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課長になるのが嫌で考えた「40代脱サラ」からの処世術 | 松崎順一(家電マイスター)

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「好きなことを仕事に」。
誰もが一度は考えたことのある働き方なのではないでしょうか。しかし、これまで築き上げてきたキャリアを捨てて、我が道をいくのは勇気がいるものです。転職するのか、脱サラするのか、それとも現在の会社に残り続けるのか…。責任もますます大きくなり、昇進し役職につく人も増える30代、40代にとっては人生を左右しかねない大きな問題といっていいでしょう。なかでも、「脱サラ」のハードルは依然として高いものです。

今回は趣味のアナログ家電集めを仕事に生かし「家電マイスター」として活動中の松崎順一さんにお話を伺いました。今や世界中の家電好きからリスペクトされている松崎さんですが、実はデザイン会社での長い会社員時代を経て、42歳で脱サラした異色の経歴の持ち主。サラリーマン時代は働き方に悩むこともあったそうです。そんな松崎さんがどのような経緯で脱サラを決意し、独立後の人生を歩んできたのか、現在に至るまでの軌跡をうかがいました。

松崎 順一(まつざき じゅんいち)
1960年生。専門学校卒業後、デザイン会社に勤務。2003年、アナログ家電の専門ショップ「デザインアンダーグラウンド」を立ち上げ、イベントや店舗装飾、家電プロデュースなど、家電にまつわるフィールドを幅広く横断する活動をしている。

「課長になるのが嫌」で22年間勤めた会社を退職

松崎さんがデザイン業に関わるようになったのは18歳のころ。ご両親のすすめもあり、なりゆきのままデザインの専門学校に入学。卒業後、世間はバブル景気のまっただなかで、難なくデザイン関連の会社に入社できたそうです。

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「周囲に流されての進学・就職でしたね。もともとデザインに興味はありましたが、あまり深く考えてはいませんでした。だけど、店舗のディスプレイや展示会のブースなど、会社員時代の空間デザインの仕事は楽しかったです。特に人前でのプレゼンが大好きでした。自分が考えたとっておきの企画だから、1時間でも2時間でも喋っていられる。しかも、客先でのプレゼンは百発百中。僕がプレゼンしたほとんどの企画が採用されていました」

バリバリと仕事をこなす松崎さんの評価は、社内でも上々。40歳を過ぎ、課長昇進の話を持ちかけられます。同僚たちに先駆けての“美味しい話”に、松崎さんが取った行動とは――。

「断っちゃいました。ずっとデザイナーとして前線にいたかったんです。デスクに座って指揮する中間管理職は僕の性に合わないと思いました。37歳のとき、大きな事故にあったのも大きかった。入院生活で寝たきり状態の半年間、自分の人生を見つめ直したんです。私より能力のあるデザイナーはたくさんいるし、業界のトップに立つことはまず無理だろう、と。だったら、サラリーマンでいるより、自分なりの表現で世間にアプローチできないかと次第に考えるようになっていました」

上司からの説得を断り続け、社長直々の引き止めも退いて、2003年、松崎さんはついに22年間勤めてきた会社を退職します。

「妻には相当怒られましたね。当然ですよね、家のローンもあるうえに、退職後の進路も決まっていないんだから…。しかし、それほどまでに管理職がイヤだったんです。現場に出られないなら辞めた方がいい。最後は妻も諦めたのか、なにも言わなくなりました」

「本当に嫌なことはやらない」と固辞する松崎さんの仕事観は、独立した現在でも変わりません。一見、自分本位に映りますが「自分が楽しめることじゃないといい仕事ができない」という思いがあってのことなのです。
脱サラ後しばらくは貯金を切り崩す日々…しかし幸せだった

脱サラして一年後、松崎さんは「デザインアンダーグラウンド」を開業。店内には、会社員時代から収集していたラジカセや家電が並びます。

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「幼少時代に好きだった家電で商売できれば、と思ったんです。開業当初は需要があるのか不安でしたね…。古い家電が好きな物好きな人なんて、私だけかもしれないし。案の定、開業2、3年は赤字続き。1000円程度のラジカセですら売れなくて、貯金を切り崩して生活していました。サラリーマン時代からの落差はけっこう大きかったです。

変わったのは収入面だけではありません。ライフスタイルも大きく変わりました。サラリーマン時代は『平日は会社、休日はリサイクルショップ巡り』というON・OFFがハッキリしていました。今は家電にまつわるOFFがONに換わった。家電販売・修理、家電の収集、雑誌の執筆、イベントプロデュース…一日中、家電のことを考えているからずっとONの状態です。休みたいなんて思いません、自分のやりたいことをやっているんですから。それだけでもう幸せなんです」

朝から晩まで家電漬けの日々をおくる 松崎さんですが、デザインの仕事を主軸にし、副業としてアナログ家電に関わろうとは思わなかったのでしょうか。

「今でこそ珍しくありませんが、私が脱サラした2000年はじめの頃はいわば“二足のわらじ”の働き方をしている人は周囲にはあまり多くなかったんです。しかし、僕の場合はたとえ家電を副業にしても、結局は趣味で終わっていたと思うし、サラリーマン時代のモヤモヤは払拭できなかったでしょう。アナログ家電一本に絞ったことで、後戻りのできない背水の陣でやってこれた。前に進むしかないから、楽天的な私も頑張るしかないわけです。

とはいっても、いくつも仕事を持つ働き方にも共感します。昇給も終身雇用制も約束されていない今の時代、複数の収入源を確保するという意味でも有意義だと思うんです。自分の好きな仕事だけで一日のスケジュールを組みたてる、というのは今の私の働き方にも通ずるものがあります」
お金ではなく、世間からの共感が「やりがい」の源

開業当初は鳴かず飛ばずだったショップも今では、十数万円のラジカセがすぐに売れてしまうほどの人気ぶり。活動の原動力となったのは世間からの「共感」なのだそうです。

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「私が重視しているのが、いかに“人から共感してもらえたか”です。顧客とのつながりやメディア、SNSなどの反響は売上げ以上に大切。アナログ家電の不便さのなかには、現代で見失われつつあるゆとりやおおらかさが隠れている。そういったゆとりあるライフスタイルこそ私が世の中にプレゼンしたい生き方なんです。私からアナログ家電を購入する人は、私の生き方、価値観に共感してくれているということ。価値観を伝えるためなら、命をすり減らしたって惜しくない」

個人事業だからこそ、周囲の支持がモチベーションに直結します。松崎さんはお金では計りきれない、やりがいを見出したのです。

「家電の魅力発信には、実はサラリーマン時代のプレゼンのノウハウが生きています。イベントの装飾にアナログ家電を使うなら、相手の要望に合わせて家電を選んだり、提案してみたりする。企画を提案するときにも大いに役立っている。個人で活動するのなら知識だけではなく、発信力も必要になってくるのではないでしょうか。

しかし、初心を忘れてはいけないんです。私の活動はあくまでも収集家としてのものです。“アナログ家電専門家”という肩書きだったら、世間は『松崎さんがいうなら間違いない』と捉えかねないし、慢心も生まれます。共感してくれる人たちは同志。おなじ目線に立っていることが私にとって重要です。だから、いつも『私は専門家ではない』と自分自身を客観視するようにしているんです」

好きなことを仕事にするのは誰しもが躊躇してしまうものです。30代、40代…と年を重ねていくうちに、独立の機会を失う人もいるかもしれません。ところが、松崎さんは「チャレンジするのは何歳になっても遅くない」といいます。

「この目まぐるしい世の中で、いろんな世界を知ることってすごく価値があると思うんです。『自分には得意分野がない』という人は、どんなに浅くてもいいから、興味のある世界に踏み込んでみることをオススメします。マルチにいろんなことに挑戦してみることで、自分というのがもっと見えてくるんですね。続かなくても構いません。やってみて合わなかったとしてもそれはそれ。失敗したということは、それだけ挑戦したということ。とても名誉なことです。トライ&エラーを繰り返して、自分自身と向き合った末に、自分の人生にとって価値ある仕事や働き方が見つかるはずです」

取材・文/名嘉山直哉 写真/コウノユタカ


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