松本人志が黒塗り問題に「浜田差別」とギャグでごまかし逃げの一手!「ルールブックを作れ」と責任転嫁発言も

リテラ

2018/1/14 19:00


 現在、議論が紛糾している「黒塗り」問題。ご存知の通り、昨年大晦日に放送された『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!大晦日年越しスペシャル!絶対に笑ってはいけないアメリカンポリス24時!』(日本テレビ)にて、浜田雅功が『ビバリーヒルズ・コップ』のエディ・マーフィーのコスプレという設定で顔を黒塗りにしたことが、日本のみならず、イギリスBBCやアメリカのニューヨークタイムズも報じるなど、国際的な問題となっている。さらに渦中の6日に放送された同番組の完全版でも、問題の「黒塗りメイク」部分はそのまま再放送が強行された。

この問題について、本日放送『ワイドナショー』(フジテレビ)で松本人志がはじめて語ったのだが、これが逃げの一手という想像以上にひどいものだった。

司会の東野幸治から話を振られた松本は開口一番このように語った。

「これに関しては言いたいこと色々あるんですけど、面倒くさいので、『浜田が悪い』でいいですよ。アイツを干しましょう。国外追放。断らなかったアイツが悪い」

この後も松本は、議論と真っ正面に向かうことはなく、謝罪するわけでも、正当性を主張するわけでもない、逃げのコメントを重ねていく。「今回、テーマがアメリカンポリスで、『ビバリーヒルズ・コップ』のエディ・マーフィーをやったんですよ。だから、流れとしては、全然唐突ではないんですけど......、でも、浜田が悪い」と、「浜田が悪い」なるフレーズを天丼にして笑いに変えながら、指摘されている問題の本質から話を逸らし続けていくのだった。

そして、今後のバラエティ番組づくりに話がおよぶと、松本はこう切り出した。

「じゃあ、今後どうすんのかなって。僕らはモノマネタレントではないので、別にもういいんですけど、この後、モノマネとかいろいろバラエティ(番組)で、じゃあ、今後黒塗りはなしでいくんですね。はっきりルールブックを設けてほしい」

この発言を聞いて、「やはり松本はなにもわかってなかったのか......」と思わざるを得なかった。

この発言には、問題点が二つある。

ひとつは、今回、ブラックフェイスが問題となっているのは「モノマネ」云々に事の本質があるわけではない。

浜田のブラックフェイスが批判を浴びたのは、それが「単に顔を黒塗りにしただけで笑いをとる」といったものだったからだ。

今回の『ワイドナショー』でコメンテーターの席に座っていた福嶋麻衣子(もふくちゃん)も番組内で「渡辺直美さんとかいろいろモノマネされているけど、別に黒塗りにはしてないじゃないですか。それだから世界中で受け入れられているみたいな。塗らないやり方でのモノマネっていうのはいくらでもあると思うんですよ」と指摘していたが、まさにその通りで、渡辺直美がビヨンセのモノマネをする際、別に顔や身体を黒く塗ることはない。

それでも、渡辺直美とビヨンセでは肌の色も体型もまったく異なるのに、彼女が「Crazy In Love」をBGMに踊り出すと、それはビヨンセにしか見えなくなる。それが人々の笑いを呼ぶのは、渡辺直美がビヨンセの細かい動きを徹底的に研究し、それを再現する技術をもっているからであり、そのようなテクニックがあるのであれば、モノマネ芸人であろうとも顔を黒塗りにする必要などないのだ。では、なぜ黒塗りが必要なのか? それは、知識と技術が足りないからだろう。松本は番組内で「黒塗りにしてモノマネした人が今後出てきたら、同じぐらい叩かれないと、今後は浜田差別になりますよ」とも語っていたが、そういう問題ではないのだ。

そして、二つ目は、「はっきりルールブックを設けてほしい」という発言である。言うまでもなくこれは「世間的な価値観とか、国際的な問題意識とか、そんな面倒くさいことはいちいち考えたくないよ」という思考停止の意思表示にほかならない。

浜田のブラックフェイスが批判されたのは、「ただ黒塗りにしただけで"エディ・マーフィーのモノマネ"と称して笑いにしようとした」点にある。もし浜田が『ビバリーヒルズ・コップ』の名シーンを完璧に再現してみせたうえで笑いをとっていたのなら、ブラックフェイスは必要なかっただろう。あるいはそこまで黒塗りにこだわるというのであれば、「なぜ黒塗りがNGなのか」その差別の歴史もふまえたうえで、それをも突破するような新しいお笑い表現をつくり出すこともできるかもしれない。

そこを単純に「はっきりルールブックを設けてほしい」などと言って考えることを放棄するから問題が起きるのだ。このような短絡的な発想こそが、現在お笑いの表現し得る範囲を狭めている大きな要因のひとつである。

たとえば、放送禁止用語とされているものだって、文脈や使い方によっては差別的な笑いでなくむしろ差別を批判するような笑いにすることもできるかもしれないのに、そういった文脈を踏まえることを放棄して一律でNG項目のリストに加えてしまうから、自分で自分の首を締める事態につながっている。

ちなみに、顔を黒塗りにして笑いをとることのなにがいけないのか。本サイトでもくり返し指摘してきたが、それは、黒人差別の歴史において、顔を黒く塗り、パフォーマンスすることで笑いものにしてきたという経緯があるからだ。

19世紀、アメリカで流行した「ミンストレル・ショー」と呼ばれる大衆演劇がある。黒人差別と表現の問題を論じた『『ちびくろサンボ』絶版を考える』(径書房)によると、このミンストレル・ショーは〈黒人の無知や無知から来ると思われていた明るさを笑いものにした〉芸風で、〈二十世紀の中頃のテレビ・映画のなかの黒人イメージにまで色濃く影響を及ぼしたと言われる〉ものである。

黒人は無知で、それゆえに明るく能天気である──そのような偏見に満ちた黒人像を反映したキャラクターを、白人が顔を黒塗りにしたうえで演じ観客たちを笑わせる。それがミンストレル・ショーであった。このような表現を成り立たせていた背景に、黒人を奴隷として強制労働させ人間として扱わなかった、アメリカの負の歴史があることは言うまでもない。

そもそも、松本はかつて、モノマネやパロディを一段下に見てバカにしていたはずだ。そうした笑いは安易でお手軽なもので、自分は0から笑いを作っているという自負があったのだろう。

番組内では、もふくちゃんによる「世界で見ても全員が笑えるものになんないといけないっていうふうになってきちゃったんだと思います。それが、良いか、悪いかは別にして」というコメントに「いま、『良いか、悪いかは別にして』って言いましたけど、『悪い』しかないよ」と松本は返していたが、自分の笑いが劣化して典型表現に堕した結果起きた問題をポリティカル・コレクトネスのせいにするのは、いささかお門違いである。

だいたい、松本はスタッフが出してきた台本を1から10まで聞き入れるような芸人ではなく、自分で納得しないものなら突っぱねる人間だろう。実際、気に入らないことがあれば「番組を降りる」「終わらせる」と恫喝することもあるではないか。松本は番組に対して、それだけの権力をもっている。

それなのにもかかわらず、今日の『ワイドナショー』では、一貫して"自分はいち出演者にすぎない"というスタンスをとり続けていた。そこになんらかの反省や、今回の騒動を受けて真摯にフィードバックしようという姿勢は見えない。

こんなことでは、そう遠くない未来、また同じような問題が引き起こされることは必至だろう。
(編集部)

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