったという逸話は、ファンには広く知られているところだ。

さて、その「紅」の歴史を紐解いてみたい。それは、メタル界隈の「“歌謡メタル”嫌悪」との闘いだった。

ジャパメタがもっとも盛り上がった1985年、聖飢魔II、ANTHEM、SHOW-YAが立て続けにメジャー・デビューし、歌謡曲テイストのジャパメタの楽曲は、お茶の間にもしばしば届けられるようになった。

また早川めぐみもこの年にデビュー。彼女のキャッチ・コピーは“歌謡・メタル・エンジェル・めぐちゃん”というもので、この頃、多くのメタラーにとって“歌謡メタル”というキーワードは、嫌悪の対象だった。

前年には、ACTON!が“歌謡メタル”路線でメジャー・デビューしており、偏見を取り除いて聴けば、質の高い楽曲が揃っているバンドだったが、やはりメタラーからはバカにされていた。

◆実は“ボツ曲扱い”だった「紅」

「紅」に代表されるように、“歌謡メタル”の音楽性を持つXは、洋楽メタルのメディアや洋楽メタルを尊ぶ人らなどの「体制側」からは否定的に捉えられていた。『BURRN!』(1986年10月号、シンコー・ミュージック)のレビュー欄で取り上げられたDEMENTIA(Xの元ベーシストTAIJIが一時期在籍していたバンド)の「STRUGLE FOR REVEL」のレビューにて、「“スピード歌謡”みたいな『X』よりは好感持てるけど」(点数は43点)と、とばっちり的に書かれたこともあった。

またXには、歌謡曲の要素のみならず、ヘヴィメタルとは対立関係にあったハードコア・パンクの音楽性も内包されており、正統派ヘヴィメタルの要素は薄かった。にも関わらず、メンバーらは、「ヘビメタ」のバンドマンとして、当時TVのバラエティ番組に出演していたのだから、体制側メタラーから嫌われるのも無理からぬことだった。

「紅」は、バンドの初期の頃から演奏されていたが、HIKARU(宇高光)<b>とJUN(高井寿)<g>在籍時の1986年春から秋頃は、演奏頻度が低かった。「紅」は、「オクラ入り」はしていなかったので、「ボツ曲」ではなく「ボツ曲扱い」ということだったのだろう。

◆YOSHIKIにとっては「紅」は「メイン曲扱い」だった

86~88年あたりは、メタラー間でスラッシュメタルが人気だった時期。METALLICAの3rdアルバム『Master of Puppets』(邦題:メタル・マスター)は、1986年3月、SLAYERの3rdアルバム『Reign in Blood』は、同年10月にリリースされている。

Xでスラッシュ系の楽曲といえば「Stab Me In The Back」が思い出されるが、同楽曲はHIKARUとJUN在籍時の頃に初披露され、翌1987年2月にリリースされたスラッシュ系バンドを集めたオムニバス・アルバム『SKULL THRASH ZONE VOLUME.Ⅰ』にも収録された。

当時のXは、ハードコア~スラッシュの色合いが濃く、同時に歌謡曲的なメロディも内包するバンドで、この頃からすでに「何でもあり感」が漂っていた。

HIKARUとJUNは、1986年10月に脱退するが、「紅」は、その後の11月および12月のライヴで演奏された。また、1987年4月10日に神楽坂EXPLOSIONで、HIDE<g>とPATA<g>を加えたメジャー・デビュー時のメンバーによる初ライヴが行なわれたが、そのライヴでも演奏されている。

また、ジャパメタラーにとってのマストアイテム本『メタル・インディーズ・マニア』(1986年11月、立東社)で特集されたバンド・ガイドに掲載されたXの紹介記事には、YOSHIKIとTOSHI、TAIJIのメンバー3人が名を連ね、「3rdEP『紅』を、87年1月にEXTASY RECORDSよりリリース予定」と書いてある。

ということは、つまりYOSHIKIにとって「紅」は、HIDE加入以前から「メイン曲扱い」の楽曲だったということなのだ。決して「ボツ曲扱い」ではなかったのである。

◆メタラーによる蔑視に打ち勝った「紅」

メンバーが揃い、1987年夏に制作された配布ビデオ「XCLAMATION」に、HIDEとTAIJIによってアレンジされた『Vanishing Vision』収録時に近い「KURENAI」が収録され、以降「紅」は、レギュラーナンバーとして演奏されている。

「紅」は、日本のヘヴィメタルを代表する楽曲として、SHOW-YAや摩天楼オペラ、GAUNTLETなど国産バンドだけでなく、ブラジルのSHAMAN、イギリスのDamnation Angels、イタリアのSoul S Chainsなどの海外バンドからもカヴァーされている。

「紅」は、その楽曲の良さでもって、メタラーによる“歌謡メタル”嫌悪や、“洋高邦低”意識による日本蔑視に打ち勝ったジャパメタのアイコン的な楽曲なのである。

【山野車輪(やまの・しゃりん)】

昭和46(1971)年生まれ。平成17(2005)年『マンガ嫌韓流』(晋遊舎)を出版し日韓関係のゆがみを鋭く指摘。『ニューヨーク・タイムス』、『タイムズ』など海外の新聞メディアでも紹介される。同シリーズは累計100万部突破。ヘビメタマニアとしても2ちゃんねるや一部メタラーの間で有名。本連載をまとめた『(仮)ジャパメタの逆襲』が扶桑社新書より、今春、出版予定。


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